第15章 アマノジャクな二人【3】

「えっ……本当にいいの?」


 先に提案したのはルーナなのに、僕がそれを鵜呑みにしたことに対して気が動転したのか、あるいは単なる最終確認なのか、訊き返してくる。


「本当にいいよ。だって僕もルーナのことをファーストネームで呼んでるのに、僕は駄目だなんて、そんな理不尽なことできるわけないだろ? それにそもそも、呼ばれ方なんてそんなに気にしないし」


「そうなんだ……じゃあ……ろ……ろ……」


「おいおい、初めて会った他人ってわけじゃないんだし……人の名前を呼ぶだけでそんなに緊張するなよ」


「してないっ!」


「うわっ!?」


 耳元で急に怒鳴られたため、僕は驚きのあまり背筋をピンと伸ばし、危うくバイクの操作を狂わせてしまうところだった。


「あっ……ゴメン……」


「ふう……今のは本当に危なかったけど、もう大丈夫」


「ゴメン……」


 サイドミラー越しに見てみると、ルーナは両肩を落とし、過ぎていく地面を眺めるように俯いていた。


 やっぱりいつもと様子がおかしいけれど、でもなんだろう……こんなにもルーナの姿を見て、ドキドキしたのは初めてだった。


 いつもは先頭をキリキリ歩くような彼女だが、今の彼女はそう、守ってあげたいという衝動に駆られるような、そんな可憐さを持っている。


 持っている……けれど。


「ルーナ、やっと僕は分かったよ」


「……なにがよ」


「僕はやっぱり、ルーナの笑顔が好きなんだ」


「……はっ?」


 頭が垂れ下がっていたルーナだったが、それを聞いた瞬間、まるで太陽の光に気づいた植物のように、その垂れ下がっていた頭を上にあげた。


「なっ! なっ! なっ! なに言ってるのよイキナリッ!!」


「いやさ……僕ってちょっと前まで、女の子のもの悲しげな表情にこう……憧れというか、崇拝というか、美しさっていうのを感じてたんだよね」


「……なにそれ?」


「まあ、男の妄想みたいなもんさ。でもルーナのお蔭で、そうじゃないって気づいたよ」


「何に気づいたのよ?」


「うん……やっぱり女の子には、笑っていて欲しい。特にルーナ、君にはね」


「えっ! あっ……それって……」


「ん? ああ、大切な仲間としてね」


「あっ……そう……そう……ね、仲間としてね……」


「そうだけど?」


「……はあ、そうよね。アンタは最初に会った時から、そういう感じだったわよね」


「ん?」


 なんだかまた、先程のルーナとは様子が変わってきたような、そんな波動を感じる。


 でもそれは、変わるというよりかは、戻って来たと言うべきなのかもしれない……いつものルーナの感じが。  


「ゼロに教えてもらってやってはみたものの、アンタはやっぱり筋金入りの朴念仁だったわけね……」


「えっ? ゼロ? それってどういう……」


「アンタはそんなこと気にしなくていいの! はあ……何でわたしはこんなヤツのことを……!」


 そう言うとルーナは、右手で自分の頭を抱えるような仕草をとり始めた。


 なんだかすごくガッカリされてるような気がするんだけど、僕、何かやったか?


「あのさルーナ……」


「なによっ!」


 いつものように、ルーナは不機嫌に、理不尽に、僕をサイドミラー越しに睨んできた。


 しかしここは僕も怯まず、対抗する。ちゃんと伝えるべきことは、言葉にして伝えておかないと。


「何を怒ってるか僕には分からないけど……でもさっきのは本当の僕の気持ちだから、それはその……」


「分かってる! 鈍感なアンタと一緒にしないで!」


「そっか……あ、あとさ……」


「まだ何かあるの!?」


「いや……さっきのファーストネームのことだけどさ。その……是非呼んでくれないか、僕の名前を」


「えっ? あ……ああ……」


 直後、ルーナのキツイ眼差しは緩み、それどころか僕の方から逸らされ、顔はみるみる紅潮しているようだった。


 そしてしばらく時が経ち、やっと彼女は口を開いて、その名前を呼んでくれた。


「ロ……ロクヨウ……」


 それは本当に、やっとの思いで捻りだしたような、第一声だった。


「うん……ありがとう。いやぁ……女の子にそっちの名前で呼ばれたのは、ルーナが初めてだよ」


「えっ? そ……そうなのっ!?」


「ああ……こんなことをわざわざ言うのも恥ずかしいけど、僕は今まで剣ばっか振ってたから、彼女どころか女友達もロクにいなかったんだよ」


「ああ……それはなんとなく分かるわ」


「あっやっぱり出ちゃってる? そういうところ?」


「出てるというか、ダダ漏れよ」


「うへぇ……どおりでライフ・ゼロにも見破られたわけだ……まあそれはそうと、そういうこともあってさ、一切女性からファーストネームで呼ばれたことが無かったんだ」


「ふうん、そういうこと」


 納得したといった表情を、ルーナはしてみせる。


 僕から始めた話とはいえ、やっぱり自分の難点を話すのは心が挫けそうになる。


 もはやあの時代の僕は、僕の中で黒歴史となりつつあるのか。


「それでどうなのよ? 初めて女の子からファーストネームで呼ばれた気持ちは?」


「そりゃあうん……なんか心に響いた」


「なによその曖昧な感想」


「そうなんだから仕方ないだろ? でも最初がルーナで良かったような気がする」


「それはなに? 大切な仲間だから?」


 ルーナは茶化すように、そう言う。


「それもそうだけど……でも僕、ルーナは一人の人間として好きだから」


「一人の人間としてねぇ……」


「確かに乱暴だし、向う見ずで危なっかしいし、理不尽に僕に怒ってきたりするけど……でも一緒に居て楽しいし、信頼できるからね」


「……なによそれっ! 悪口の方が多いじゃない!!」


「いででっ!」


 右の脇腹を、強い力で思いっきりつねられた。


 クソ……こうなると分かっていたなら、もう一つくらい良いことを、頭の奥底から捻りだすくらいの努力はするべきだった。


 脇腹がジンジンする……と、一人心の内で嘆いていた僕だったのだが、しかしその直後、その脇腹に沿って、するりと何かが伸び、さっきまでは腰回りだったが、今度は腹回りにしっかりと巻き付く感覚を覚えた。


 その巻き付いた物の正体は、腕。


 白く透き通るほど、傷一つない綺麗な腕が、僕の腹の上の部分を覆っていた。


「ル……ルーナ!?」


 僕は気が動転した。それこそ、先程腰に腕を回された時とは異なるほどに。


 だってそれは、単に安全のために腕を回しているという、そういう意味で無いことが僕にだって理解できたから。


 腕を回しているんじゃなく、抱き寄せているんだって、認識できたから。


「……わたし乱暴だから。言葉にするのは苦手だから……こうやって表現するのが精一杯なのよ」


 彼女はしっかりと腕を、太腿を、上体を、顔を、今僕に近づけさせることのできるもの全てを、僕に向かって寄せていた。


 僕は彼女に、完全に包み込まれてしまっていた。


 それこそ本当に、乱暴で、向う見ずで、理不尽な……でも、一番彼女らしい表現方法だった。


 そしてそんな、過剰なまでに直截的な表現だったが故に、いくら鈍感な僕でも、朧げに、やっと彼女が伝えたかった気持ちに気づくことができたのだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る