第41話 雪に白鷺、闇夜に一突き



 遠宮キヨネはその日、予選試合は一戦しか組まれていなかった。


 会場の隅で自分の番を待ちながら、彼女は厳しい表情で他のプレイヤーの試合を見つめていた。

 マギクスアーツにウィッチクラフトレース、そしてドルイドリドル。大きくスペースを取って行われている各試合を眺めながら、コツン、コツン、と手に持った電子端末を座っている椅子に叩きつける。


 今日、彼女が組まれている競技は、ソーサラーシューターズ。


 対戦相手は、鏑木コウヤ&冬空テンカ。

 今年度に入ってから、ずっと意識し続けてきた相手。




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○鏑木鋼夜

 魔力性質 固形

 ステータス 魔力総量C 魔力出力C 魔力制御B 魔力耐性D 精神強度B 身体能力B 魔力感応D  術式構築C 


○冬空天花

 原始『停止冷原』

 因子『氷雪』『固定』『棘』『吹雪』『熱』

 因子五つ ミドルランク

 ステータス 筋力値E 耐久値D 敏捷値B 精神力C 魔法力B 顕在性C 神秘性C

 霊具『白雪湯帷子』



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 鏑木コウヤのステータスは、得意な分野が違うだけでキヨネと大して変わらない。だからといって互角というわけではないが、少なくとも萎縮するほどの差はない。

 そして、バディはと言うと、冬空テンカはヨハンが先日瞬殺したばかりだ。状況が違えばまた変わるかもしれないが、少なくとも力量としてこちらが上回っているのは確実だ。


 その上で、どう戦うか。


「顔が険しくなってるよ、お嬢ちゃん」


 気を張り詰めているキヨネに、側で実体化していたヨハンが軽い調子で声を掛ける。


「そうガチガチだと、いざって時に動けなくなるよ。気を緩めるのが良いと思うけどね」

「……やめてよ、ヨハン」


 キヨネは目を合わせようともせず、ただ空間の一点を睨みつけたまま口を開く。険しい表情とは相反するように、その声色は高揚を隠しきれていなかった。


「ここで気を抜いたら、真剣勝負ができなくなるじゃない。私は、今の私がどれだけ彼に通用するかが知りたいの。だから……」

「そうかい。なら、オジサンも力になるとするさ」


 サーベルの鞘に手を当てて見せるヨハンに、キヨネは静かにうなずいた。


 そして、試合の時間が来た。

 逸る気持ちを抑えながら、キヨネは試合場に上がって開始を待つ。


 結界展開用の増幅器の前で待っていると、ドタドタと慌ただしくコウヤたちがやってきた。忙しないその雰囲気にキヨネは眉根を寄せる。こちらが気を張って待っているというのに、向こうは随分と落ち着きがない。


 でも、仕方がないのだ。

 なにせ、鏑木コウヤは今日、七試合も予選を組まれているのだから。


(その組み合わせが作為的なものだってのはわかっている。そして、私がその中にわざと組み込まれているんだろうってのも)


 けど、それがどうした。

 重要なのは、予選の舞台で彼と勝負出来るということだ。


 バディ戦は十試合しか予選がないので、必然的に全勝する生徒が出てくる。本戦出場出来るのが十組までであることを考えると、一敗するだけでも予選突破の可能性が狭まってしまう。だからこそ、一戦一戦の重要度が高くなってくる。


 つまり、鏑木コウヤは本気で向かってきてくれる。

 遠宮キヨネという少女を倒すためにあらゆる手を尽くしてくれるのが分かるのだ。だからこそ、キヨネは胸に熱い情熱が灯るのを感じていた。


 去年は、全力の勝負が出来なかった。


 キヨネが憧れた比良坂キサキは、キヨネのことなんて眼中になかった。実力も足りなかったし、何よりキサキは別のものと戦っていた。去年の予選では、キヨネはただ雑に倒される脇役でしかなかった。


 それが悔しくて、何よりも惜しくて――今年こそは自分を見てもらうんだと、強い意気込みでキヨネはこの場に立っていた。


「遅いよ、鏑木くん」

「悪い、ちょっと立て込んでた」


 走って試合場までやってきたコウヤは、息を整えながらすばやく増幅器にデバイスの通信メモリを接続する。それから、バディ戦のメインフェイズとラストフェイズにおけるポイントのセレクトも一緒に入力した。


 そして審判役の先生に謝罪をすると、すぐにキヨネの方を見た。


「さあ、やろう」


 その真っ直ぐな瞳が、キヨネを見つめる。


 それに対して、キヨネはショックを受けたように目を見開く。

 

 そう思いながら、わなわなと体が震えるのを押さえることが出来ない。


「……ねえ、鏑木くん。そのデバイス――」


 そう尋ねようとした所で霊子庭園が展開された。


 青いベールが空間を包み、高次元の情報空間が作成される。

 それとともに、キヨネとコウヤの体は霊子体に転換され、フィールド上にランダムに配置される。


 フィールドは、中世都市ステージ。

 外周が城壁で囲まれており、中央エリアとの境もまた城壁で区切られている。街並みは新旧の市街地でデザインが別れており、中央エリアの新市街地には、教会や広場と言ったランドマークが配置されている。


 外周エリアの一角、旧市街地の薄汚れた建物の屋根に降り立ったキヨネは、胸のうちに抱いた感情を必死で抑えながら、騎銃型デバイスを構えて前を見る。


「ヨハン――」


 それが相手の作戦による結果なら、文句はない。

 でも――


「勝つよ、この勝負!」


 ――もしも、何かのトラブルで全力が出せないとかだったら。


 私は、絶対にそれを恨む。



 ※ ※ ※



「始まったようですね」


 観覧席から試合場を見下ろしながら、黒衣の少女――渡良瀬ルルが言った。


 バディのその言葉に、神夜カザリはつまらなそうに鼻を鳴らした。

 彼もまた試合場を見下ろしているが、しかしその目はどこか集中を欠いている。物憂げな様子で試合を眺めるその様子は、彼の内面を知らなければ思わず見惚れそうな姿である。


 無論、そのような幻想とは無縁であるルルからすれば、主人が元気のない犬のような顔をしているようにしか思えないのだが。


「鏑木コウヤのデバイスが違うものだったのを見るに、明里宗近の策略はうまく行ったようですね。いくら彼でも、使い慣れていないデバイスでは万全とは言えないでしょう」

「ああ、そうだな」

「それに、彼はついこないだ重症の傷を負ったのです。回復してきたのには驚きましたが、やはりこれも十全とは言えないようです。その証拠に、魔法の使用に不自然さがあります。魔力をうまく体内で回せていないのでしょう」

「そうか」

「……チャンスだと私は言っているのですが、聞こえていませんか? カザリ」


 返答は、言葉ではなく拳で返された。

 コツンと、ルルの頭を軽く小突いて来たのだ。いつもなら気に食わないことがあれば全力でぶん殴ってくるのに、これはおかしい。


 驚きに目を丸くしたルルは、まるで恐ろしいものでも見るように恐る恐る言った。


「……カザリ。悪いことは言いません。病院に行きましょう」

「お前は何を言っているんだ?」


 今度はもう少し強く、ゴツンという感じで頭を小突かれた。


 そうそうこれでこそカザリだ、とルルは納得したように一人うなずく。

 そんなファントムの様子を横目で気味悪そうに見たカザリは、不愉快そうに小さく息を吐いた。


「僕がやんなくても、どうせ明里のやつがやってるよ」

「え? 明里宗近も、ファントムに暴力を振るう頭のおかしい男なのですか?」

「ちげーよ。鏑木への妨害の話だっつうの。……ってか、ルルてめぇ今なんつった!? 今まで殴られながらそんなこと思ってたのか」


 るるの言葉に怒って怒鳴りつけるカザリだったが、思うも何も、ファントムの反撃を恐れず暴力を振るえるのは普通に頭のおかしい人である。


 怒ったカザリに頭をわっしゃわっしゃとかき乱されながら、ルルは嫌そうに顔をしかめる。


「か、カザリは、あの男に任せきりで良いのですか?」

「あん? どういう意味だよ」

「あんなに執着していたのに、あとは人任せであなたは納得するんですか? これでは、いいように使われただけですよ」

「なんだ、そんなことか」


 ルルの言葉に、カザリはつまらなそうに鼻を鳴らす。


 鏑木コウヤのことは、気に食わないのは確かだし目障りだとも思うが――これ以上深入りするほど、強い感情があるわけでもない。


「良いも何も、そもそもあいつに言われて今までやってきたんだ。言われてもないのに不正なんて危ない橋を渡る必要ないだろ」


 一応、自然派の派閥の人間として最低限の義理はあるが、それも先日の襲撃で十分果たしたはずだ。

 下手をすれば傷害で捕まっていてもおかしくないくらい危ない橋を渡っているので、これ以上面倒事はゴメンだという気分だった。


「ま、あとは明里のやつがやってくれるだろうさ。腐っても学院の教師なんだ。いくらでもごまかしは効く。僕はただ、試合で鏑木を負けさせればいい」

「では、勝つ気はあるのですね?」

「当たり前だ」


 カザリは銃型デバイスを取り出すと、中のメモリを入れ替える。

 鏑木コウヤが普段と違うデバイスを持ち込んでいるのなら、それに応じてこちらも策略を変える必要がある。


 おそらく試合中には、鏑木コウヤに向けた何らかの妨害が働くだろう。学院の教師である明里なら、カザリなどよりも高度な不正を働ける。なら、その時にカザリがすべき仕事は、不測の事態に動揺せずに試合に勝つことだ。


 自身の試合まで、あと二十分弱。

 カザリはコウヤの試合を、見下すように冷たい瞳で眺めるのだった。



 ※ ※ ※



「勝つよ、この勝負!」


 おのがバディの意気込みを聞いたヨハンは、やれやれと肩をすくめながら地上に降り立った。


「さて、と」


 中央エリアの広場。


 見晴らしがよく、またモノリスが設置されているすぐそばで、ヨハンはゲームのスタートを迎えた。

 ゲームの主導権を握るという意味では絶好の場所であり、それゆえに彼にはゲームスタート時点で取れる手段がいくつもあった。


 その中で、まずはキヨネが動きやすいように、モノリスの前を離れずに周囲を見渡す。


(あの少年のメインデバイスが銃型ではなかったのは、やはりそういうことなんだろうね)


 権謀術数入り乱れる魔法学府。不正の一つや二つはあってもおかしくない。

 組織が大きくなり、人の思惑がかち合うようになればそういうことが起こるのは必然である。


 ヨハンにとって、そうした権力争いはあって当然のものだった。

 それが自身の主人であるキヨネに向けられるのならば容赦しないが、対戦相手がそれで足を引っ張られる分には好都合だ。


(もっとも、キヨネはそう思わないだろうけどね)


 競技者として考えれば、対戦相手の不調は利にこそなれ害になることはない。特に実績が求められるプロになればなるほど、自身のコンディション以上に相手のコンディションこそが勝負を左右することに気づくものだ。


 しかし、キヨネはまだ競技者としてその位置には居ない。

 彼女はまだ、自分と相手の競い合いをゲームの中に求めている。それ自体が悪いわけではないが、結果が求められる世界では通用しない甘さであることは確かだ。


(だからこそ――バディとして、頑張らないとねぇ)


 ヨハンはモノリスを守りながら気を張って周囲を警戒する。


 鏑木コウヤのメインデバイスが銃型で無い以上、魔力弾はサブデバイスかデバイスなしで作る必要がある。

 必然的に、遠距離の射撃が難しくなるので、狙える得点源が限られてくる。となれば――速攻でオープニングフェイズを終わらせたいと考えるはずだ。


 だからこそ、オープニングフェイズ終了条件の一つであるモノリスの前で、ヨハンは陣取って静かに敵の動きを待っていた。


 キヨネもしっかり動いているのか、スコアボードが動いていく。


 7対3――8対3――10対4――11対4


 やはり、鏑木コウヤ側の得点の伸び悪い。30本あるフラッグのうち、すでに半数が破壊されているが、今の時点で得点差は倍以上になっている。


 となると、この辺りで来るはずだ。


 その時。

 石造りの広場に、ひんやりとした冷気が流れ込んできた。


「――来たね」


 ヨハンはロングソードを下げる――下段、アルバーの構え。だらりと下げているように見せかけながら、いつでも振りかぶれるように構える。


 そこに、白装束の女がゆらりと現れた。


 まるで体温を感じさせないような白い肌をした女だった。その黒髪すらも、氷漬けになったように霜が降りて真っ白になっている。その人間味を欠いた姿は、まさに日本に伝わる雪女そのものである。


 冬空テンカは、まるで空間を横滑りするかのようにゆっくりと現れた。


 彼女がその場に現れただけで、周囲の気温がゆっくりと下がっていくのが分かる。可視化された冷気は白い霧となって辺り一帯に広まっていく。


 ヨハンの前に現れたテンカは、


「へぇ。剣を使うのかい、雪の娘さん」

「…………」


 ヨハンに声をかけられ、彼女はその氷のような顔をゆっくりと上げる。

 まるで極限まで熱を奪われたような表情をしたテンカは、凍えるような冷たい声で言う。


「ええ……。この方が、

「そりゃあ聞き捨てならないね」


 テンカの言葉に、せせら笑うようにヨハンは答える。

 しかしその目は笑っていない。この剣術の神霊である自分に向けて、ただの素人が剣で勝つといったのだ。それは生半可な侮辱よりもよっぽど屈辱的な宣言である。


 ならばその傲慢、叩き斬るまでだ。


「いつかの仕返しのつもりだろうけど――甘いよ、お嬢ちゃん!」


 全身から膨大な情報圧を撒き散らす。


 ヨハン・シュヴェールトが扱うドイツ流剣術は、簡潔且つ速度が売りの殺人術だ。無防備に目の前に現れた時点で、すでに斬り殺すまでの道筋は見えている。


 下段――アルバーの構えを取ったロングソードを振り上げ、一歩を踏み込んでその素っ首を跳ねる。その工程に、一秒も時間はいらない。

 もはや因子としてその身に刻み込まれた技術を、ヨハンは呼吸をするように振るう。


 ――が、しかし。


「な、に……!」


 動こうとした体が、何かに固定されたようにうまく動かなかった。


 無理に動かそうとしたことで、バキバキッ、と氷が砕けるような音が響いた。

 ハッと自身の体を見下ろすと、革製の防具が凍りついてひび割れていた。それは彼が着ている衣服全体に言えることで、まるで衣類の表面の水分がすべて凍結したように真っ白になっている。


 いつの間に――と、つぶやくとともに、真っ白な吐息が漏れる。


 周囲の温度は、いつの間にか体がかじかむほどに低下していた。白い冷気は気づけば広場全体に広がっており、意識しない間に空間全体の気温をゼロ度以下にまで下げていた。


 慌てて正面を見る。

 十メートルほど離れた場所で、冬空テンカが薄く口角を上げた。


「――『凍えろ、吹雪よ風に舞えブリザード・ホワイトアウト』」


 芯から凍えるような冷たい声が響いた。


 瞬間、広場に立つテンカを中心に、吹雪が辺り一面に広まった。

 真っ白な風が広場全体を飲み込み、その場にいるあらゆる存在を飲み込んでいく。暴風とともに舞い上がる雪は景色そのものを覆い尽くし、その場の視界を完全に奪う。


 目の前が真っ白に覆われたヨハンは、それでも瞬時に構えを取る。


(粋なことをやってくれるね、まったく!)


 一撃目で瞬殺されることを防ぐために、気付かれないように空間の温度を下げて衣服を凍らせる。そして動きが鈍ったところを、視界を奪うスキルを使って強襲する――というのが、テンカが立てた作戦だろう。


 肉体そのものを凍らせるのではなく、あくまで衣服を凍らせる辺りがよく考えられている。気温の低下は感じていたが、肉体のパフォーマンスが下がるほどの影響は受けていなかったため、大して気に留めていなかったのが仇となった。この様子では、目の前でわざと白い霧を見せたのもおそらく意図的だろう。


 よく考えられている――が、それでもまだ甘い。


 いくら凍りついたと言っても、仮にも防具である。多少傷は入るが動けないわけではない。凍りついた表面を砕いて可動域さえ確保すれば、問題なく攻撃動作に入れる。

 視界は悪いが、しかし迎え撃つのは問題ない。


 そして――使


「はぁあああああああああああ!」


 気勢を上げながら、右下から氷の剣の切っ先が迫る。


 吹雪に隠れた完全なる不意打ち。おそらくここまでの策はすべてその一瞬のために立てられたものなのだろう。生中な武人であれば、ここまで詰められれば為す術もなくその剣を受けていただろう。


 だが――


「無駄だよ」


 それを、ヨハンは見もせずにロングソードで打ち払う。


 右側に壁を貼るように剣を振るう『シールハウ』。それによって氷の剣は砕け、相手は攻撃手段を失う。


 そのままヨハンは、剣を下げた状態で後ろに引いてネーベンフートの構えを取ると、切っ先をそのまま振り上げるウータンハウ

 砕けた氷の剣の位置をもとに、相手までの距離を瞬時に逆算する。そして、ちょうどその首があるはずの場所を深々と斬りつけた。


 氷を砕くような手応えがあった。

 くるくると空を舞う首の影が吹雪越しに見える。


 それとともに、急速に吹雪の勢いが弱まっていった。辺り一帯に降り積もった雪を残滓に、白い暴風は次第にかき消えていく。


 吹雪が発生してから終わるまで、実に十秒間の出来事だった。


「剣術を使う以上、奇襲なんて効かないよ。オジサン以上の使い手で無い限りね」


 ロングソードに付着した氷を払いながら、ヨハンは冷めた口調でそうつぶやく。


 ドイツ流剣術。

 それは、14世紀ドイツの剣術家ヨハンネス・リヒテナウアーが世界中を旅して作り上げた剣術体系を、手稿の形で部分的に伝えられてきた古流剣術である。


 その教えは韻文対句の形で暗号化されており、熟練した剣士でなければ読み解くことが出来無いようになっていた。そのリヒテナウアーの教えを様々な剣士が解読し統合した術理こそが、ドイツ流剣術として今日に伝わっている。


 すなわち、習得にあたって剣術の理念を解き明かす過程が必須となる流派であるため、ドイツ流剣術を極めた剣士は、そのまま剣の真理に近い位置にいるといえる。


 どんな武術であっても、大本の理念をたどっていけば、類型を見出すことが出来る。まして素人の棒振りなど、剣術を極めた剣士からすれば先読みするまでもなく分かるものだ。


「弄した策は見事だったけれど、詰めを誤ったね。雪のお嬢さん」


 そうぼやくように言いながら、ヨハンは消えていく吹雪の残滓を見送る。視界が晴れ、フィールド全体が見渡しやすくなる。


 試合開始から二分二十秒。

 もう少しでオープニングフェイズが終わる。


 スコアボードを見ると、得点はすでに17対6にまでなっていた。倍以上の差を広げていることから、どうやらキヨネの方も順調らしい。


 相手のファントムを倒した以上、後は先週の模擬戦のように、鏑木コウヤを徹底的にマークするだけだ。

 全く同じ展開をつまらないなどと思うほど、ヨハンは勝負に娯楽性を求めては居ない。勝負に熱量を求めるキヨネと違い、ヨハンは結果を求めるタイプだ。


 そうと決まれば、と。

 晴れた景色の下を、一歩踏み出そうとしたときだった。



「『凍れ、楔よ永久にパーマフロスト・アイスエッジ』。ですわ」



 ヨハンの胸元から、氷の切っ先が生えてきた。


「グ、ガハッ……。な、なに……ッ」


 背中から深々と突き立てられた氷の槍は、ヨハンの胸部を貫通していた。真っ赤な血液が噴出し、やがて霊子の塵となってキラキラと空中に消えていく。


 その氷の槍を突き刺した張本人――冬空テンカは、彼の背後で氷を握ったまま言う。


「貫き、刺し殺されなさいな。剣の達人」

「ぐ、ぐぐ、冬空、テンカ!」


 なぜ、と疑問を覚える暇すらなかった。


 背中にピッタリと張り付かれている状態はあまりにも無防備だ。このままではまずい。


 突き立てられた氷の槍はかろうじて心臓から外れているが、それでもほぼ致命傷だ。加えて、第二撃以降を無防備に受けてしまえば、ヨハンに勝ち目はない。


「……ッ、させないよ!」


 ヨハンは振り向きざまにテンカの体を蹴る。

 その勢いで距離を取りつつ剣を構えなおそうとするが、しかしその目論見は甘かった。


 蹴り飛ばされたテンカの周囲には、すでに何本もの氷の槍が生成されていた。そのすべての切っ先が、ヨハンを刺し穿たんと狙っている。

 蹴られたテンカは、地面を滑るように着地しながらも、正面を真っ直ぐに睨みつけていた。


 数秒後の未来は、予測するまでもなく明らかだ。

 傷を負い、体勢の悪いヨハンでは、この氷の槍の雨は防げない。


 判断は早かった。


「キヨネ、!」


 ヨハンは手の持ったロングソードを片手で思いっきり振り上げると、天高くぶん投げた。


 まるで槍投げのように投擲されたロングソードは、中央エリアと外周エリアの境い目まで飛んでいき、石造りの地面に深々と突き立てられた。


 その次の瞬間、テンカが用意した氷の槍が射出される。

 飛来するその鋭い切っ先は、防具を物ともせずヨハンの肉体を貫通する。

 立て続けに氷の槍を突き立てられたヨハンは、それ以上霊子体を維持しようとはせず、最小限のダメージで霊子庭園から退場した。


 後には、ヨハンが投げたロングソードだけが残された。



 ※ ※ ※



 冬空テンカは、肩で息をしながらヨハン・シュヴェールトが消滅したのを見届けた。


「はぁ、はぁ、はぁ……や、やりましたわ」


 綱渡りだったが、なんとかヨハンの不意をついて致命傷を与えることが出来た。


 テンカの作戦――というより、夕薙アキラが立てた作戦はものの見事に成功した。

 その作戦の要となったのは、テンカの持つ因子『吹雪』のパッシブスキル『雪に白鷺』というスキルの効果だった。


 これは、テンカの存在を相手に認識されづらくするスキルである。


 条件は、気温が低い場合と、視界が悪い場合の二つ。

 条件が強くなればなるほど、相手はテンカの姿を見失いやすくなる。


 霊子災害『スノーフィールドの停止冷原』が猛威を奮っていた頃は、吹雪によってその実体を外部に隠し続けていた。その能力が昇華されたものであり、『吹雪』の因子が発現していない二年前から、テンカは雪景色の中に溶け込むことが得意だった。


 このスキルを使ってヨハンの目を逃れ、相手が油断した所を背中から突き刺したのだ。


 ちなみにヨハンが吹雪の中で斬った首は、テンカが作った氷の人形のものである。もし、ヨハンがあの吹雪を不審に思って用心していれば、すぐにバレてしまうような雑な細工である。

 ヨハンが『雪に白鷺』の効果を知らなかったことと、テンカが剣を使うと思い込んだがゆえに、用心を怠ってしまったことが敗因となった。


 斯くして、テンカは一人残った。

 程なくして、オープニングフェイズが終了する。



『オープニングフェイズが終了しました。間もなく、メインフェイズを開始します』



 中央エリアと外周エリアを隔てていたシールドが解除され、フィールド全体を自由に動けるようになる。それとともに、メインフェイズのクレーが発射され始める。


 現時点での得点差は、6対19


 テンカは休む間もなくその場から駆け出す。


 目指すは対戦相手の妨害。ヨハンが消えてテンカが残った以上、此処から先は以前に模擬戦でやられたことをやり返すだけだ。ヨハンほどではないが、仮にもテンカはファントムである。ただの人間に遅れを取るほど弱くはない。


 それに、普段からコウヤの訓練に付き合って、射撃の的を破壊する練習を積んでいる。マンツーマンで当たれば、相手に一点たりともとらせないくらいの自信はあった。


「さて」


 目的の人物を見つけたテンカは、ゆっくりと速度を落として近づきながら声を掛ける。


「いつかとは逆の立場ですわね、副委員長さん」


 遠宮キヨネは、中央エリアへと飛び降りて佇んでいた。

 そこは、ちょうどヨハンが投げ捨てたロングソードが突き刺さった場所でもあった。




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