4‐8 再戦



 相貌失認。

 龍宮ハクアは、人の顔を認識することができなかった。



 人の姿は正確に見えているのに、その顔かたちがどういうものなのか記憶できない。そしてその認識は、最終的に全体的な印象すらも曖昧にしてしまう。

 彼女にとって、他人は一人残らず同じのっぺらぼうで、誰も彼もが同じ存在に見えてしまうのだった。


 そうなったのは、魔力感応に目覚めてからである。

 あまりにも深い魔力感応は、魔法のチャンネルをかなりの深度で開いてしまった。第一種感応判定、いわゆる霊子属性の魔力性質は、そのまま彼女の存在そのものを作り変えてしまった。


 物心がついたばかりの頃にそうなったので、ハクアには、普通の人間の認識というものがピンとこない。

 彼女にとっては、人の顔や存在が上手く認識できないのが普通のことで、認識するための努力を積み重ねるのが、当たり前のことだった。



「それでね! この『概念・分散』のマテリアルの内部式なんだけど、単純に対象を分けるだけだと方向性が上手く定まらないから、生物の細胞分裂の概念を根底に置いてるの。これで同じ分量だけ対象を分けることが出来て――」



 目の前には、今日知り合った少女が、楽しげに魔法式について話をしている。

 先程、ハクアが自身の魔法式について話したので、そのお返しなのだろう。



(ああ、また表情が変わったみたい。よくわからないけど、それが全部『笑み』なのは分かる)


 くるくると変わる比良坂キサキの表情について、ハクアは会話に相槌を打ちながら、丁寧にひとつひとつを処理していく。


 目の前の人物が比良坂キサキであるという認識を、ハクアは魔力性質で見分けていた。

 魔力性質は、概念属性の『無形』と霊子属性の『流形』。二つの属性のチャンネルを開いているのは、珍しいタイプだった。

 彼女の魔力は、螺旋に回る薄い霧のような形をしている。この魔力の形は、人によって千差万別なので、大抵はこれで見分けることが出来る。


 あとは、感情に色を付けて読んだり、目の前の人の仕草や服装などで個性を見分けていくしかない。


 特に魔法の才能が無い人間に対しては、僅かな生命エネルギーから読んでいかなければいけないので、かなり慎重になる。慣れてしまえば大して苦労することではないが、物心ついたばかりの頃は、日常生活に大きな支障をきたしていた。


 少しでも手間を惜しめば、すぐに目の前に誰がいるのかわからなくなる。時として、相手の性別すらもわからなくなるくらいだ。


(その点、キサキはすごく好ましい。わかりやすいし、話しやすい。なるほど、これは兄さんが褒めるのも、分かるってものね)


 魔法競技の実力もそうだが、普段の人との接し方にしても、まったく頓着せずに向かってきてくれるのは、ハクアにとって非常に助かっていた。


 魔法クラブの他の大人たちと話す様子を見ていても、彼女がとても可愛がられているのがよくわかった。

 裏表がなく、素直で感情表現が豊か。その裏には、微かに自己評価の低さが垣間見られるが、そうした一つ一つが、ハクアにとって好ましく思えた。


「ん? ハクアちゃん、どうかした?」

「いいえ。なんでもないわ」


 緩やかに首を振って、ハクアは微笑んでみせた。


「それより、こっちの魔法式について、キサキの考えが聞きたいんだけれど――」


 そう、年の近い女子として、リラックスしながら話を続けようとした。


 そのときだった。



「少し良いか」



 周囲を囲んでいた大人たちの間から、一人の少年が現れた。


 短髪に活動的な血色の良い顔色。スポーツウェアに身を包んだ、同年代くらいの少年だ。それだけだと判断ができなかったが、ハクアはその人物の魔力を見て、彼が鏑木コウヤであることを認識した。


 魔力性質は物理属性の『固形』。魔力のイメージは、硬そうな鉄。

 まだ脆さを抱えている、鋳造中の刀のような少年だった。


「あ、コウちゃん……」


 その姿を見て、キサキが微かに、申し訳無さそうな顔をする。


 コウヤを負かした相手と仲良くしていることに、負い目を感じたのだろうか。しかし、それはあまり気にすることではないようだった。

 鏑木コウヤは、キサキの方を軽く見た後、ハクアへと目を合わせた。


「ハクア。もう一度、勝負してくれないか?」

「嫌よ」


 コウヤの言葉を、ハクアはあっさりと無下にする。


「アンタの実力は十分に見たわ。これ以上やっても、私に得るものはないもの」


 実際、ハクアとコウヤの間には、歴然とした差が広がっている。その差は、少しの策や工夫で埋められるようなものではない。


「それとも何? 競技を変える? それでも良いけれど、私はどの競技でも負けるつもりはないわよ。そもそも、アンタの実力じゃ、アーツやレースですら難しいんじゃない?」

「そうだな。まともに練習してるのはシューターズくらいだよ」

「なら諦めなさい。私だって暇じゃないの。どうせやるなら、実力が近い相手とやりたいわ」


 言いながら、ハクアは厳しい視線をキサキの方へと向ける。

 そのアピールに、キサキは気まずそうに目をそらした。


 場に微妙な空気が広がる。

 大人たちが口々に、「まあ、そのへんにしておきなよ」となだめようとしてくるが、そこに、全く別の声が混ざった。


「では、わたくしが参加すると言えば、どうですの?」


 コウヤの直ぐ側で、霊体が実体化するのが見えた。

 白装束の少女だった。年の頃は、ハクアと同じか少し下くらいだろう。ファントムであることはすぐにわかった。人間を相手にするより、因子の塊である霊子生体は、認識が容易い。


 その白装束のファントムは、冬空テンカと名乗った。


「わたくしがコウヤと組んで、バディ戦を申し込みますわ」

「ふぅん……バディ戦ね。でも、見たところあなた、ローランクじゃない。その程度の実力で、私とジュンを相手にするっていうの?」


 魔力解析力がずば抜けているハクアだからこそ、ファントムの性能もひと目で看破する。

 相貌失認の障害の代わりに、彼女の霊子存在の分析力は、大人顔負けのものを持っている。冬空テンカが、発生してまだ一年も経たないファントムであることも、はっきりとわかった。


 しかし、そんなハクアの疑問に、テンカは胸を張って答える。


「わたくしとコウヤは、そこの弾幕……いえ、比良坂キサキのバディを負かせたこともありますわ。それでも、興味はわきませんの?」

「……そうなの? キサキ」

「え? あ、……う、うん! そうだね。負けたこと、たしかにあるかな」


 キサキに確認を取ってみると、なんとも曖昧な答えが帰ってきた。感情の動きを軽く読んでみたが、嘘は言っていないようだ。しかし、何か裏があるらしいことはわかった。


 だが、その話に、ハクアはかすかに興味を引かれた。


「ふぅん」


 もとより、ハクアは好戦的な性格である。


 そうして自分から向かっていかないと、相手を理解できないからこそ、かすかでも興味を刺激されるのなら断る理由はなかった。


「良いわ。相手してあげる」


 こうして、ハクアとコウヤのバディ戦が決定した。



 ※ ※ ※



 準備はスムーズだった。


 そもそもトレーニングルームで話し込んでいたので、そこをそのまま利用することになった。互いにデバイスを準備し、相手のファントムの情報を公開し合って、作戦タイムを取る。


 冬空テンカのステータスを見て、ハクアは早くも後悔をし始めた。


「何よこれ。全然大したことないじゃない。ジュン、アンタはどう思う?」

「興味を持てない」


 同じくステータスを見ながら、風見ジュンはぼやくように言う。もとから口数の多いファントムではないが、これほど素気ない態度を取るということは、彼の目から見ても、大したことはないと言うことだろう。


 コウヤに関しては先程のシングル戦で大体の実力は分かっているので、警戒するとしたらファントム側だ。

 けれど、因子が二つで、ステータスも軒並み低いことを考えると、大したスキルは持っていないだろう。


「一応、いつもどおりモノリスは守って、長期戦の方向で行くわよ。ジュンは私のサポート。身体強化メインで、占術は状況を見て」

「分かった。善処する」


 言葉少なに了解するのを見て、ハクアは安心する。


 風見ジュンは、ハクアが物心ついた頃から側にいたファントムだった。

 もともとは、龍宮家で面倒を見ていたファントムであったのだが、ハクアの障害もあって、常に彼女の側にいるのが当たり前となっていた。


 彼の原始は『順風耳じゅんぷうじ』。

 その名は、はるか遠くの物事を聞き知る事のできる鬼であり、媽祖と呼ばれる女神に使える鬼神である。彼は、その伝承を再現したファントムだった。


 彼は、風を読み、ありとあらゆる物事を聞き知ることに特化している。

 ハクアは彼の目と耳を借りることで、非常時における周囲への認識能力を補っていた。


「それじゃあ、始めましょうか」

「ああ、こっちは準備できてる」


 コウヤが振り返りながら言う。

 彼の手には、拳銃型デバイスと、右手首にリストバンド型、腰にベルト型のデバイスを付けている。

 狙撃は捨てて、接近戦での勝負を前提としたスタイル。それを見るに、オープニングフェイズは捨てる気でいるのだろう。


(大方、速攻でモノリスを破壊して、中央エリアから全体を狙う気なんだろうけど――こいつ、さっきの私の試合見てなかったのかしら)


 ハクアのメインスタイルが接近戦である以上、同じ土俵で負けるつもりはサラサラ無い。前回のシングル戦と同じ結果になると思えた。


 それとも、そんなこともわからないくらい、頭が悪いのだろうか?



 霊子庭園が展開され、フィールド上に霊子体となって召喚される。

 フィールドは、草原ステージ。

 小高い丘に囲まれた丘陵地帯で、石段や小屋がいくつかある以外は、ほとんど障害物のないステージだった。


 草が生い茂っている場所にはフラッグが隠れているだろうが、少し近づけばすぐに分かる程度の障害だ。シューターズにおいて、戦いにくいステージの一つである。


(普段なら厄介だけど……相手があいつなら、そう問題ないか)



 ゲームスタート。


『オープニングフェイズが始まりました』


 ハクアは両手に持った拳銃デバイスを構えて、駆け出す。

 リボルバーとオートマチックを模したサブデバイスは、それぞれが、連射と単発の術式が組み込まれている。


 バディ戦におけるオープニングフェイズでは、プレイヤーは外周エリアしか動くことが出来ない。

 つまり、対角線上にある敵プレイヤー付近にあるフラッグは、狙うのが難しいのである。だからこそ、手近なポイントを取り逃す訳にはいかない。


 ベルトに付けたメインデバイスに魔力を通し、全身に強化魔法をかける。全身のパフォーマンスを上げ、フィールドを駆け回りながら、瞬く間に五個のフラッグを破壊した。


(ジュン、ギアを上げるわ。お願い)

(了解)


 ジュンが鉄扇を開き、魔力を練り始める。


 彼の持つ『魔術』の因子をもとにしたアクティブスキル、『宿曜占星術すくようせんせいじゅつ三九秘宿さんくのひしゅく』。

 対象の星を調べ、その間にある運勢を占う占星術である。

 これを元にして、互いの関係性から対象への強化や弱体を行うのが、ジュンの魔術だった。


 悪い星が出たとしても、それを良い運勢へと転換させるのが占星術の奥義である。そうした手順を踏んだ強化のは、単純な魔力による強化よりも、概念的に高ランクの強化となる。


 魔法が法則ルールであるのに対して、魔術は技術スキルである。


 自身の魔力オドを使わずに、ただ知識と行動のみで大源マナを動かすその技術は、現代にも伝わる技法ではある。

 しかし、魔力持ちが台頭している現代では、その純粋さは失われている。今では、一部の魔力運用に傷害のある人や、ファントムのような存在くらいしか利用しない、古典魔法となってしまった。



 ジュンのアクティブスキルによって星の加護を得たハクアは、ファントム顔負けの動きでフィールドを駆け回り、フラッグを破壊していく。

 このまま外周エリアを一周してしまいかねないほどのスピードで、彼女は駆け回る。


 と、その時。

 戦況が動いた。


 中央エリアで、大きな衝撃音が響いたのだ。


 見てみると、中央でジュンと冬空テンカが戦っていた。


 場所は、モノリスの直ぐ側である。

 テンカが召喚したのであろう、巨大な氷の槍が連続で叩きつけられており、フィールド中が穴だらけになっている。案の定というべきか、速攻でオープニングフェイズを終わらせようとしているようだ。


(無駄よ。防戦に徹したジュンを下すのは、難しいんだから)


 宿曜占星術のみならず、風水すらも含めた、運勢そのものを味方につけた魔術。それを突破するには、それ以上の神秘性が必要となる。

 冬空テンカの神秘性はCランクだった。最低でもAランクはないと超えられない壁なので、話にならないといえるだろう。


(オープニングフェイズはあと一分半……これなら、あと十点はいけるかな)


 スコアを見ると、11対3となっている。


 まだフラッグは16点分残っている。

 中心エリアをまだほとんど狙えていないので、そろそろそっちへと意識を向けなければ。


 そう思っていると、唐突にアナウンスが流れる。




『すべてのフラッグが破壊されました。二十秒後、メインフェイズへと移ります』




「えっ!?」


 驚愕に目を丸くして、ハクアはスコアボードを見上げた。



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