4‐7 好きになりたい気持ちに嘘はない




「まあ、相手が悪かったわね。だから、あんまり落ち込まないでいいのよ?」

「……タカミさんで八人目ですよ。そう言って慰めに来たの」


 ちなみにテンカのことはカウントしていない。


 そんなわけで、矢羽タカミが、気遣わしげな顔で様子を見に来てくれた。

 よっぽど落ち込んでいると思われているのだろうか。いや、確かに先ほど、テンカに言われたことで本当に落ち込んでいるので、間違いではないのだが。


 ずーんと気を落としているコウヤを前にして、タカミは困ったように顔をしかめる。


「どうしたの? チハが言ってたとおり、本当に落ち込んでるの?」


 正面に座って話を聞こうとするタカミに、コウヤは言いよどみながらも答える。


「いや、ちょっと別件で。……テンと、ちょっと揉めちゃいまして」

「ん? テンカちゃん? なんであの子の名前が出るのよ」


 意外な名前が出てきて、不思議そうな顔をするタカミ。


 そんな彼女に、コウヤは簡単に事情を説明した。

 バディとしてゲームに参加することを、断られたこと。ファントムと魔法士のバディ契約について、彼女の考えを聞かされたこと。


 それらを一通り聞いて、タカミは困ったように息を吐いた。


「なるほどねー。確かにそんなこと言われたら、コウヤくんの立場だと堪えるわよね」

「タカミさんはどう思います? テンの言うこと」

「私? まあ、テンカちゃんのいうことも、間違ってはないと思うわよ」


 あっさりと、彼女はそう言った。


「今のコウヤくんだからいうけれど、私達ファントムは、どんなに言い訳を重ねても、所詮は霊体にすぎないからね。幸い、現代では人権が認められているから最低限の生活は保証されているけれど、時代が時代なら、いつ始末されても文句は言えない立場なの」


 霊子生体ファントム。

 人間の上位存在とは言うが、それは上位階層の住人であるというだけで、この現実の住人ではないということだ。


「君くらいの子に、種族の差を理解しろって迫るのは、酷だとは思うけどね。でも、コウヤくんなら理解できるでしょ? だからこそ、苦しんでる」

「……はい。正直、打ちのめされてます」


 ファントムという存在の真実。

 冬空テンカが、どんな気持ちで現代に存在しているのか。

 考えもしなかったそれを急につきつけられて、その認識の差にショックを受けた。


「でも、すべてのファントムが、そんなことを思って存在しているわけじゃないのよ?」


 フォローをするように、タカミが明るい声で言った。


「私なんかは、サキとの契約がなくても、このクラブでいい境遇をもらってるから、かなり満足しているし。ファントムによっては、霊体で動き回る方が気楽だって言うやつもいるしね。テンカちゃんの場合はまだ発生したばかりだから、元となった人格と、現在の霊体の間に違和感があるだろうし、ナイーブになってても仕方ないわよ」

「そういうところは、人間と同じなんですよね」

「そうね。下手に知性なんてものを持っているから、私たちは人間と同じように苦しむの。けど同時に、人間と同じように生きることも出来る」


 だから、許してあげてね、と。

 タカミはいたずらっぽく笑って言った。


「それより、私としてはコウヤくんの方も気になるんだけどね」


 コウヤの顔を覗き込むようにしながら、タカミは可愛らしく首をかしげてみせる。


「君、なんだか少し焦ってない?」

「……わかりますか?」

「まあね。これは単純に、年長者としての勘だけど」


 安心させるように微笑みながら、タカミは言う。


「相談くらいには乗るわよ。言いづらいのなら、ただの愚痴を言ってもらってもいいし。気晴らしくらいになら、付き合えると思うけど?」

「はは、なんだか、気を使ってもらって悪いですね」


 力なく言いながら、コウヤはどこまで話したものかと考える。

 しかし、そんな風に考えていながら、口は勝手に開いた。


「いろいろわかんなくなってきたんです」


 口を開けば、止まることなく自然と言葉は流れ出る。

 溜め込んでいた感情が、堰を切ったようにこぼれるようだった。


「俺は今、たしかにシューターズをやってると楽しいんですけど、その楽しいは、野球やってたときのものと、違う気がして」

「ふぅん? 違うって言うと、どういうこと?」

「野球のときは、もっとなりふり構わなかった気がするんです。それこそ、本当に四六時中、野球のことしか考えてなかった。けど、今はそこまでかって言われると、そうじゃない」

「……んー」

「比良坂を見ていると、このままじゃダメだって思うんです」


 内側に隠していた感情を晒すように、コウヤはその言葉を口にした。


「だってあいつは、シューターズのことしか考えてない。それこそ昔の俺みたいに、いつもシューターズのことを考えている。そんなやつに追いつくには、俺も同じくらいにならないといけないのに。でも、俺の『好き』は、どうしてもあいつに届かない」


 シューターズは好きだ。

 だけれども、その好きなもので、より本気で取り組んでいる人間が間近にいる。それを見ていると、自分の『好き』は本当のものなのか、自信が持てなくなってくる。


「だから、俺はもっとなりふり構わなくなるべきなんじゃないかって。もっと練習が必要だし、もっと経験が必要だ。だって、野球のときはそうして上手くなったんです。競技は違っても、同じことをすればきっと、あいつに……比良坂に、追いつけ――」

「コウヤくんは、さ」


 とめどなく本音をこぼすコウヤに、ふいにタカミが口を挟んだ。

 彼女は口元に手を当てて、どう言ったものかと目を泳がせた後、素直な疑問をぶつけるように、真正面からコウヤを見て言った。


「野球とシューターズ、どっちが好き?」

「いきなり、何を……」

「答えられないわよね?」


 口端に薄く笑みを浮かべながら、タカミは言う。


「もしかしたら、心のなかでは、どっちかを思い浮かべちゃったかな。まあ、それでもいいんだけどね。その上で聞きたいんだけど、仮に野球のほうが好きだったとして、それでシューターズのこと、嫌いになれる?」

「…………」

「なるわけない、よね」


 見透かしたように、タカミは言う。

 彼女は両手の人差し指を伸ばして、軽く振ってみせる。


「君の間違いをはっきり言うけどね。別に、シューターズを好きだからって、野球を捨てなきゃいけない理由はないんだよ」

「そん、なこと」

「君が言ってることって、そういうことじゃないかな?」


 丁寧に、ひとつひとつをほぐすように、タカミは言葉を重ねる。


「シューターズをうまくなるために、他のことを考える時間なんてなくして、なりふり構わなくなりたい。それなのに、野球を好きな気持ちが捨てきれない。私には、そう言っているように聞こえたけれど、気のせいかな?」

「………」


 いえ、と。

 かすれるような声で、コウヤは頷いた。


 そうだ。自分がずっと抱えていた苦痛の正体は、それだったのだ。


「君は大きな勘違いをしているんだよ。野球を好きなままでも、シューターズは上達できるんだってば。他に好きなことややりたいことがあっても、うまくなりたいと思って練習すれば、ちゃんと君は上達できる。だって、好きなんだもの。上達しないと嘘だわ」

「でも、それじゃあ比良坂には」

「サキのあれは、他に好きなものがないだけ」


 バッサリと、自身の相方のことを言い捨てた。


「それはそれで考えものよ。あんなの、はっきり言って視野が狭くなるだけだもん。子供の間はいいけど、大人になってもあのままだと、あの子は絶対に苦労する。もちろん、君も似たようなものだけどね」

「俺も、ですか」

「好きである条件に、他のものを顧みないなんてことを平然と言う子は、ね」


 ふぅ、と。

 長い息を吐いて、彼女はリラックスしたように言う。


「もうちょっと突っ込んで言っちゃうと、君の場合、野球を諦めようって思ってるところもあるんでしょうね。でも、そんなことをしてたら、君はこれからの長い人生で、何かをやめるたびに、その好きだった記憶まで捨てなきゃいけなくなるよ。そんなの、不可能だよ」

「………おれ、は」


 そこまで言われて、ようやくコウヤは、自分の心の奥底にある本心にたどり着いた。

 その本心は、するりと隙間を流れ出るように口についた。


「もう、俺は野球ができないんです」

「うん」

「腕はダメになったし、魔力持ちで公式戦には出れない。親からも、もう野球はやらないだろって言われました。あんなに好きだったのに。あんなに、毎日やってたのに」

「うん」

「でも、そんな俺でも、シューターズなら出来るんです。やっていて楽しいし、どんどん好きになる。だから、もっと好きになりたい」

「なら、それで答え出てるじゃない」


 あっさりと、タカミはいった。


「野球も好き。シューターズは好きになりたい。それで良いじゃないの」

「……そんなので、いいんですか?」

「良いのよ。別に、野球ができなくたって、野球を好きなままでいれば良いんだから」


 それは――

 コウヤの中に、不意を突かれたような感覚が浮かんでくる。

 それはまだ微かな感覚に過ぎないが、何か、決定的な答えものをもらったような気がした。


「まあよく勘違いする人がいるけどね。好きなものって、両立できるんだよ。そりゃあ、そこに優先度はあってもね。別に君だって、野球が好きだからって、好きな食べ物を嫌いになるなんてことないでしょ? それとおんなじ」

「……なんか、詭弁臭いですよ、それ」

「あら、詭弁なんて難しい言葉知ってるんだ。えらいえらい」


 いきなり頭を撫でられた。

 真面目な話をしていたからか、まるでそれをごまかすかのように、タカミは大げさにコウヤの頭を撫でてみせる。なんだか子供扱いされているようで気恥ずかしい。


 その手から逃れようとするコウヤに、タカミはニヤニヤと楽しそうに言う。


「悩むのは良いことよ。けど、それで壊れるのは良くない。だって君はまだ若くて子供で、これから嫌って言うほどそういう経験をしていくの。一回二回で死ぬほど悩んでたら、時間も命も足りないでしょ」

「嫌というほど……そう言われると、なんだか怖いですね」


 今ですら、こんなにも死にたいくらい苦しいのに。

 その言葉にしなかった気持ちも、タカミはお見通しであるかのように、優しく微笑んだ。


「ま、それはそれとして」


 パンと、手を叩いて気持ちを切り替えるように言う。


「君がシューターズの上達を焦ってるのは、サキとの間に実力差を感じてるからよね。んー、魔法の才能のこともあるけど、そもそもあの子は、小3の時からシューターズの練習やってるから、いきなり追いつくってのは難しいけどね」

「そう、なんですよね。だから、少しでも練習して、追いつかないと」

「ほんとは、そういう風に自分を追い詰める所も、君の悪いところなんだけどねぇ。まあ、今のところは、夢中でやれるんならいっか」


 そこまで言って、「ふぅむ」とタカミは腕組みして考えるポーズを取る。

 そして、一つ提案をしてきた。


「なんなら、バディ戦、私が一緒にしてあげよっか?」

「え……?」


 意外な提案に、驚いてすぐに返答ができなかった。

 これまで、キサキとしか組んだことのないタカミが、どういうつもりだろうか。


「コウヤくんだと、魔力量が不安だから、いくつかスキルは封印しなきゃいけないけど。普通にバディ戦をやるくらいなら、なんとかなると思うわよ。まあ、ハクアちゃんのバディはかなり強いから、勝つのは無理だけど、いい経験にはなるだろうし」

「そ、そりゃあうれしいですけど。でも、タカミさんは比良坂のバディじゃないですか。そんなの、良いんですか?」

「サキとは仮契約だし、他の人とバディ組むこともないわけじゃないのよ。遠征とか討伐任務のときは、フリーの魔法士と一時的にバディを組むしね。まあ、問題はやっぱり、コウヤくんの魔力量の方だけど……私は燃費が良いほうだけど、ミドルランクだからパッシブスキルだけでも、気を抜いたら一気に魔力持っていくからね。サキはそういった訓練もしているけど、コウヤくんは大丈夫かな」


 どうしたものか、とタカミは具体的なことを考え始めた。


 その様子を見ながら、コウヤは嬉しさの反面、本当にこれでいいのだろうかと思っていた。

 確かに、タカミのようなベテランに手助けしてもらえるのは嬉しい。しかし、ベテランであるからこそ、タカミの方がメインで、自分の戦いは出来ないのではないか。


 コウヤはその考えに頭を振る。

 そんなことを考えるのは、まともに実力をつけてからだ。今はとにかく、経験を積める機会を逃すべきではない。


 そう、考えたときだった。




「ちょっと待ってくださいまし。お姉さま」




 ロビーの扉を乱暴に開けながら、実体化したテンカが現れた。


 彼女はカツカツと靴音を響かせながら、二人に近づいてくる。


「そこにいるポンコツに、お姉さまが手を貸す必要なんてありませんわ。彼に、お姉さまを十分に活躍させるだけの器量があるだなんて、思えませんもの」

「テンカちゃん。あなた、いきなりどうしたの」

「気に食わないから、戻ってきただけですわ。気にしないでくださいまし」


 テンカはコウヤの真横に立つ。


 彼女の姿を、コウヤは直視できなかった。先ほど浴びせられた言葉が胸に蘇る。そのときに出来た溝は、子供のコウヤには、すぐに埋めるのは難しかった。


 しかし、その大きなハードルを、テンカは安々と超えてくる。


「鏑木コウヤ」

「……なん、だよ」

「わたくしは、貴方のことを、別になんとも思っていませんわ」


 はっきりと、テンカは思っていることを口にする。


「貴方はわたくしにとって、どうでもいい存在ですわ。バディを組むのも、都合がいいから利用しているだけで、別に貴方に仕えようだなんてこと、欠片も思っていません。だから、わたくしは自分のためだけに、戦うのですわ」

「……それは、さっき聞いたよ」


 さすがに、かちんと来た。


「だからどうしたってんだ。改めてそれを言いに来るなんて、まだ言い足りないのかよ」


 コウヤは顔を上げて、懸命にテンカを睨みつけた。


 悔しかった。

 認められないことも、実力がないことも。それを意識するのは、体の内側から八つ裂きにされるような苦しさだった。

 浮かびそうになる涙を必死でこらえながら、八つ当たり気味にテンカを見上げる。


 そんな彼を見て、テンカはうっすら微笑む。


「いい顔ですわね。そういう必死さ、実に貴方らしい。ほんと、嫌気が差しますわ」

「ああそうかよ。俺だって、お前みたいなやつは――」

「繁華街の駅近くに、かき氷屋さんがあるのですわ」

「――気に入ら……え? なんだって?」


 今、よくわからない単語が聞こえた気がする。

 呆然としたコウヤに向けて、テンカは髪をいじりながら、軽く顔を背けて言った。


「年中やっているかき氷屋さんですわ。冬でも、デザートメニューを提供していますの。すごく美味しいと評判で、一度食べてみたいと思っていましたの。一人で行くには遠すぎて、実体化が持たないので諦めていたんですわ」

「………は?」

「察しが悪いですわね。この唐変木」


 ジト目を向けるその頬は、微かに上気しているのが見えた。

 彼女は真正面からコウヤを見ると、指でいじっていた黒髪を軽く流しながら言う。


「交換条件ですわ。協力して差し上げると言っていますの。お姉様より、わたくしの方が貴方にとっては使いやすいんじゃなくて?」

「いや、でも、お前……」

「それとも、こう言って欲しいんですの?」


 一瞬目をそらしながら、彼女は言いよどみつつも言った。



「先ほどは言いすぎましたわ。このままだと気分が悪いので、条件付きで協力して差し上げます。……これでどうですの!?」



 真っ赤に染まった顔で、コウヤに詰め寄るテンカ。

 目を白黒させるコウヤだったが、それを見て、隣からクスリと笑い声が上がる。


「だそうだけど、コウヤくんはどう?」

「どうって……」


 逃げるようにタカミの方を見た後、恐る恐るテンカを振り返る。


 そこにいる、顔を赤くして、心細そうに手を震わせている少女の姿を見て、他に出てくる言葉なんてなかった。


 頭を下げながら、あらためて、やり直しを行った。


「悪かった。挽回のチャンスをくれ」

「了解ですわ。存分に利用して差し上げるので、覚悟なさい」



 どちらともなく、互いに手を伸ばして握りあった。

 その手は、ひんやりとしていながら、ほのかに熱を持っているのを感じた。





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