第106話 ミヤモト・ライカに花束を。

 青々とした自然の景色。森の木々は風に吹かれ、木漏れ日は草木を照らす。

 世界は冷酷だ。俺の手元はこんなにも真っ赤な血の色に染まっているのに、周りの木々はそんな事ともお構いなしに平然と生い茂っている。


 あれから、どれくらいの時間が経ったのだろうか。タイムマシンに乗って見知らぬ森の中に転送されたばかりの時は、まだライカの意識もあったし、助けを呼べるだけの大声も出せた。だけど、どれだけ止血を試みてもライカの血は止まらないし、スマホの非常電話も繋がらない。結局叫び続けて涙も声もすっかり枯れてしまった。


「……ごめん。」

 俺は動かなくなった彼女の手を握り、掠れる声で謝った。彼女を救う為に出来る限りの手は尽そうと頑張ったのに、結局俺に出来た事は気持ちだけの応急処置と、無人の森で子供みたいにアホらしく泣き叫ぶ事くらいだった。


 もしも時が止まるのなら、このまま気の済むまで永遠に俯いていたい。あるいは今すぐ時を遡ってやりたい。遡って遡って、この最悪な結末をヒーローのように鮮やかに覆してやりたい。

 けれど、世界はそう簡単に俺をヒーローに仕立て上げてはくれなかった。彼女の傍らで泣き崩れているだけの俺は、空が夕暮れになっても結局その場から立ち上がることすら出来ていない。

 「……ライカ。」

 もう、飽きるくらい何度も彼女の名前を呼んだ。何度も言えばそのうち一度くらいは返事が返ってくるんじゃないかと、バカみたいな希望を懐きながら呼んだ。彼女がもう返事をしてくれないと理解していても、それでも俺は彼女に通じそうな話題を出して会話を交わそうとした。それはたとえば魔術とか、味噌チャーシューラーメンとか、大学で起きたいろいろな出来事の話だったけど、結局どれもフーカの話に行き着いてしまったので、俺は一人で虚しく笑った。


 夕日が沈み、森はだんだんと薄暗くなる。辺りに民家の明かりは見えない。完全に自然のままの夜だ。都会じゃ全然聞かない鳥や獣の鳴き声も聞こえる。

 この森は一体どこだろう。位置を確認しようにもスマホは圏外だし、時計も完全に狂ってる。過去に飛んだ事は覚えているが、そもそも今は何分前の世界なんだ?五分前なのか?五時間前?五年…いや、それよりもずっと古い時代に飛ばされてしまったのか…?ああもう最悪だ。元の時代に戻る方法もすっかり聞きそびれてしまった。


 草がざわめく音。誰かが近くに居るのかと思い辺りを見回すと、闇夜に光る黄色い目がちらりと見える。まさかとは思ったが、それらの目は全てイービスマロック─数百年前に絶滅するまでイービストルムに生息していたとされる大型の狼の群れだった。

「……く、来るなっ!!」

 俺はブリンガーを手に取り、火を灯したそれを振り回して威嚇する。だがマロックの群れは少しも引き下がろうとせず、炎の届かない距離からこちらの様子を虎視眈々と伺っている。

 向こうの数は五、六匹。対するこちらは俺一人。囲まれたこの状況で少しでもスキを見せれば、奴らは最も警戒の浅い背後から俺たちを噛み殺しに来るだろう。

 もちろん、大人しくエサにされるつもりはない。相手は所詮獣だ。むしろ炎術の試し撃ちに丁度いい的じゃないか。


「……死ねよっ!!!」

 俺は燃え盛るブリンガーを派手に振り下ろし、狙いをつけず手当り次第に炎を撒き散らした。無様すぎる自分への憎しみを、まとめてコイツらにぶつけてやる。

 うっぷん晴らしの動物虐待はいい気分だった。炎弾に直撃したマロックは「キャン!」と甲高い鳴き声を上げ、その一声で他のマロック達は蜘蛛の子を散らすように逃げて行った。当然それでは気が治まらないから、俺は逃げ遅れた最初のマロックに炎弾を何度も浴びせ、暴れ狂うソイツが焼き焦げるまで燃やし続けた。


「……は…ぁっ。」

 気付けば、目の前には黒焦げになった狼の屍が落ちている。自分でやった事なのに、なぜだか手は震えているし、高まる鼓動も収まらない。

 俺は怯える自分に問い質す。どうして罪悪感を感じる必要があるんだ?コイツは俺たちを襲おうとしたんだぞ。殺られる前に殺るのは当然の事だ。コイツらが話の通じる人間でもない限り、俺の行動には正当性がある。…そう、これは正当防衛なんだ。


 ……はあ。虚しい。俺は深いため息をついてその場に倒れ込んだ。もう目を開く気力もないし、開こうと思う意思もない。

 何かを変えたいから主人公に憧れたのに。結局俺はスタート地点に立つ事すら出来ずに何もかもを失ってここへ来てしまった。


 これ以上、独りぼっちで生きるのは虚しいよ。ライカ。


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 朝を告げるやかましい鳥の鳴き声が聞こえる。嫌いじゃない音だ。こんなに心地良い目覚ましはいつ以来だろう。最近はもうスマホのアラームでしか目を覚ましていない。

 …そういえば、スマホはどこにやったっけ。俺は毛布から手を伸ばして枕元に置いてあるはずのスマホを探す。だが、枕元の様子がいつもと違うような気がする。

「……は?」

 寝惚け眼を擦り、寝心地の悪いベッドから体を起こして辺りを見回すと、そこは見覚えのない古めかしい民家の一室だった。

 今の状況を理解するまでに、それほど時間は掛からなかった。この部屋の前時代的な内装と、先ほどまでの出来事を冷静に思い返せば、ここが過去の世界だと言う事もすぐに納得出来る。納得出来てしまうから、余計に悔しい。

 俺がここに居る真実は、すなわちあの日起きた出来事を証明する真実。タイムトラベルも。ライカの死も。何もかもが夢ではなく、現実で起きた出来事。そう知っている以上、あれらはまぎれもなく真実なのだ。


「……ライカ。」

 俺はふと、ライカの名前を呟いた。彼女に対して深い思い入れがある訳でもないのに、やっぱり死んだ彼女の事を考えると、本当にどうしようもなく悔しくなる。この悔しさはもう、折り合いが付かないまま一生引きずってゆく事になるのだろうか。

 出来るものなら何もかもを忘れ去りたい。そう思いながら俺は毛布に潜り込み、静かに目を瞑った。


「ねえねえねえねえ!?」

 俺の耳元で誰かが叫んでいる。何事かと思い慌てて目を覚ますと、そこにはベッドの上で馬乗りになって俺に顔を近づける青い髪の少女の姿があった。

「ねえねえ生きてる!?ねえ!?」

「…ちょ!?」

 少女は寝起きの俺の肩を揺さぶり、それから頬をベシベシと叩いてくる。こっちはとっくに目を覚ましているにも拘らずだ。

「や、やめ…ろ!」

「あっ、生きてた!!やっぱり生きてた!!」

 俺の声を聞いて何故か無性に喜ぶ少女。そんなに喜んで貰えるのは光栄だが、出来れば今すぐにでもベッドの上からどいて欲しい。はっきり言って…このままだと肋骨が折れそうだ。


「…ごめんごめん!つい乗っちゃった!」

 少女はベッドから飛び退き、振り向いて俺にニッコリと微笑む。それにしてもノスタルジー溢れる歴史的な衣装だ。服の歴史には詳しくないから何とも言えないが、ボロでもなく新品でもないこの服は、とりあえず短い二つ結びの髪型をした青い髪の彼女にはよく似合っていた。

「ねえねえ!あなたの名前は!?どこから来たの!?お腹空いてない!?」

 少女は目をキラキラと輝かせながら、ひと呼吸のうちに大量の質問を俺にぶち撒ける。そう言えば、あれから半日近く何も食べていない。

「…腹減った。」

「じゃあ!じゃあ!これ持ってきたから食べてね!!」

 そう言って少女が差し出したものは、何かの肉のステーキとキウイドリンクだった。

「これ、あなたの仕留めたマロックだよ!!」

 少女がステーキを指差して言う。…そうか。あの時黒焦げにしたやつか。


(…まずっ。)

 肉を食った俺は、予想以上の血生臭さに顔をしかめた。おまけにキウイドリンクもやけに酸っぱい。これじゃキウイ好きのきうきうでも食えやしないだろう。

「それでさそれでさ!あなたの名前は何!?」

「んぐ…、俺はアルクだけど。そう言う君は?」

「ジョアンナ!私はジョアンナ・チャフィーだよっ!!」

 ジョアンナは大きく両手を広げ、スシっぽいポーズをとった。それから彼女は自分がこの荘園で一番大きい農家の生まれであることや、何やら俺の事を異国の王子か何かだと思いこんでいる旨を教えてくれた。確かにこの時代錯誤な制服じゃ、どこぞの王族と勘違いさせてしまうのも仕方ない。俺を助けたのもきっと、恩か何かを着せる為なのだろう。


「…なあ。」

 俺は一人で喜ぶジョアンナに尋ねる。こればかりは聞きたくない事だけれど、今ここで聞くしかない。


「俺と一緒に居た、黄色い髪の女を知らないか?」

「あっ……。」

 ジョアンナの表情から笑顔が消える。それから彼女はしばらくの間、口をつぐみ、きっと俺に手向ける言葉を一生懸命選んでからこう答えた。


「……あの人は、静かに眠っているよ。」

「……そうか。」

 ジョアンナの言葉に、俺は淡白な返事をした。何も感じない訳ではないけど、何かを感じられるだけの心は、きっとあの日、あの瞬間に失われてしまったのかもしれない。

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