エンオーザー山脈の決戦(2)

「久しぶりだね」

「久しぶりですね。」


 誰かの声が聞こえる。見知らぬ少年と、少女の声だ。

 俺は目を開き、静かに辺りの様子を伺う。どうやら俺は真っ白な花畑の上で仰向けになって倒れているようだ。


「……白い。」

 それが、俺の率直な感想だった。あれだけ派手に潰されて死んだのだから、ここが死後の世界だという事もすぐに理解出来る。悔しいけど、やはり死を受け入れるしかないのかもしれない。


「大きくなったね。」

「大きくなりましたね。」

 子供の声が耳元に響く。知らない声のはずなのに、何故か懐かしさを感じる。彼らとは以前どこかで面識があったのだろうか。思い出せそうなのに思い出せなくて、頭の中がもやもやする。


「誰だ?」

俺は立ち上がり、辺りを見回して少年と少女の姿を探す。しかし二人の姿はどこにも見えず、周囲には色褪せた石柱が幾つも並んでいるだけだ。


「どこにいるんだよ?」

「ここにいるよ。」

「ここにいます。」

 白い花畑を風が通り過ぎる。無数の花びらが空を舞い、舞う花びらが俺を振り向かせる。風の吹く先に立っていたのは、二人の子供だ。


「死んでしまったようだね。アルケイド。」

「死んでしまいましたね。アルケイド」

 黒い服の少年と白い服の少女は、互いに互いの言葉を復唱する。彼らの表情は年相応の無邪気な子供ではなく、まるで表情を形作られただけの人形のようだ。喋り声も淡白としていてまるで子供らしさがない。


「…君たちは誰だ?ここは死後の世界なのか?」

 俺は尋ねる。死後の世界の話は本でいくらか読んだ事があるが、どの本にもこんな白い花畑の事は書かれていなかった。


「僕たちは君の歴史を傍観する者だ。」

「私たちは貴方の歴史を傍観する者です。」

 復唱する二人。彼らは俺の質問に丁寧に答えてくれた。

「ここは歴史の外側だ。歴史上の君は死んでしまったけど、外側の君は今も生きている。」

「要するに、今の貴方は歴史という舞台劇を傍観する観客席にいるのですよ。」

「……観客席?」

 俺の問いかけに、二人は頷いた。彼らは舞い散る花びらを空に巻き上げ、真っ白な空の彼方に大地の景色を映し出す。

 間違いない。映し出されたのはエンオーザー山脈の光景だ。渓谷の形も、砦の位置も、俺の知る地図と完全に一致している。どういう仕組みかは分からないが、劇のように地上を見上げる事が出来るこの場所は確かに歴史の観客席と呼ぶには申し分のない場所かもしれない。

「……!」

 拡大される景色に三機の巨大な鋼鉄鎧の姿が映る。…俺を殺した三人だ。奴らは渓谷を迂回してトルデ砦へと向かい、俺を殺した鋼鉄の腕で守りの薄くなった砦の城壁に集中攻撃を仕掛けている。


「やめろ……。」

 声が漏れた。指先が震える。息が苦しくなる。…何が舞台劇だ。これ全部、俺の生きた世界で起きている現実の出来事じゃないか。

「やめろ…!やめてくれ…!!」

「無理だよ。君の声は届かない。」

「傍観者に、歴史を変える事は出来ません。」



「……。」

 戦争の結末は、見ていられないほど散々な有様だった。防衛の要となるはずのトルデ砦はあっけなく陥落し、渓谷にはテオリア兵の死体が山のように積み重なってゆく。俺はそんな絶望の光景を見返し、目を逸らす度に、何も出来ずに死んだ自分が堪らなく憎くなった。

「これが、君の死ぬ歴史の結末だ。」

「これが、貴方の死ぬ歴史の結末です。」

 空を舞う花びらが消え、エンオーザーの山脈が見えなくなる。無力な自分が憎いだけなのに、悔しさの涙が止まらない。


「…でも大丈夫。君には時間を巻き戻す力がある。」

「貴方はこの絶望の歴史を覆す事が出来るのですよ。」


「……だったら、その方法を今すぐ教えてくれ。」

 俺は俯く顔を上げ、溢れる涙を拭う。二人の言葉が真実なら、泣いているだけ時間の無駄だ。この時が巻き戻るのなら。歴史を覆す事が出来るのなら。その為なら俺は何だってやってやる。


「なら呼び覚ませばいい。記憶の剣を。」

「では呼び覚ましなさい。歴史の剣を。」


「歩んだ人生の思い出を込めて。」

「過ぎた日々の切なさを込めて。」


「君の生きる理由を、その手に。」

「貴方の生きた証を、その手に。」


 俺は真っ白な空に手を掲げ、祈るようにして呟いた。

 呼び覚ます為の言葉は既に知っている。

 なぜかは分からない。けれども俺は──それを知っている。



「……来い。『アーク・オブ・タイム』。」



 トルデ砦の城壁の上に立ち、腕を組んで一人静かにエルシェンバラの夜空の眺める。涼しい風が黒の髪を戦がせ、二対の角は風を切り、尾が靡く。

 天の光は全て星。そんな言葉を聞いたことがある。星は途方もなく遠い場所からこちらを見下ろしていて、どれほど手を伸ばしても指先一つ届かない。天と地を隔てる夜空はまるで、劇場の役者と観客を隔てるプロセニアムアーチだ。


「アルケイド!偵察終わったよ!」

 俺の頭上を黒い影が通過し、黒い翼の鳥人、『フリンピーノ』が舞い戻る。噂をすれば夜空の星に最も近い奴が帰ってきた。

「なあフリンピーノ。」

「うん?」

「いや、…やっぱり何でもない。」

 口を閉ざす俺を見てフリンピーノは首をかしげた。別に大したことじゃない。うっかりして同じ事をもう一度聞いてしまいそうになっただけだ。


 ──同じ事を?


「それじゃボク、偵察の結果を報告してくるね!」

「ま、待ったフリンピーノ!!」

「え、えぇ!?」

 何度も何度も呼び止められ、いよいよ困り始めるフリンピーノ。確かにやたらと呼び止めたのは悪かったと思ってる。だが、俺にはどうしても今すぐ確かめたい事があるのだ。


「なあお前、偵察から戻ったばかりだよな?」

「そ、そうだよ…!?」

「まだ誰にも結果を話してないんだよな!?」

「も、もちろん!!」


「なら教えてくれ!!敵の兵力はどれくらいなんだ!!?」

「え…!?あ…、じ、10万!!!たいだい10万だよ!!」


 10万。答えは俺の予想通りだった。

 やはり間違いない。あの光景は夢でも幻でもない正真正銘の現実だ。剣を振りかざした俺は、本当に時間を巻き戻して自分が死んだ事すらも無かった事にしてしまったのだ。


 煌めく夜空の下。ここに立つ俺は未来が分かる。この先に待ち構えている運命も、俺たちが超えるべき絶望も。




「それにしても、14年ぶりだね。」

「14年間。よく無事でいてくれましたね。」

 二人の子供がゆるやかな表情で微笑む。それは、人形と呼ぶにはあまりにも出来過ぎた感情表現の仕方だった。


 彼の人生に死は許されない。彼の英雄譚は終わらない。その身を何度焼き尽くされようとも。希望の器に絶望が満ち足りるまで。未来永劫の剣が彼を生かし続ける。


 たとえそれが、幕開けや帰結の消失した──行き詰まりの年代記デッドロック・クロノロジーだとしても。

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