第144話 スツール(9)

 その日の夜中。

 私はタオルケットに包まって、ベッドの上に居た。


 ベッドの端っこの方にそう君が座っている気配がある。義足を外しているらしい。何回か気を遣ったような物音がして、それから一度、ベッドが傾ぐ。ぎしり、と音がしてタオルケットがわずかに持ち上がって総君が潜り込んできた。


「あ……、あのね」

 もぞもぞと近寄ってくる総君に、私は声をかける。


 薄い闇の中でも、はっきりと総君の鳶色の瞳が見えた。豆電球の光を帯びて、朽葉色をしているその瞳には、私がぼやりと映っている。


「どうしたらいい?」 


 総君の目に映る私の唇が開き、気付けばそんなことを尋ねていた。総君はどこかきょとんとしたように私を見つめ、それからシーツに横向きに寝転がった。


「どうしたい?」

 そう言う私の声は震えていて、なんだかみっともなかった。もう、喋らないでおこうと思うのに、口は勝手に開いてやっぱり、総君に尋ねる。


「どうしたらいい?」と。


 嫌われたくなくて、離れていって欲しくなくて、ただ側にいてほしくて。

 だから私は、どうしたらいいのだ、と彼に尋ねる。


 尋ねる唇も喉も心も震えているから。

 宙に放り出された言葉はやけに不安定で、頼りない。

 こんなことではいけない、と唇をぎゅっと一度噛み締めた。


 目を強く閉じ、小さく、だけど深い呼吸をする。心を決めて、私は再度口を開いた。


「ねぇ、総君」


 どうしたい。そう言おうとしたら、ベッドがわずかに傾ぐのを感じる。

 反射的に目を開いた。


 離れて行ってしまう。

 咄嗟にそう思った。


 ベッドから降りて、服を着て、出て行く総君の姿が見えた。

 ―――― 気がした。


 タオルケットを剥いで上半身を起こし、舌打ちをする総君の姿が見えた。

 ―――― 気がした。


 だけど。

 実際には。

 肘から先の無い左腕で体を支え、わずかに上体を起こした総君が。


 顔を近づけて私に口づけをしていた。


 右腕を伸ばし、私の肩を抱いていた。


 ぎゅっと。

 総君の節くれだった細い指は私の肩を抱いていて。


 総君の唇は、私がもう、これ以上何も言わないように自分と重ねていた。


 私は恐る恐る総君に腕を伸ばす。

 伸ばすまで。

 自分の腕がどこにあるのか気付かなかった。


 自分で自分を掻き抱いていた腕は、ようやく解けて、総君に向かって伸びる。


 総君が甘く私の唇を噛み、私は少し口を開く。総君の舌が柔らかく滑り込んできて、私の舌先はそっと彼の舌に触れた。


 総君の体を抱きしめ、私はようやく、彼が今晩どこにも行かない事に気付いた。


 ずっと、私の隣にいてくれるのだ、と初めて安堵した。

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