第――話 私が好きなもの

 王都に存在するヴェルニクス教の総本山。

 小高い丘に鎮座する荘厳たる大聖堂に、水滴の零れる音が静かに響いた。


「さ、流石はS級冒険者であり……最下層探索者でもあるアルディノ=メーヴェ……やはり……本物には敵いませんねぇ……かはッ」


 赤く染まった腹部を押さえながら、地面へとへたり込んだシャナウ。

 ズリズリと後退すると、祭壇に背中を預けて力ない笑みを浮かべる。


「はぁ、はぁ……決着は……つきました。約束どおり……魔素溜まりがある場所を教えて下さい」


「どこだと思います?」


「そんな問答をしている時間はないんです!」


「……貴方の……貴方の目の前にありますよ」


「目の前……――まさか!?」


 僕は即座に魔力感知を展開すると、祭壇に置かれた女神像を調べ始める。

 すると、女神像の両手におさまっていた宝玉内で、異常量の魔素が渦巻いていることに気付く。


「い、今までこんな反応は示していなかったのに……」


「そうなるように……結界を構築していましたからね……気付けなかったのは仕方のないことで……貴方の失態ではありませんよ……」


「慰めなんて必要ありませんよ……でも何故? 急にこのような反応が……」


「充分に熟した……からですよ」


「充分に……熟した?」


「ええ……私が想定する大きさ……この王都を容易に消し飛ばせる大きさに……発見されたところで手出しが……手出しができない状況まで熟した……だからこそ結界が破壊され……その存在を露わにすることになったのです」


「……今、結界が破壊されたって言いましたか?」


「どうやら……察してしまったようですね? 貴方が想像していることは正解で……結界の破壊という事象は……ソレを加速させるための重要な要素で――」


「暴発までの猶予はッ!?」


「――十分前後。と、いったところでしょうか」


「十分前後……」


 そう反芻した僕の脳内に、想像したくもない光景が映し出される。

 同時に、その光景を回避するために高速で思考を回転させるのだが、時間も人手も足りないという現実を突き付けられ、思わず乾いた笑みを浮かべてしまう。


「はぁはぁ……ここで助言をひとつ」


「……いりませんよ」


「『小』を取れば良いんですよ……貴方ほどの実力があれば可能ですよね?」


「……」


 確かに可能だった。

 僕が本気を出せば家族や仲間たちを――愛しい我が子たちを連れて王都から避難することも可能なのだろう。

 だが、その選択肢を選んでしまった場合。

 人々を見捨てて避難するという選択肢を選んでしまった場合。

 僕はきっと――

 

「人々を助ける為……自ら魔女になった人に顔向けができない」


 だからこそ僕は、避難するという選択肢を捨てて覚悟を決める。


「『木星黒球』」


 僕は大聖堂の天井に大穴を開けると、革の腰袋から転移魔法陣の刻み込まれた鉄球を取り出す。


「鉄球に『重解』を付与。一層、二層、三層、四層――十層ッ!!」


 幾層もの付与が施されることになった鉄球。


「飛べッ!」


 宙に投げられた鉄球は、一層、二層、三層と『重解』が展開する度に上昇して行き、雲に小さな穴をあけたところで十層目が展開。それを力場にして遥か上空に留まった。


「これで準備は整った。後は――」


 僕はシャナウに対し、真剣な眼差しを向ける。


「幾つか約束してくれませんか?」


「……約束ですか?」


「魔素溜まりの暴発から人々を守ることができたのなら、反体制側を率いている聖教騎士団を撤退させ、革命の名の下に暴徒化している民衆の沈静化に励むと。そして、それを無事に終えることができたら、然るべき場所で、然るべき裁きを受けるということを」


「できないと言ったら?」


「この場で殺すだけです」


「なるほど……清だけではなく濁の味も知っていたようですね……」


「それなりの経験は積んでいますから。それで、約束はしてもらえるんですか?」


「構いませんよ。元より……この暴発で捨てるつもりの命でしたからね。本当に人々を守りきることができたのなら、私のおまけにも満たない余生を約束の為に費やしてあげますよ」


「その言葉、信じますからね」


「ええ……お好きにどうぞ」


 事実、それは確証の無い約束で、疑ってかかるべきなのだろう。

 だが、幾つもの会話を経て、シャナウという人物を曲りなりに知った今、『彼の矜持が、約束を反故することを許しはしないだろう』と、いった確信を抱く程度には至っていた。

 

「ところで……大層なことを口にしていましたが……算段はおありで?」


「転移魔法を使用します」


「転移……なるほど。先程打ち上げた鉄球には……転移魔方陣が刻み込めれていたのですね。ですが……それを実行した場合……ほぼ間違いなく貴方は死にますよ?」


「分かってますよ。恐らくは転移魔法を発動した瞬間に暴発が始まり……最悪は空間の狭間で、良くて上空で、最良で数瞬の猶予ののち暴発に飲み込まれて命を落とすことになるのでしょうね」


「それを理解しているから……だから私などと約束を交わそうと考えたのですね」


「ええ。諦めている訳ではありませんが……奇跡でも起きない限り、生きて帰れる可能性は限りなく低いので……」


 僕がそう言った瞬間、女神像が手にする宝玉がピシリと割れ、その奥から可視化した魔素が黒色を持って顔を覗かせた。


「ふぅ……もう時間がないようですね」


 一歩、また一歩と魔素溜まりの元へと足を進める。


「ああ……死にたくないなぁ」


 思わずそんな弱音を溢してしまうが、一度決めた覚悟は揺らぐことがない。


「メーテ……ウルフ……奇跡を起こす力を僕に……」


 そして、旅立ちの際にメーテから貰った首飾りを握りしめながら、魔素溜まりへと手を伸ばしたのだが――


「ど阿呆が」


「ど阿呆ね~」


「ぐえっ!?」


 そんな言葉が聞こえると同時に、襟を引っ張られて後方へと倒されてしまう。

 

「え? へ? なんでメーテが? それにウルフも?」


 声を聞いた瞬間、それを行った人物を特定できてしまった僕は、姿を確認する前に間の抜けた質問をしてしまう。


「ふっ。これが女の勘というヤツだな」


「? 何を言ってるの? 座標である首飾りが反応を示したから急いで転移してきたんじゃない」


「おまっ!? それは秘密だって言っただろうが!」


「――……アル。これが女の勘ってヤツよ?」


 突如として現れ、間の抜けた会話を交わすメーテとウルフ。

 僕はそんな二人の姿を見て、思わず脱力をしてしまいそうになるが、今は脱力などしている場合ではない。

 従って僕は、状況を簡潔に説明し、この場が危険であることを伝えようとするのだが――


「場所は王都、目の前には臨界点に達した魔素溜まり……中々に洒落が効いている」


 即座に真剣な表情をつくり、憎らしそうに魔素溜まりを睨みつけるメーテを見て、伝えるべき言葉を飲み込んでしまう。

 

「銀髪に紅い瞳……貴方は……貴方様は……私の……私の愛しの魔女……」


「……ああそうか……この状況の根幹は私なのだな……」


 更には、そんな一言で置かれている状況を察してしまったメーテ。

 歯がゆそうな表情を浮かべると、「お前もど阿呆だ」と、厳しくも優しい声でシャナウのことを𠮟りつけた。


「久しいな魔素溜まりよ」


 シャナウから視線を切ったメーテは、返事を返すことのない黒色へと語りかける。


「私はな。ずっと考えていたんだよ。どうすればお前の暴発を防げたのか。どのような行動を取れば王都の人々を救えたのか。そんなことをずっと――延々と考えていたんだよ。

だが、実に単純な話で、あの時の私ではお前をどうすることもできなかった……あの時の私には足りない物が多すぎた……ただただ無力な存在だったんだ」


 独白とも呼べる会話をか細い声で続けるメーテ。


「だが……」


 しかし、そう切り出した瞬間。


「それは遠い過去の話だ」


 鈴の音のような声に力強さが宿る。


『尻に敷かれる父親 編み物が得意な母親 くすんだ毛布にぬいぐるみ』


『扉を引っ掻く猫 牛乳を運ぶ青年 口うるさくて面倒やきな老婦人』


 詠唱――なのだろうか? 詠唱にしては脈絡のない言葉が淡々と紡がれていく。


『軽薄な見た目の青年 子煩悩な父親 少し不器用な二つ結びの女の子』


『故里思いの若者 隻眼の育成者 女王に憧れる少女たち』


「あっ――」


 そこまで聞いたところで僕は気付く。


『勝気な魔族の少年 奔放な獣人の少女 頭の堅い貴族の少年』


『泥臭いお嬢様 それを愛でる叔父 少女のような大家 茶を溢す見習い魔法使いとその娘』


 その多くは、僕が知る人たちを表しているのだと。

 そして、その後もサイオン家の人々やロゼリアさん。シルワやルボワ。多くの人物や物が綴られて行き――


『鼻をクンクンと鳴らす黒狼

木々を揺らす風

天に輝くまんまるの月

洞を隠す低木

揺りかご代わりの洞

そして――赤茶色の瞳をした可愛らしい赤ん坊。


七色混合無彩色魔法――『私が好きなもの』』


 詠唱が完成された瞬間、何故だか泣きそうになった。

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