第226話 宿屋の男女


「ア、アル先輩! 不甲斐ない試合を見せてしまい申し訳ありませんでした!」


「わ、私もごめなさいです!」



 場所は試合会場に隣接された休憩所。

 謝罪の言葉を口にするのはフィデルとノアで、傷ついた顔を悔しそうに歪ませて頭を下げた。



「ふ、二人が謝る必要なんてないよ!

二人とも凄く良い試合をしたんだから、頭なんか下げてないで胸を張ろうよ? ね?」



 僕はそんな二人――

 僅かに力及ばす、一次予選で敗退してしまった二人に対して励ましの言葉を掛けるのだが。



「そう言って頂けるのは嬉しいのですが……

アル先輩には貴重な時間を割いて頂いたというのに、あのような体たらくでは……」


「何度も稽古に付き合って貰ったのに、勝てなくてごめんなさい……」



 励まそうとしたのが逆効果だったようで、二人は改めて謝罪をすると、その瞳を潤ませ始めてしまう。



「け、稽古のことなら気にしないで大丈夫だって!

二人の稽古を見るのは楽しかったし、教えることで改めて学ぶことも多かったしさ!」


「で、ですが……」


「で、でも……」


「ほ、本当に気にしないで大丈夫だよ!

だ、だからほら、そんな悲しそうな顔してないで、良い試合をした事を誇ろうよ?」



 今にも泣き出してしまいそうなフィデルとノア。

 僕はそんな二人を元気づけたいと思い、僅かに腰を落とすと、そっと二人の頭を撫でる。



「……う、うぐっ」


「……ぐすっ」



 ……しかし、こちらも逆効果だったようで、薄く唇を噛んだ二人は、より一層瞳を潤ませていく。



「ちょっ!? そ、そうだ! 二人とも試合の後だしお腹が空いてるでしょ!?」

さ、さっき軽く屋台を覗いてみたんだけど、メルメの塩焼きとか串肉なんかが売ってたよ?

ほ、他にも果肉入りの果実水や飴菓子なんかも売ってるみたいだから、昼食がてらに出店を見て周ったりしない?」



 元気づけるどころか泣かせる結果となってしまい、僕はあたふたと狼狽えてしまう。

 その結果、子供騙しだとは分かっているのに、思わず安易な提案を口にしてしまったのだが……



「アルは狼狽え過ぎだし、フィデルとノアは落ち込み過ぎ。

まあ、結果だけ見れば予選敗退って形で終わっちゃったし、落ち込む気持ちも充分に分かるけどさ。

でも、良い試合をした事も確かなんだから、そこに関しては胸を張るべきだと私は思うけどね?」



 そんな僕達の姿を見て、見るに見兼ねてしまったのだろう。

 隣で話を聞いていたソフィアが、苦笑いを浮かべながら助け船を出してくれた。



「ア、アル先輩も良い試合だと言ってくれましたが……本当に良い試合を見せられたのでしょうか?」


「さっきから良い試合だったって言ってるでしょ?

実際の話、組み合わせ次第では予選を通過する実力があるようにも思えたしね」


「組み合わせ……次第ですか?」


「そうよノア。二人がいたグループの両方に前期組の最高学年が居たでしょ?

あいつ等は目立った成績こそ残せていないけど、前期組の中でいえば十本の指に入る実力者だからね。

そんな実力者を相手にして、一対一の状況に持ち込んだ上に善戦したんだから、組み合わせ次第では予選通過も充分に有り得たんじゃないかしら?」



 ソフィアはそのような言葉を掛けると、ノアの頬にそっと触れる。



「それに、アンタ達は前期四年でしょ?

席位争奪戦に出場する機会は二回も残ってるんだし、鍛練を怠らなかったらきっと本戦に進める筈よ。

だから――そんな暗い顔しないの! ほら、笑って笑って!」


「ひゃう!? ソ、ソフィア先輩!?」


「あら、ノアのほっぺっはもちもちしてて気持ち良いわね?」



 そしてノアの目尻を袖で拭うと、頬をこねくり回して強制的に笑顔をつくった。



「ほら、フィデルもやってあげるからこっちに来なさいよ?」


「ぼ、僕は大丈夫ですので!」



 続けてソフィアは、フィデルの頬にも手を伸ばそうとする。

 フィデルはそれを拒否して後ずさるのだが、学園第三席――いや、今は二席である膂力には抗うことが出来なかったのだろう。



「良いからこっちに来なさい」


「ちょっ!? ソ、ソフィア先輩!? ふぎゅ!?」


「む……フィデルのほっぺも負けず劣らずもちもちしてるわね」



 容易に手を引かれてしまったフィデルは、ノアと同様の笑顔をつくる羽目になってしまった。


 そんなソフィアの行動により、頬を擦りながら苦笑いをこぼすフィデルとノア。

 結構な力技だったし、引き出したのが苦笑いではあるものの、結果的に二人の涙を止めてしまったのだから素直に感嘆してしまう。


 その為、僕はソフィアの肩を叩くと、こっそりと感謝の気持ちを伝えるのだが。



「助け船を出してくれてありがとう。僕は狼狽えてばかりだったから助かったよ」


「気にしなくて良いわよ。後輩を元気づけるのも先輩の役目だしね。

でもまあ、どうしてもっていうなら、船賃をいただいても構わないわよ?」



 返ってきたのは含みのある言葉と笑みで――



「それじゃあ、昼食と果実水。それと食後に飴菓子なんていかがでしょうか?」


「あら、催促したみたいでなんか悪いわね?」



 僕は降参の意を込めて両の手のひらを見せると、昼食をご馳走することを決めるのだった。






 それから程なくして、僕達は屋台巡りを始める事に。

 フィデルとノアは、始めこそ同行することに対して遠慮する姿勢を見せていたのだが……



『いいからアンタ達も来なさい。さもないと――』


『『ど、同行させて頂きます!』』



 ソフィアが頬を捏ねるような手の動きを見せると、綺麗な敬礼を披露することになった。


 そうして、四人並んで屋台巡りをすることになった僕達。



「アル、ありがとうね」


「ほ、本当に僕達までいただいて良いのでしょうか?」


「お、お金なら自分達で払いますよ?」


「気にしないで大丈夫だよ。

これは頑張った二人に対するご褒美だと思って、素直に受け取って貰えたら僕としては嬉しいかな?」


「そ、そういうことでしたら……アル先輩、ありがとうございます!」


「あ、ありがとうございます!」



 昼食がてらにミートパイを購入すると、それを頬張りながら屋台を巡る。

 まあ、決して行儀が良いとはいえないし、迷惑にならないよう配慮する必要はあるが、これも一つの醍醐味なのだろう。


 などと考え、葉野菜で包装されたミートパイを頬張っていると――



「っていうか……大盛況って感じよね」



 ソフィアがボソリと呟き、僕は周囲へと意識を向ける。



「そこのお父さん! 牛串買っていってよ! 五本買えば一本おまけしちゃうよ!」


「おまけしてくれるらしいぞ? 牛串食べたいか?」


「ぼくぎゅうくしたべる〜」


「あたしもたべる〜」


「こちらでは果実水を売ってますよ〜! 試合観戦のお供に一杯いかがでしょうか〜!」


「あら美味しそうね。この葡萄の果肉入り果実水ってヤツを貰えるかしら?」


「安いよ安いよ! メルメの塩焼きがたった小銅貨三枚だ!」


「小銅貨三枚は確かに安いな! それじゃメルメの塩焼きを一つ貰おうか!」



 すると、僕の耳に届いたのは活気に満ちた人々の声。

 更には、試合会場から続くようにして、幾つもの屋台が立ち並んでいるのを再確認する事ができた。



「混雑するとは聞いていたけど、想像した以上に盛り上がってるみたいだね」


「去年開催されなかった反動なんだろうけど……例年とは比べ物にならないわね」


「そ、そんなに違うんですか?」


「全然違うわよ? 出店や来客数からして違うし、加えてこの行列でしょ?」


「……この行列って観戦目的の行列なんですよね?」


「らしいわよ? 正直、初日からこれだけの行列ができてるっていうんだから驚きよね」



 ソフィアの視線を追ってみれば、行列が伸びている事が分かるのだが、その最後尾は目視での確認が困難だ。



「さっきから目には入っていたけど……聞く話によれば大通りの端まで続いてるって話だよね?」


「正確には、正門まで伸びているのが今日の試合の行列で、大通りの行列は翌日以降の行列らしいけどね」


「翌日以降の行列か……っていうか、何で大通りに方面に行列を伸ばしてるんだろ?

学園の敷地を使えば収まるだろうし、その方が住民に迷惑を掛けないと思うんだけど?」


「本当よね。私もそれが不思議で先生に聞いてみたんだけど……

どうやら、大通り方面に行列を伸ばすように頼んだのは住民の方らしいわよ?」


「へ? 住民の方から?」


「ええ、行列を相手にすれば良い商売になるとでも考えたんじゃない?

私は確認していないから詳細は分からないけど、飲食店や特産品を扱う屋台は勿論のこと、古書や雑貨品――所謂古物を扱う出店なんかも多く並んでて、大通りは蚤の市みたいな状況になってるらしいわよ?」


「そ、それは逞しいというかなんというか……」


「ほんとよね……」



 大通りの現状を知った僕は思わず苦笑いを溢し、ソフィアも釣られるようにして苦笑いを溢す。

 そうして苦笑いを溢していると、ふと疑問に思ったのだろう。



「ところで、今日は他の先輩方はいらっしゃらないのですか?」



 フィデルが、疑問符を浮かべたような表情で尋ねる。



「他の先輩ってダンテ達のことだよね? 今は抽選をしてる最中じゃないかな?」


「抽選ですか?」


「うん。みんな席位持ちだし本戦に出場することは確定してるでしょ?

今日は本戦の出場枠を決める為の抽選があるみたいで、今はそっちに行ってるみたいだよ」


「成程。だからいらっしゃらなかったんですね」



 友人達が不在の訳を説明すると、納得したようにうんうんと頷くフィデル。



「――ちゅ、抽選中って!? お二人は抽選に行かなくて大丈夫なんですか!?」



 しかし、それも一瞬の出来事で、ハッと目を見開くと慌てた口調で再度尋ねた。



「だ、大丈夫だよ。僕とソフィアは優先枠での出場が決まってるから」


「ほ、本当に大丈夫なんですか!? ゆ、優先枠があるだなんて聞いたこと無いですよ!?」


「ほ、本当に大丈夫だよ。き、聞いたことないかもしれないけど、今年だけ適用される正式な制度だからさ」


「こ、今年だけ……ですか?」


「う、うん。去年は席争奪戦が開催されなかったでしょ?

そういう理由もあって、今回の席位争奪戦は繰り上がりで席位持ちになった人が多いんだよね。

それで、そういった人達の実力が高いことは確かなんだけど……」



 僕はそこまで話して口ごもってしまう。

 すると、口ごもった理由を察したのか、ソフィアが話の続きを引き継ぐ。



「アルが言いにくそうにしてるから私が言うけど――正直相手にならないのよ。

それもそうでしょ? 繰り上がりで席位持ちになったは良いけど、全員が本戦未経験者なのよ?

まあ、アルが言うように実力が高いことは認めるけど、それでも私達の実力には遠く及ばないわ」


「す、凄い自信ですね……」


「そう言い切るだけの努力は重ねてきたつもりだからね。

それで話を戻すけど、要するに優先枠っていうヤツは試合を盛り上げる為に設けられた制度なのよ」


「盛り上げる為の?」


「そう。例えば本戦未経験組でAブロックに固まって、Bブロックに私達が固まっちゃたらどう思う?」


「それは……盛り上がりに偏りが出てしまいそうですね……」


「そうでしょ? 全員で抽選するとなるとそうなる可能性だってゼロじゃない。

だから、トーナメントの序盤で実力者同士が潰しあわないように、両方のブロックに優先枠を設ける事になったの」


「な、成程……上位の席位持ちであるお二人がその枠に収まったということですね」


「そういうこと。

だから私達は抽選を受ける必要も無いし、本戦二回戦まで出番が無いから、こうしてアンタ達と屋台巡りができるって訳ね」



 ソフィアが説明を終えると、成程といった様子で頷くフィデルとノア。

 僕は僕で、またも助け船を出して貰ったことに、思わず苦笑いを浮かべ頬を掻いてしまう。


 そうして苦笑いを浮かべ――


『また借りが出来ちゃったな』


 などと考えていると、威勢の良い声が耳へと届く。



「そこの学生さんたち! 食後に飴菓子なんて食べたくならないかい?」



 その声に反応して周囲を見渡すが、僕達以外に学生らしき人物は見当たらない。



「えっと、僕達のことですよね?」


「そうそう、アンタ達だよ! ウチの飴菓子は絶品だから、買って損は無いよ?」


「これは……苺に飴が塗ってあるんですか?」


「苺だけじゃないよ? 他にも色々な果物があるから好きなヤツを選んでおくれ!」


「確かにおいしそうですね……じゃあ、四つほど頂いても良いですか?」


「四つ? そんなに食べるのかい?」


「ち、違いますよ! ひとつは僕で残りはこの子達の分です!」


「成程ねぇ、連れの分も驕ってあげようって訳かい?

よし、気にいった! もう一本おまけしてあげるから好きなの持っていきな!」


「ちょっ!? ありがたいけど痛いですよ!」



 そう言ったおばちゃんは、快活に笑うと僕の背中をばしばしと叩く。

 そして、僕から代金を受け取ると、注文の品を手渡していくのだが――



「お嬢ちゃんは桃で、坊やは杏だね。優しいお兄ちゃんにありがとうって言うんだよ?」


「へ?」


「え?」



 どうやら僕達を兄弟だと勘違いしたようで、フィデルとノアの口から呆けた声を引き出した。



「ち、違いますよ! 僕とアル先輩が兄妹だなんて……そ、そんな恐れ多い!」


「そ、そうですよ! お、お兄ちゃんだったら良いな〜って思ったことは確かにありますけどぉ……」 


「あら? 違ったのかい?

髪の色も目の色も似てるから、てっきり兄弟だと思ったんだけどねぇ」


「「ち、違います!」」



 兄弟であるという事を、大声で否定するフィデルとノア。

 まあ、実際に兄弟では無いのだが、「違います!」とハッキリ言われてしまうのは少しばかり寂しい。


 ともあれ、店先で大声を出してしまっては店に迷惑を掛けてしまうだろう。

 そのように考えた僕は、飴菓子を受け取ったら迷惑が掛からない内に移動しようと決める。


 すると、ソフィアも同様の考えだったようで。


 

「そんな大きな声を出したらお店に迷惑が掛かちゃうでしょ?

ほら、他のお客さんが吃驚してるじゃない?」


「す、すみません……あまりに唐突なことを言われたもので……」


「ご、ごめんなさい」


「分かったならいいのよ。ほらほら、受け取ったら横にずれなさい」



 大声を出した二人を宥めてくれたのだが……



「別に構わん無いんだけどねぇ。ほら、これは彼女さんの分」


「は、はぁ!? かか、彼女!?」



 二人よりも大きな声を出して、本末転倒ぶりを披露する。



「あ、あら? これも違ったのかい?

二人ともお似合いだから、てっきり付き合ってるんだと思ったんだけどねぇ」


「へ、へぇ~。そ、そういう風に見えるんだ?」


「そ、そうさね。で、でも違うんだろ?」


「べ、別に違うとは言ってませんけど!?」


「じゃあ、付き合ってるってことかい?」


「つつつ、付き合ってないわよ!!」


「ど、どっちなんだい……」 



 そして、訳の分からないやり取りを交わすソフィアと屋台のおばちゃん。

 その声が周囲に届くほどに大きかった所為だろう。



「あれ? あれってソフィアちゃんじゃないか?」


「まじで? 何処に居んの?」


「ほら、そこに飴菓子の屋台があるだろ?」


「おっ、まじで居るじゃん! やっぱソフィアちゃんは可愛いわ!

……てか隣に居るのって第一席じゃね?」


「まじだ……俺らのソフィアちゃんにたかる金蝿野郎まで居るじゃねぇか」



 往来する人々が店の前で足を止め始めてしまう。

 というか、僕に対する風当たりがやけに辛辣なのは何故だろう?


 まあ、それはさて置き。

 そんな周囲の状況を見て、このままでは本当に迷惑がかると判断した僕は――



「お、お騒がせしました! 僕の分の飴菓子はそこに居る子供に渡してあげて下さい!」


「ちょっ!? アル!?

何で私を抱える時だけ小脇に抱えるのよ!?」



 ソフィアを小脇に抱えると、急いでこの場を脱出するのだった。






 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆






 学園都市には幾つかの宿屋が点在している。

 庶民向けの宿屋もあれば、貴族向けの高級宿屋なども点在しており、席位争奪戦が行われる際には何処も満室になるというのが常だった。


 そんな宿屋のひとつ――安価とも高価ともいえない宿屋の一室で、一組の男女が会話を交わしていた。



「フィデルとノアは残念だったな……」


「そうね。でも頑張ってたわ」


「ああ、とても頑張っていたよ。

聞く話によれば、フィデルやノアが試合をしたのは結構な実力者だという話だからな。

「おしかったな」と慰めるよりは、「良く頑張ったな」と褒めてあげるべきなんだろうな」


「ええ、二人ともあれだけ善戦したんだもの、戻ってきたらいっぱい褒めてあげましょう」



 そのような会話を交わすと、一組の男女――サイオン兄妹の父であるシャリファと、母であるグレイスは優しい笑みを零した。



「あなた、お酒は飲まれる?」


「酒か……二人の頑張りに対して祝杯をあげたいところではあるが……今はやめておくよ」


「あら、どうして?」


「どうしてって……酒の匂いがする父親に迎えられては、二人も良い気がしないだろ?」


「そうかしら? お酒臭かったとしても上機嫌なあなたに迎えられた方が二人は嬉しいと思う筈よ?」


「そ、そういうものなのか?」


「そうよ。素直に「お前達の頑張りに対して祝杯をあげてたんだ」って言った方が喜ぶんじゃないかしら?

それに、あなたも都市の様子は見たでしょ?」


「都市の様子? 大通りまで屋台が立ち並んでいて、蚤の市のような、お祭りのような様相を呈していたな。それがどうしたんだ?」


「本当、何処も賑やかでお祭りみたいだったわよね?

都市全体が楽しそうな雰囲気に包まれてるんだもの、少しくらい羽目を外しても構わないんじゃない?」


「そう言われればそういう気にもなってくるが……い、いや。やはりやめとこう」


「んもぅ。真面目ねぇ」



 僅かに躊躇いはするものの、酒の誘いを断り切ったシャリファ。

 手元にあった紅茶を手に取り、僅かに覚えた躊躇いごと飲み干そうとするのだが。



「えい!」


「グ、グレイス!? な、何をしてるんだ!?」



 カップに蒸留酒を注がれた事により、手に取ったカップをソーサーの上へと戻す羽目になった。 



「……グレイス。私は飲まないと言っただろ?」


「いいえ、飲んで貰います」


「普段は止める側なのに、どういった風の吹きまわしだ?」


「あなた気付いてる?」


「なにをだ?」


「学園都市についてから、ずっと難しそうな顔してるわよ?」


「……私がか?」


「ええ、フィデルとノアの試合を見てる時も、ずっ~と難しい顔してたわ」


「そ、そうか……それは気付かなかったな」



 シャリファはカップを口に運ぼうとするのだが、途中で酒が入っている事を思い出し、再びソーサーの上へと戻す。



「――分かってる。怖いのよね?」


「……つッ」


「ご褒美なんて名目でアルディノ君と会う約束を取り付けたけど、本当は会うのが怖いのよね?」


「……」



 シャリファは口を噤む。

 しかし、それも僅かな時間で、次の瞬間には胸の内を吐露していた。



「ああ、怖いよ……フィデルとノアが尊敬するアルディノ先輩がアルだったら……

そう考えると、期待と不安で眠れない夜が何度もあった」


「……」


「それに――それにだ!

もし本当にアルだとしたら……俺はどんな顔をして会えば良い!?」


「あなた……」


「確かにあの時は、ああするしか他に道が無かった!

ヴェルニクスの糞共に追いつかれそうな状況では! アルの命を守る為には! 木の洞に隠すしか思いつかなかったんだ!

だが、そんなことはアルには関係ない!

追手を撒いた後にすぐに駆けつけた事も! 必死に行方を探していた事も関係ないんだ!

アルにとっては自分を捨てた親で、我が子を捨てるような酷い親でしか無いんだよ!」



 シャリファはひとしきり声を荒げると、グレイスの悲しげで、それでいて優しげな瞳に気付く。



「と、取り乱してしまってすまない……一番辛かったのは君だったというのに……」


「いいえシャリファ。辛さに順位なんて無いの。

私も苦しんだけど、あなたも充分に苦しみ、そして後悔したじゃない?」



 グレイスはそう言うと、自分のカップにトクトクと蒸留酒を注ぎ、口へと運ぶ。



「ふぅ――おいし。あなたも飲んだら?」


「わ、私は大丈夫だ」


「良いから飲んで?」


「だ、だから私は……」


「飲みなさい」


「は、はい」



 シャリファはグレイス気圧されてしまい、恐る恐るといった様子でカップに口を付ける。

 すると、程良い酒精が鼻孔をくすぐり、嚥下すると同時に喉の奥を心地よく温めた。



「これは良い酒だな……」


「でしょ? 市を覗いた時におすすめされたから買ってみたんだけど、買って正解だったわね。

あっ、その時におつまみになる物も買って来たから出してあげるわね」


「あ、ああ」


「少しだけ待っててね」



 そう言ったグレイスは、備えつけの調理器具を使用して手早く用意を終える。

 テーブルの上にはナッツやチーズ、棒状に切られた根菜などが並べられることになった。



「……ほう、この根菜は随分と歯ごたえが良いな」


「ほんとうね。歯ごたえも良いし甘味も強いわ」


「ああ、このまま食べても美味いが、酢漬けにしても美味そうだ」


「良いわね。家に帰ったら早速作ってみましょうか」


「そうだな。楽しみにしているよ」



 そんな些細な会話を交わすと、思わず笑みを零したシャリファ。

 グレイスも、そんなシャリファを見てホッと笑みを零した。



「やっと笑顔になったわね」


「笑顔? ああ……酒を無理に進めたのも私から笑顔を引き出すためだったのか……」


「ええ。さっきも言ったけど、こっちにきてからずっと難しい顔してたから」


「そうか……気を使わせてしまったな」



 シャリファは気丈な妻の姿を見て、気を使わせてしまった事を恥ずかしく感じてしまう。

 加えて、酷く狼狽えてしまったことを情けなく感じてしまうのだが、それと同時に一つの疑問が過っていた。


 その疑問とは、何故妻は、こうも気丈で居られるのかという事。



「……グレイス。君は怖くないのかい?」



 その為、シャリファは恐る恐る疑問を口にするのだが……



「――怖いわよ」


 

 返ってきたのは、気丈とは程遠い言葉であった。



「本音を言うと、アルディノ君に会うのはとても怖いわ。

本当にアルだったとしたら……そう考えると怖くて怖くて堪らないの。

それもそうでしょ? あなたも言ったように、私達は我が子を捨てた酷い両親でしかないんだもの」


「で、では何故……」



 グレイスは困ったように微笑む。



「それは、誓いを立てたから」


「誓いを?」


「そう、誓い。私はアルディノ君に会う上で一つの誓いを立てたの」


「聞いても構わないかい?」


「ええ。その誓いというのは、何があってもフィデルとノアの両親として接するという事。

だから私は気丈で居られるし、気丈な振りをしなければいけないの」


「……それは、アルディノ君がアルだったとしても名乗り出ないという事だよな?」


「そのとおりよ。

実際、私達が両親だと名乗りだたところで、アルディノ君にとって迷惑にしかならないと思うの。

この歳になるまで元気に育ち、今や学園第一席の肩書まで持ってるんだもの。

きっと素晴らしい方に育てられて、たくさんの愛情を注がれて育って来たんだと思うわ。

そんな家族との関係に綻びを入れるような、しこりを残すような真似だけはしたくないの」


「だ、だが……グレイスはそれで良いのか?

確かにしこりが残るかもしれないし、アルには酷い両親だと罵られるかもしれないが、それだって少しずつ関係を改善していけば……」


「いいのよシャリファ。

生きてさえいてくれれば――それだけで十分満足だもの。

それに――」



 グレイスはうっすらと目尻に涙を溜めながらも、慈愛に満ちた笑みを浮かべる。



「どんなに嫌われて罵られようと、母親に向けられた言葉であるなら嬉しくてきっと泣いちゃうから。

そんなのっておかしいでしょ?」


「グレイス……」



 シャリファは「ふぅ」と息を吐くと、天井を仰ぐ。



「分かった。私も何があろうとフィデルとノアの親として接することを誓うよ」


「ありがとうシャリファ」



 そして、短い言葉を交わすと――



「だったら、アルディノ君に会う前に、その難しい顔をどうにかしないとね?

ほら、お酒でも飲んで気持ちを落ち着けましょ?」


「なんというか、酒に逃げてるようで気が引けるんだが……」


「気にし過ぎよ? ほら、飲んで飲んで」


「まったく……君には敵わないな」



 宿屋の一室を、芳醇な香りが満たしていくのだった。

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