第四部 信濃攻略

第百五十二章 二年経ち

 為景さまの三周忌法要が林泉寺で執り行われた。景虎さまのご意向で縁者いがいは大臣のみが出席し簡素でしめやかに式であった。軍師殿や亜希子はもちろん招待され懇ろに冥福をお祈りした。


 家督相続のお披露目があった一年後の四月、奥山荘の中条 藤資ふじすけが農水大臣、安田城の安田 長秀が経済産業大臣に就任した。発表したさい、驚きの声でむかえられた。


 ながねん独立独歩の姿勢をくずさなかった揚北衆から執行部に二人加わったことで、大きな政治的なメッセージの発信となった。これまで直江津を中心とした上越、柏崎から寺泊あたりから東の中越、この二地域が政権の基盤をなし影響力を行使できた。


 ここに阿賀野川から北に位置する下越、この地域のほぼ半分を占める勢力が政権の中枢に入ったのだ。日和見を続けている揚北衆に動揺が走った。水面に一滴の水がおちて波紋が四周へ広がってゆく。こうした明白な論功行賞をみせられると、バスに乗り遅れるなと気があせるのは世の常。


 のこる最大の反対勢力は、関東に接する魚沼郡に居城をもつ長尾房長・政景の父子に変わりはない。三国峠につうずる松之山街道が領内を走っている。越後に覇をとなえる野心を秘め、晴景の後釜を狙っていたとされる。


 かって同盟者であった小千谷の平子たいらく氏は、景虎擁立の連判状に賛同した。一枚岩の団結をほこった組織も、いまや地盤にひびわれが目立つ。俯瞰してみると越後の東南にあたる片隅の地域で、お山の大将を自称している世間知らずにしか見えない。とうめんの目標は信濃国なので、騒動を起こさないかぎり放置しておいて構わない。


 就任そうそうの大事業であった胎内川開削工事は、改良した道具をつかった馬による土起こしが作業の大幅な効率化をもたらしてくれた。実測の結果おもったより土量が減少したことも嬉しい誤算である。工期を見直した結果、本年の秋に開通の見通しがついた。


 軍師殿の指導よろしきを得て、現場を任せられる人材がそだち、ビッシリ現場に貼りつく必要がなくなった。節々のとき現場へいって指摘すれば、あとは委ねる体制ができた。本来の参謀長たる任務にもどり、次なる攻略地、信濃国の分析に取り組んでいる。


 天文通宝は大手門まえのメイン通りから海側に、職人街の一画に「銭座」を設置し鋳造している。流通は混乱もなく順調に廻っている。常備軍の手当、胎内川に関わる諸々の経費を新造貨で支払っている。


 堺へ鉄砲修行に出した三人が戻ってきたのは本年の三月だった。一人や二人は抜けるかと心配していたが、全員が技能を取得して故郷へ帰ってきてくれた。十年かけての修行だった。これも九郎殿がこまめに消息をやり取りしていたお陰だ。向こうで所帯をもって、子ども連れが一組いた。


 景虎さまが特別に接見して、三人がこれまで耐えて技能を磨いた苦労をねぎらった。九郎殿にも声をかけ、よくぞ長期間にわたって面倒をみてきたと賞した。九郎殿も面目をほどこし顔面が紅潮している。


 景虎さまはあたらしい武器、鉄砲の重要性をよく理解している。自前で鉄砲が製造でき大量に調達できるなら、戦さの戦術がガラッと変わる。軍師殿にも運用術を研究してもらわなければならない。


 春日山の麓に大規模な製造工場の建築を昨年から着工していた。手紙のやりとりで帰ってくる時期が分かったので構造体だけ先行させていた。内部は使い勝手を考えながら現場で手を加えてゆけば良い。


 提言があった麓で政務をおこなう館は、計画倒れになりそうだ。今いそいで建てる必要性が感じられないし、金はもっと大事な使い道がある、との景虎さまの判断だ。


 海上輸送はムシロの帆を張った北国船が花形的な存在である。余りにも帆走能力が低すぎる。原因はムシロ帆にあることはハッキリしている。綿布製の帆に変えなければ解決できない。風をはらんで船の推進力に変える。強度がなければ破け裂けてしまう。


 強度をあげるのは糸そのものが強くする必要がある。良質の糸を撚って太くすることから始めた。これも技術研究室で織り方を研究課題とする。


 城下町も直江総務大臣と相談して計画を進めた。当初は大手門の通りを境にして、北側を町屋にして商家や職人の町並み、南側を武家屋敷とする案もあった。しかし美観上、防衛上の観点から大通りの両側に武家屋敷を配置することに変更となった。ただし北側は一街区だけ武家屋敷とする。


 大臣クラスは五百坪を標準として大手門に通ずる道の両側に配置する。そのまわりに大臣の家臣団が住む屋敷を貼り付ける。大通りと城に近いほど忠誠心の高い城主を配置する。そのまわりを上級・中級・下級と階層にあわせて広がってゆく。


 町人町は職種別に一箇所にあつめて住まわせる。鍛冶町、呉服町、材木町、大工町、旅篭町など職業名に由来する町造りとした。


 大通りに面して南側は直江氏、となりに長尾氏、中条氏と並んだ。向かい北側に本庄氏、斉藤氏、安田 長秀氏と六人の大臣が表通りを占めた。直江氏と長尾氏の背中合わせに自分と軍師殿の屋敷が続いた。


 大臣いがいの城主で城下町に屋敷を持ったのは、三条城の山吉氏、琵琶島城主の宇佐美氏、安田城の安田 景元氏である。


 常備軍は独り者がおおいので、今は春日山城の中腹に建てられた寄宿舎に入っている。おいおい功績をたて旗本として地位があがったり、結婚して所帯をもつと、南側の区画が割り当てられる。


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