第百二十八章 政の中枢
政務の引き継ぎは与板城主の直江 景綱が立ち会いの元で行われた。年のころ三十代の半ば、落ち着きはらった物腰から胆力を、切れ味鋭い頭脳のもちぬしと見受けした。為景さま時代からの家臣で、その器量を見こまれ晴景さまの代も仕え、内政に重きをなしてきた。景虎さまから引きつづいて政務に励むよう お声をかけてある。
史実では信玄と激突した川中島の合戦において、二千名の
謙信が中風で急死したさい、枕もとで謙信の遺言を聞き取ったのは、景綱はすでに死亡しており、未亡人となった妻であった。どれほど謙信の内奥に関わっていたかを示すエピソードである。
花も実もある士なので、こちらもスッカリ信用しており、終始なごやかな雰囲気で進められた。今後も景虎さまの治世に欠かせぬ人物で、引きつづき政務のトップとして全てに目配りして頂くようお願いする。
「そなたらが此度の景虎さま擁立の立役者であることは、われが最も高く評価しておるぞ。推戴状の連判状を見せられたときは、これほどの人数が集まるか、いささか危惧しておった。よく説得してくれたと御礼を申し述べる」
「景虎さまの器量があったればこそ、皆さま方の賛成を得られたものと存じます」
「先日のお披露目で、広間の正面に掲げられておった『天下布武』の四文字、それに皆の士気を鼓舞するあいさつ、とても十五才とは思えぬ見事な才覚と腹構えでござった。頼もしき限りでござる、感心つかまつった」
「天下布武の実現にむけ我らも精進せねばと覚悟を新たにしておりまする」
「うむ、それで今後は具体的にどう動くのじゃ?」
「さまざまな政策を打ち出し実行してゆかねばなりませぬ。それぞれ担当の部署を決めて専念せねば成就できませぬ。人数を増やすこと、如何でありましょうか?」
「そうじゃのう。何もかも一人で考え指図など不可能じゃ。どなたか心当たりでも御座ろうか」
「一人目は栃尾城の本庄 実乃どの。三年いっしょに暮らし、気心や能力はじゅうぶん分かっておりまする」
「おお、本庄どのなら、それがしも異存ござらん。人物、識見とも申し分なしじゃ」
「二人目は栖吉城の長尾 景信どの。先年亡くなった景虎さまの母、虎御前さまの弟に当たります」
「身内が政権に入って支援することは景虎さまも心強いであろう」
「三人目は赤田城主の斉藤 朝信でござる。年こそ十八と若く家督を継いでから二年と、政務に携わった期間がみじかいのは承知しております。隠居なされた定信さまの時代より懇意で、さまざまなお願いを快く引き受けくださった次第。話しの飲み込みが早く、熟慮なされてから決断する時間も短い。頭がよく、肝がすわったお方と感心しておりました」
景綱は顔を思いだそうとしたのか視線を宙に泳がせた。
「うむ、景虎さまは十五か、若い者どうしで新しい発想を見つけだすやもしれぬ。お主が推薦するなら人物は確かなのだろう。若い実行力に期待いたそう」
「皆が一堂に会して協議し決定する会合は月二回と考えております」
「そうじゃのう。それぞれ担当する分野で忙しかろう。もっとも緊急事態でも発生したら、直ぐにも集まらなきゃならんがな」
改めてメンバーを見ると、景虎さまは十五才、直江 景綱は三十六才、本庄 実乃は三十四才、長尾 景信は三十四才、斉藤 朝信は十八才、ぼくが三十二才、軍師殿が三十二才と若い者ばかりだ。一人くらい年配者がいても、の感はするが、行政に詳しい めぼしい者の心当りがいない。武辺者はキラ星のようにいるのだが......
「その三人は、そちらで合意を取ってもらおうか」
「かしこまりました」
「早急に第一回目の会合を開きたい。景虎さまの出席をえて、今後の治世の方針や担当部署も決めねばならぬ」
「はい、さっそく手配いたします」
連判状については直江氏も参加しているので署名した名前は分かっている。揚北衆の四名が参加した経緯を打ち明けた。
「ほう、そのような裏約束がござったのか。わしも何故あの頑固者どもが賛同したか
「揚北衆は独立心がつよく、こんごの景虎さまの治世において、一筋縄ではゆかないと思っております。しかし、この事業が成功しますと、景虎さまの評価は一変いたしましょう。頼りがいのある国主として、揚北衆は真から心服いたすに違いありません」
「離れた揚北衆はもちろん、川の氾濫になやむ城主は、こぞって陳情にまいりましょう。あたらしく広大な田が直轄領として手に入ります。財政がおおきく好転し、民もよろこぶという一石三鳥四鳥の政策でございます」
「そこまで考えての立案なら、さっそく手を付けねばならぬ政策じゃのう。どの位の予算と期間を考えておるのじゃ?」
「胎内川をまっすぐ開削して海へ流します。三千人の手で二年間を予定しております」
「景虎さまにとって最初の大仕事じゃのう。誰が指揮をとるのじゃ?」
「それがしにお任せくだされ。治水には些か研鑽し修しておりまする」
「そりゃあ頼もしき限りじゃ」
「銭は用意できるにしても、かなりの物入りとなるな」
「お話ししておりませんでしたが、昨年より『天文通宝』と名付けました銅貨を鋳造しております。本年は十分な数が揃えられませぬが、来年から新しい通貨を流通できると考えております」
「銅銭を作っておるじゃと! お主たちは相当まえから、周到な準備をしておったのだな」
「これも景虎さまの『天下布武』を実現するためでござりまする」
「それでは尚更、会合を開いて情報の共有をしておかねばならんぞ。これでは右の足と左の足がてんでバラバラに走り出しかねぬ」
「本日より、このような組織が立ち上がりました。今後は最高意思決定機関として機能してゆくよう心を一つに邁進いたしましょう」
「軍師殿、じつは治水と田畑の造成は、今後とも継続する事業になろうかと存じます。常備軍のうちから又は他国から引っこ抜いてでも技術者を養成できるか ご検討ねがいたい」
「そうじゃのう、越後はいくらでも開拓できる潟や沼地が多い。腕の良い技術者を養成して一人前にして仕事を任せないと、本職の戦さが手につかぬわ」
直江氏がポツリとつぶやいた。
「永年くろうして切り開いてきた田畑が、洪水で流されるのを見つめる百姓の無念さに思いをいたしたところじゃ。まさに『水を治めるものは国を治める』は中国の箴言じゃが、為政者として心しなければならぬのう」
さっそく景虎さまに直江氏と話しあった結果をつたえ、人数を増やして執政体制の強化をすること。三人の城主を訪問して就任の内諾を得ること。早急に第一回目の会合を招集する旨を了解していただく。
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