第百二十二章 密談もどき

 景虎さまが夜お忍びで我が家を訪れた。冬とあって日暮れが早い。さすがに、おっぴらに訪問するのは他人の目があるのではばかる。軍師殿もすぐ駆けつけた。と言っても二軒長屋の隣りではあるが...... こちらから舘へ伺うと言ったが、子どもたちの顔を見たい、と聞かなかった。


 久しぶりに会ったので、二人は景虎さまに まとわりついて離れない。景虎さまも相好を崩して真剣に相手をしている。かわいくて仕方がないと顔をほころばせている姿は、少年の顔に戻っていた。亜希子の手料理を食べたいとの所望に、満更でもなさそうにイソイソと料理を作リはじめた。


 灯火がチラチラ揺れるなか、食事がはじまった。箱膳など とっくに止めて、特製の卓袱ちゃぶ台を顔見知りの大工に作ってもらった。折り畳みができるので場所をとらない。顔を見合わせ談笑しながら食べる、至福のときだ。テレビが無いのは寂しいが食事時には邪魔になると今おもえば頷ける。


 大皿に料理を盛って、取り分けて食べる。もちろん、我が子がつついた食べ物なら抵抗なく食べられる。これは良いもんじゃと、軍師殿もさっそく取り入れた。そうだ、これも越後の特産品として出荷できる。


 軍師殿は酒をぶらさげてきた。晩酌の習慣がないので、基本的に我が家では酒がない。飲み過ぎると眠くなる体質は変わっていない。亜希子の方がずっと強い。何はともあれ乾杯だ、何に乾杯する? とりあえず内祝い。


 子どもたちが食べ終わったら、軍師殿の家に預かってもらう。隣りの家でも泊まるのは、子どもにとって一種の非日常の世界だ。亜希子はかいがいしく寝泊まりの用意をしている。ちゃんと小母さんの言うことを聞くんですよ、と注意するところは世の奥さんと変わりがない。


 亜希子は景虎さまの飲酒はあきらめたようだ。一つくらい息抜きがなければストレスは発散できない。ただ酒を飲むときは必ず食べなさいとだけ注意している。梅干しだけを酒のツマミにするなど もっての外。時がきたら塩辛いものを制限するよう台所方に申し入れすると息巻いている。


 頃合いを見計らって卓袱台を折り畳む。料理はつくれないが後片付けくらいは手伝える。話しに亜希子も加えなければならぬので、一緒に台所に立って皿洗いを手助けする。


 お茶を四つ出したところで、取って置きのロウソクをとりだして、燭台に立てる。これで密談の舞台はととのった。もっとも密談といえるような生々しさはない。


「わしが兄のあとを継いで守護代になる日が近づいておる。戦さのことなら、自分の得意としており、少なからず軍才があると自信をもっておる。しかし、政となると何を拠り所に進めば良いのか心許ない感じじゃ」


「そうですね、不安に思うのは当たり前の感情です。しかし景虎さまは お一人ではございませぬ。戦さのない世の中をつくる、との思いがぶれない限り、我らをふくめた周りがしっかり支えてまいります。周りを含めた力こそ政治力であります」


「政治力か...... 」


「政治力とは景虎さまが思う方向へ人々を動かす力でございます。合戦に例えれば、外交で多くの味方をつくり、多くの兵をそろえ、多くの武器をもって、有利な場所で戦さをすることが勝因となります。これらの全ては景虎さまの政治力、すなわち周りを巻きこみ動かす力にかかっております」


「では政治力はどのようにしたら得ることができるんじゃ?」


「簡潔に申しますと二つございます。一つは当たり前ですが、体力と気力がともに充実している必要があります。晴景さまの病弱はまさしく反面教師でございます。旗印をいつまでも変わらず掲げてゆくには、根気と勤勉さが欠かせません。その為にも体力と気力が常に横溢している生活が不可欠であります」


「景虎さま、わたしからお酒をやめろとは言いません。ただ飲む量を減らしてほしいの。お酒は肝臓という臓器で酒精を分解しているの。医師の立場からすると、一週間のうち一日は呑むのを止めてほしいわ」


「姉上もむずかしい注文をつけてくれる。体をいたわって忠告してくれるのは重々承知しておるが、好きな酒はわしの寛ぎのひとときじゃ。できるだけ自制するから勘弁してほしい」


「分かっているわ。それと塩分をひかえてくださいね。脳卒中は若いときから塩辛い食べ物を食べつづけた結果がまねくのよ。これだけは今から守ってください。景虎さまは食べる人だから、作る人の賄い方にキツく言いつけます」


「二つ目は人気と信頼感でございます。人気は、人づき合いの良さと面倒見の良さで生まれます。信頼感は、あの人は頼れる人だ、という人間性や統率力によって生まれます」


「周りに人が集ってくる、人が寄ってくるのが人気でございます。頭がよく実行力があっても敬遠される人は何が足りないのか。われ賢しと相手の心の中をすべて察する印象を与えております。わざとスキを作る度量を持たねばなりませぬ」


「わしは、そんな器用な真似はできぬ」


「あなた、人には持ってうまれた性格があるんだから、不器用な人は下手な小細工をするより、真心と誠意でぶつかる方が良いんじゃない」


「まあ秀吉をイメージにして説いたつもりだったけど、じぶんも新潟生まれだ。たしかに人に愛想をふりまいたり愛嬌がある人間じゃないと自覚している。ムリな演技をしても相手に見透かされて、腹の内を読まれてしまう。かえって相手に不信感をもたれる喧結果となるね」


「景虎さまがいつも落ち着きはらって何事にも動じない姿は、周りの者にとって頼もしき存在でござる。いつも変わらぬ態度は安心感をあたえ自然と人が集まってまいる。あえて申さば下の者に気遣い労りの姿勢を一層お見せいただければ、部下たちも弥まして心服するでありましょう」


「政治力で人を動かすには『この人のためならば』という信頼感よりもっと強いものを懐かせないと難しい。軍師殿が申した家臣への共感力がある当主には、かならず死んでも支える忠臣が現れます」


「後世に清水の次郎長という侠客がおりました。『親分、あなたのために死んでくれる子分は、何人くらいいるんですか』と聞かれて『自分のために死んでくれる子分が何人いるかわからんが、自分は子分のためなら、いつでも死ねます』と答えた」


「侠客と政治とはもとより次元が異なる世界であります。しかし数千人もの子分を統制するには、一方的に命じてもついてきません。『子分のためなら死ねる』の覚悟があったらばこそ、子分も親分を慕ったのでしょう。組織の大小にかかわらず人情はかわりませぬ。どうか部下には広い慈しみの心で接してやってください」






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