第百八章 奥山荘

 朝早くうす暗いなか信濃川を横断して、右岸ぞいに上流へ向かってさかのぼった。阿賀野川の本流に入る。二キロほど櫓で漕ぎ上がると、大きな島が右側に見えてきた。帆柱が林立し大小さまざまな船が停泊している。


「おお、馬手めてにたくさんの船がとまっておるぞ」

 ちなみに右手で手綱を取るので馬手、左は弓手ゆんでで弓を持つ左手。

「あれが蒲原津ですね。さすがに古代から栄えてきた港町だけありますね」

 

 衰退へ向かっているとはいえ、古来から越後一の湊町と謳われただけある。倉が軒をつらね、船問屋の店が並び大勢の人が行き来している様子が望見できた。たくさんの人足が肩に荷を担いで、踏み板を上下して積み荷を運んでいる。


 さらに四キロほど上ると、二股に出会った。

「弓手からも広い川が流れてきておる。どちらへ進むんじゃ?」


 真っ直ぐすすむと阿賀野川の上流をめざすことになる。ここで左へほぼ直角にまがって、海岸線と平行に走る。この曲がり角ふきんが、親父が勤めていたニイガタマシンテクノの会社が建っていた辺りだろうか。


 三キロくらい進むと、細長い三角州のような中州にぶつかった。中州の南側が福島潟で、北側が島見前潟だ。島見前潟は東西三キロ、南北に三キロくらい、福島潟は東西三キロ四百メートル、南北に五キロの広さをもつ。


 海側の島見前潟をそのまま進み、前の世で新潟東港の奥に当たる辺りで、島見前潟が終わった。水路がふたたび幅百二十メートルほどに狭まる。二キロほど進むと、新発田から海岸の北国浜街道に通ずる街道の渡しについた。


 渡し船が着岸する桟橋が川に突き出している。ちょうど渡し船が海側の桟橋に着くところだった。旅姿をした商人らしき数人が柳行李やなぎごうりを船から桟橋へ降ろしている。


「どこぞへ商売に行くのかのう。たしかに船をつかって当たりだったな。まわり一面が川だらけなど初めて見た。こりゃ、先生の計画がうまくゆくか心配になってきたわ」


「そうですね。何万人も投入できれば短期間に完成しましようが、今の越後では到底ムリです。限られた人員ですので、やる箇所を絞るしかないですね」


 左手に旅人たちを見ながらそのまま直進すると、三本くらいの小さな川が上流から流れて合流してくる。二本目が新発田川であろう。渡しから四キロほど走ると、幅が百メートルくらいの加治川が右手の山手から流れくだってきた。


 流れは海側の岸にぶつかって、左右に分かれるしかない。川の水が どちらへ向かって流れるのか、一目見ただけでは見当もつかない。浮かんでいる草をみると、両側に分散して流れている。


 加治川から二キロほどで再び広い潟に進入してゆく。これが紫雲寺潟(塩津潟)で東西五キロ、南北四キロの広い潟である。潟の海寄りを走る。一番くびれた場所で船を止める。


「実は、もう一つの候補地がここなんです。胎内川は海まで四半里(一キロほど)で短い距離です。ここは半里強(二キロ六百)あるので、当然ながら人数や期間もかかります。胎内川を成功させると、皆も協力してくれるでしょう」


 ふたたび水路は狭まり八十メートルを切る幅となった。四キロ半くらい進むと、目的地の胎内川に着いた。上流から流れてきた本流と、ちょうど T 字型に交差している。このまま直進すると荒川にぶつかって、左へ曲がると日本海に出ることができる。


「ここが開削する地点です。砂丘をのぼって海を見ましょう」


 下船して海岸砂丘を上る。砂丘の高さは最高で十メートルほどあった。傾斜地を上って、しばらく歩むと北国浜街道とぶつかった。春日山城のちかく高田宿から新潟を経由して、酒田市の手前になる鼠 ケ 関宿までの二百三十キロほどの街道である。街道といっても、こんな山道では整備されていない。人があるく二メートルほどの幅員しかなかった。


 ここをぶち抜くと渡しが必要になる。ルートを変えて、もっと手前から平地に下りれるよう設計しなければなるまい。松林を縫って段丘の上から海岸線を眺める。目見当だが約一キロ強の開削が必要と確認できた。


「なるほど。この山を削って水路を通すのか。見たところ硬い岩肌など見当たらぬ。

人手さえ掛ければ出来るであろうなあ」


 雪解け水で湛水した胎内川をさかのぼる。三キロほど櫓を漕ぐと、中条氏が居住する奥山荘につづく河畔に着いた。ここまで四十キロ、十時間ほどの船旅であった。


 川岸から館まで南へ一キロ六百メートルほど離れている。東西に二百メートル南北に三百メートルの道に囲まれた一画が見えてきた。街区にそって家臣たちが住む屋敷が並んで建っている。宗派は分からないが、寺院が土塀をまわして一郭を占めていた。


 その一画の中央に堂々たる館が建っている。館は大きく北郭と主郭の二つのブロックに別れていた。北郭は主郭をまもる郭で、幅七十メートル奥行き二十メートルの規模で、中央に堀をわたる橋が架かっている。高さが二メートルほどの土塁が周囲を囲っている。


 門番に身分と姓名をなのり、主に取り次ぐよう頼む。


「ほら、あの山を見よ。山頂に城が建っておるぞ」

「確かに。曲輪が見えますね。手前側の山肌が削ったのか切り立っておりますよ」


 ここから東方向、三キロほど離れている。鳥坂とっさか城、別名は白鳥城の名をもつ山城で、万が一 事が起きたときは避難する砦として中条氏が築いた。


 まもなく取り次ぎの者があらわれ招き入れられる。北郭から主郭へは直進できないよう十メートルほど食い違いの造りになっている。ふたたび十メートルほどの水堀があって橋を渡る。渡りきっても大手門は、さらに十メートルほど食い違いになっており、簡単に進入できないよう工夫されている。


 門をくぐって主郭へ入る。主郭の土塁の高さは三メートルと一段と高い。内部は間口六十メートル、奥行き七十メートルほどの広さをもち、中央に主殿が建っていた。主殿は三棟の建物を組み合わせて構成している。


 間口が十三メートル弱、奥行きが七メートル強が一棟。真ん中に中庭のように空間をはさんで、左右に一棟づつ同じような規模の建物が縦長に建っている。上から見ると、「ロ」の字の下の横棒を取った形に見える。他に六棟ほど点在していた。


 主殿から南に搦手があって、ここも濠を橋で越えると南郭が浮かんでいる。南郭から西向きに橋が架けられて、城外に出る構造になっていた。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る