第九十四章 蔵王堂城

 すぐ教練が再開された。各城から派遣されてきた者たちは、集団戦の戦い方など初めての体験である。命令一下、定められた行動を一糸みだれず動くには、何度も繰りかえして体に覚え込ませねばならない。


 とくに縦列から横一列にならぶ移動は、なんども繰りかえした。端にいる一点を中心に、右に九十度・左に九十度回転する動き。縦列から横列に、横列から縦列に四分の一回転する動きなので、最初はぶざまな動きだったが練習を重ねるごとに上達していった。


 水打ちを繰りかえして、体力と持久力も付けさせた。五十日ほどの短期間だが、集中的に練習でしごいたので、どうにか指示どおり行動できるようになった。


 隣り同士に住んでいるので、軍師殿から平六を引っぱり出す策略を洩らしてくれた。さすが、えげつない遣り方で、自分ではとても思いつかない。


 十月中旬に稲刈りが終わる。それを見計らって平六は、兵を動かすはずだ。この辺りで功名をあげる戦果が欲しいところ。反乱をおこして一年いじょう経ったが、目立った領地の拡大を得ていない。反乱に同心する勢力は広がらないし、このままではジリ貧になる。


 平六のこうした焦りを見こして、軍師殿は手のものを使って、噂を流しはじめた。小栗山城から南東十三キロに蔵王堂城が信濃川の右岸に建っている。信濃川の河畔に近く、何度か洪水に見舞われたので、江戸時代の初期に長岡へ移築された。


 為景さまの弟である長尾 為重が、城主として治めている。そこで、「高齢なので病で伏せってしまった。城の務めもおろそかになり、跡継ぎをめぐって重臣たちが内紛を起こしている」との噂がばらまかれた。


 もちろん軍師殿が景虎さまの了解をえて捏造ねつぞうしたもの。軍師殿が景虎さまの書状をたずさえて、事前に為重さまのもとへお忍びでおとなった。話しを聞くや否や、身を乗りだしてきた。いい手だ、と即座に了承した。重臣たちを集め、他言無用と念をおして秘策を打ち明けた。


すぐさま布団にもぐって、為重さま ご不快、をアピールした。長尾家の家系は芝居っ気のある人が多い。家臣たちは目立たぬよう外壁の補強など、防御の強化に精を出した。


 念をいれて重臣の一人から平六のもとへ、ひそかに密書を届けさせた。平六を中越の主として推戴する代わりに、自分を城主に据えるとの処遇を求める、との内容だ。何度か書状のやり取りがあって、具体的な方策まで煮詰めた。平六が出陣したあかつきには、内応して城門をひらく手筈まで決めている。


 平六がドップリと話しに乗った。仲間内に号令をかけて、兵士の動員を督促する。稲刈りが終わり農作業が一段落したこともあって、三千五百余名が駆け参じた。われ中越の主になると得意気に宣言した、と洩れ伝わってきた。


 十月のすえ城の真下にあたる麓に集合した軍勢は、一揉みで落とすと意気込んで蔵王堂城へ出陣した。放っていた細作さいさくから直ちに注進がきた。準備万端ととのえていた我が軍二千百余名も一刻おくれて出発した。


 景虎さまの初陣である。どんな戦いをするか、ぜひ観戦したかった。亜希子から猛反対された。軍師殿の傍にいて絶対はなれない。医療チームを戦場でどう活用できるか、検討するためにも戦場の雰囲気をいちど見ておく必要があると説得した。


 景虎さまが全軍に檄をとばした。

「今より賊徒を退治すべく進軍いたす。きびしい訓練によく耐えて励んでくれた。敵の数は多くとも所詮は烏合の衆である。わが采配どおりに従えばかならず勝利いたそうぞ。では鬨の声をあげよ!」


 全員で エイ!トウ!を繰りかえして出陣した。戦の現場に行くのかと思うと身震いがしてくる。これは武者震いだ、と言い聞かせる。


 目立たぬよう足軽がつける防具と三メートルほどの槍を手にもつ。腰には大小二刀をさしている。試作の半長靴を履いてみる。僕にとっては有難い代物だが、仲間からうろん臭い視線をあびる。


 平六たちが刈谷田川を渡った時刻も直ぐさま連絡がきた。軍師殿は平六の軍勢が城をとり囲んで、攻撃をはじめる刻限を見計らっているようだ。行軍した足跡を追って進む。


 周りの田はすべて刈り入れがすんでいた。天候に恵まれて豊作の年だ。切り株から薄緑のひこばえが風に揺られている。赤トンボが飛ぶ時期はすでに終わった。敵の足跡いがいは平和な光景で、これから命のやり取りをするとは思えない。


 遠くから銅鑼や太鼓の音が聞こえてきた。いよいよ戦場がちかい。最後の川、栖吉川を渡る。城まで一キロ弱くらいだろう。城をとりかこんで弓矢が飛びかっているのが遠目に見える。


 打ち合わせどおり景虎さまは魚鱗を基本とした陣形を取った。中央に百三十人の三段で三百九十人、左右に七十人の三段で二百十人の長柄槍隊を配置した。これで全幅が三百五十メートルの陣列となる。


 長柄槍隊は側面からの攻撃に弱点をさらす。右側面に縦列に三百人、左側面に三百人を配置した。逆U字型に布陣した中央に、二陣目の百九十人の槍隊が二段で固める。


 その両側に弓兵二百三十人を二つにわけて配備。旗本衆でかためる本陣の左右に、騎馬隊が遊軍として二百二十騎ひかえる。


 この陣形で掛け声をあげながら小走りに前進した。ようやく平六の軍勢が気がついたのか、動きが慌ただしくなった。怒号が飛びかい、騎兵が駆け巡って隊列を組もうとしている。その間にこちらは五百メートルほど近づく。


 馬のいななき声が響くなか三百騎ほどが一列に並んだ。どうにか突撃体制を組んだようだ。


 景虎さまの命令一下、全軍が停止して防御の態勢を組み始める。長柄槍の一段目は膝をついて石突きを地面に突きさして上向きに角度を保つ。二段目は腰の高さで水平に構える。三段目は両手を掲げて槍を下向きに保持する。


 側面にいた長柄槍隊も縦列から向きをかえて槍衾の態勢についた。


 怒号がきこえて騎馬隊が走り始めた。突撃!とでも命令したのだろう。最初は軽速歩から徐々にスピードをあげ、速歩でスピードに乗る。その勢いのまま駈歩で一気に突撃してきた。


 ドッ!ドッ!と地響きを立て近づいてくる鼻息も荒い馬群。騎馬武者が目をむき喚いて槍を振りまわしている。敵は槍衾を見ても侮っているせいか、一気に押しつぶせると踏んだのか突進を続ける。


 槍隊はずっと教練で穂先の狙いは武者でなく馬の腹と教えられてきた。一段目が外したら二段目は馬の足を払え。騎馬隊は馬さえ倒せば、転げ落ちた武者を寄ってたかって刺し殺せる。最前列の槍兵はここまで迫った敵に背を向けるのは、自分の死しかないと観念した。ただ目の前にグングン大きくなる馬の腹を狙う穂先だけ見つめていた。


 両者が激突したしゅんかん、


 馬の哀しげないななきと武者の悲鳴が辺りいちめんを包んだ。ドサッと馬体が倒れ地面が揺れ動く。突き刺さった槍が手許に、なかなか引き戻せない。振り落とされた武者は、二段目と三段目の槍で、つぎつぎと突き刺されてゆく。起き上がろうとする馬が武者を踏みつけて悲鳴があがる。


 先頭を突っ走ってきた馬群のうち二百頭ほどが一気に殲滅した。スピードが遅かった馬はギリギリ手綱を絞って停止できた。しかし、すぐさま槍兵が前進して足をはらったり腹を突いて転倒させる。立ちあがった馬が武者を蹴りたおしている。


 それでも二十騎ほどが突破した。バラバラであちこちに分散していたので、二陣目がすぐ動いた。まず馬を倒すことを優先し、落馬した武者を寄ってたかって突きさしてゆく。穴があいた箇所は予備兵を補充し元の陣形にもどす。


 景虎さまの采配で左右の騎馬隊が飛びだして、敵の後ろに回りこむ。そして一斉に突入してきた。前後左右を槍隊と騎馬隊にとりかこまれ、パニックとなった敵は右往左往している。敵味方いりまじる乱戦となったが、冷静に一騎一騎と討ちとってゆく。


 景虎さまの采配が振られ、全軍が前進をはじめた。左右の側面にいた槍部隊も駆け足で前へ進みながら、縦列から横一線に陣形を変えた。



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