第八十七章 老 狐

 軍師殿と柏崎へ出向いた。さいきんは馬を操れるようになったので、歩かずに済むのが有難い。久しぶりに九郎殿の本宅で厄介になる。軍師殿は山育ち、新鮮な魚貝類が珍しいのか、おいしい美味しいと連発して箸がとまらない。

 

 ご自慢の内風呂に入って、身も心も休まる。亜希子にも入らせてやりたかった。木綿の布団もやっと出回ってくるようになった。まだ高価なので一般には普及していないが、上の方から徐々に下へ拡散してきている。


 九郎殿が担当している分野は幅がひろい。一人で全部に目を光らせる仕組みは、早晩行き詰まってくる。事業ごとに責任者をきめて分掌してゆくよう助言している。どんどん有能な人材をみつけ育てるよう心がけてきているようだ。


 複式簿記の萌芽は近江商人と言われる。豊臣政権において、増田 長盛、長束 正家、石田 三成、藤堂 高虎らはすべて近江商人。大阪城のような巨城や、二十万人もの大軍に過不足なく兵糧や馬草を配ることができたのも、彼らの経理的な手腕なしでは不可能だ。


 会計処理の問題は避けて通れない。蔵田 五郎左衛門をとおして近江商人の番頭でも引き抜くか。いずれにしてもドンブリ勘定で天下を経営できない。頭に入れておかねばならない。原理は分かっている、左が借方で右が貸方。この先は複雑怪奇だ。


 琵琶島城は九郎殿の本宅から東南東へ二キロ四百メートルほどしか離れていない。柏崎をふたつにわける鵜川の河口から二キロほど上流にあって、当時は原始河川なので大きく蛇行していた。この蛇行部分に、自然に出来た堤防を利用した平城である。東から支流の本陣川が注いで合流している地形を活用した。


 二つの川は北・東・西の三方向を堀として生かし、開けているのは東南方面だけだ。平城にしては防御しやすい地の利を得ていた。東を大手門、西を搦手門とし、四周に土塁を築いている。本丸は東西に七十三メートル、南北に百十メートルほどあって、周囲より一メートルほど高いので、鵜川が氾濫しても浸水を防げると思われる。


 大手門で馬をおり、詰めている門番に来意をつげ、城主の面会をもとめる。しばらく待たされたが、屋敷へ案内された。話しだけは聞こうと思ったようだ。


 玄関の式台で足をそそぎ、玄関の間そして対面所へ通された。どちらが上座に座るのか心配したが、すでに上座に老狐の渾名がピッタリ当てはまる、老いても眼光がするどい武将が端座していた。刀を右側に置いて頭をさげる。名乗りがおわると、すぐ本題に入ってきた。


「景虎さまが某に会いたい、とな。会いたい理由は分からんでもないがのう」

 軍師殿が答える。

「いえいえ、お味方を頼むなど世知辛い話しではござりませぬ。景虎さまの真意は、親父殿とながねん確執があったことは事実。ただ定満さまの兵談義を聞いてみたい、その願いのみでござる。それ以上の望みはござりませぬ」


「年寄りの昔話を聞きたいと申すのか。うーむ。何やら裏の望みも透けてみえるが、某も越後の行く末を考えなくもない。素直に話しにのって、託するに足るか見定めるのも一興か...... 」

腕を組んで考えこんでしまった。


「まあ一度あうことに、やぶさかでない。そちらの方から会いたいとの申し出でござる。わが館に足を運んでくださるのか? わしも近ごろ足腰がめっきり弱ってのう。遠出は苦手になってきておる」

 やはり老狐だ、変化球でこちらの意向をうかがう。


「主君に他意はござらぬ。ただ懇談したいのが願いでござる。ただ仕える者として宇佐美殿をお疑うわけでござらんが、近在の寺院を会見場とされた方が、両家のご家来衆も安心して送り出せるもの。如何でござろうか」


「それもそうじゃのう。ただ北に黒田、南に柿崎がおる。お互い目立たぬ方が良かろう。場所は寺が双方にとって安心できよう。三条と柏崎の中ほどに来迎寺村があって、安浄寺という名の寺がある。そこでどうじゃ?」


「ご配慮をいただき忝きしだいでござる。こちらの望みを言わせていただけるなら、主君は長いあいだ海を見ておりませぬ。海を眺めながら語るのご一興かなと。柏崎に良き寺などございませぬか」


「そうか、久しぶりに佐渡でも眺め天下を語ろうか。柏崎の妙行寺なら格好な寺院じゃ。日時はこれから七日後の四月十日、午の刻でどうじゃ」

「願いをお聞きいただきまして有難きしあわせに存じまする」


「手の者を寺におくって準備をいたすので、そちらのご懸念はご無用になされよ」

「承知つかまつりました。本日は主君の願いが叶いましたこと、まことに喜ばしき限りでござりまする」


 すぐ九郎殿にむかい景虎さまと宇佐美氏の会見場所が妙行寺になったことを伝える。場所を聞くと目の前の岬の突端にある寺だった。番神堂という仏堂で名高い。柏崎となると前日から泊まらないと間に合わない。お手数をかけるが九郎殿の本宅に泊まらせてもらうようお願いする。


 景虎さまは軍師殿と僕、そして側近衆から金津 新兵衛と戸倉 与八郎の五名を連れて、前日に三条城を出発した。行者の風体で、寺泊から荒浜屋のテント船で柏崎に入った。お武家さまを四名むかえるとあって、荒浜屋もてんてこ舞いで支度をしたはずだ。


 九郎殿も精いっぱいの歓待を尽くしてくれた。海の幸はもちろん、お浜さんの店から看板メニューのおでんやおぼこ卵などを取り寄せている。景虎さまも寛いで九郎殿に親しく声をかけてくれた。九郎殿もさいしょは畏まっていたが、酒が進むうちに胸襟をわって話しこんでいる。 


 次の日 午の刻まえ、たっぷり余裕をもって妙行寺に到着した。宇佐美家の手の者が先触れをしたのか、門に住職が待っていた。住職の先導で五人が本堂の前庭へ進んだ。そこに先日あった定満が出迎えに立っている。


 五人の装束は鈴掛衣すずかけころも、帷子かたびらを着て金剛杖をつき、笠を手にしている。景虎さまが滑るように定満に歩み寄って行った。


 定満が床几から離れて頭を下げ、

「宇佐美 定満でござります」

 と名乗った。


「景虎さまでござる」

 軍師殿が名を告げた。 


 定満は景虎が主従五人で きていると確認すると

「なんと大胆なことよ」

 と微笑んだ。 そしてつけ加えた。


「兄上とは人柄が大違いじゃのう。あの方なら、大勢の警備兵を連れて参るであろう。いやさ、ここまで出向かずに、某を呼びつけたじゃろうなあ」

 と完爾として笑った。


「ようこそお越しくだされました。さあさ、こちらへ...... 」

 と小腰をかがめてウキウキしたように先導して庫裏へ案内した。


 もっと気難しく横柄な人柄かと、先週の会見の印象だったが、いい意味で期待を裏切られた。そっと顔をうかがうと、景虎さまの第一印象が良くて、あまり愛想しすぎたと思ったのか、苦笑いを浮かべている。


 庫裏で装束をあらため座所へもどった。設けられた上座に着く姿勢は、物怖じや躊躇いもなく、自然にそなわった威厳がある。持って生まれた所作で、僕が真似をしようとすると返ってぎこちなくなる。定満は思わず深々と頭を下げてしまったようだ。


 景虎さまは少年ともいえる年齢で、話題はすくない。為景さまの回顧談を聞き入ってきた経験からか、定満の兵談をうまく引っぱり出すコツを心得ているようだ。次々と定満の自慢話しをしんけんに聴き入っている。定満も大張り切りで喋り続ける。


 定満が調子にのって

「もし越後の平定について兄君が不得意ならば、景虎さまが...... 」

と言いかけた。


「その話しはまだ早かろう...... 」

と軽く たしなめられた。


「うーん、これはわしの勇み足じゃなあ。わっ!はっ!はっ!」

と大笑いして ごまかした。


 ともかく宇佐美 定満は景虎さまの器量を認めたのは確かだ。窓から佐渡が水平線のかなたに霞んで見えた。




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  2019/01/11  宇佐美定満と景虎の出会いについて


 学陽書房出版の人物文庫「上杉謙信」著者 松永義弘を参考にさせて頂きました。




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