第四十二章 虎千代の涙

 一週間後ということで半端な時間が空いてしまった。ここで時間を潰そうにも、行くところもない。府中にもどり、虎千代さまにお会いした方が価値的と判断する。五人そろって寺泊へ戻り、さらに柏崎へ向かった。


 九郎殿の柏崎本店で一泊。九郎殿は布団を一組、絶対に手に入れると勇んでいる。多分、自分用にも注文するのは間違いない。奥さん用にと張り切るなら、傍から とやかく言うことでもない。


  荒浜屋の今町支店へ出発のさい九郎殿に、十一月一日に寺泊支店へ出航するテント船の手配をお願いする。二日に為景さまと藤田氏との三者会談が約束してある。九郎殿には、何回も船の手配をお願いしている。この一連の動きがおわると、しばらく船旅はなくなるだろう。そろそろ冬の季節が近づいてきて、冬の船旅はご遠慮したい。


 しばらくぶりに自宅に戻り、やはり気持ちがホッとする。留守を守った孫七とキヌ夫婦に、古倉さんとお菊からお土産を渡している。いつ買ったのか、女性の細やかな気遣いに感心する。僕ならまったく気がつかないところだ。


 これなら明日うかがう林泉寺の住職にも用意しているかもしれない。畳の上に寝っ転がりながら、どんな布団が出来上がってくるか夢想する。


 次の朝、古倉さんと一緒に林泉寺へむかう。この道をこれから何回往復することになろうか。林泉寺の境内はいつもと変わらず静謐につつまれていた。木々のあいだから木漏れ日がこぼれ、なにか暖かい雰囲気につつまれて並んであゆむ。懐かしい

感情がわいてくるのが不思議だ。庫裡の入り口で開板かいはんを叩く。すぐご住職の部屋に案内される。


 古倉さんから話し始めた。

「残念ながら虎御前さまは労咳に蝕まれております。この病は四百年後にやっと治療薬が発見されます。私がもっている知識をもってしても、薬は作れません。これ以上手の施しようがございません。ご期待に添えず申し訳ございません」

 と頭を下げた。


「そなたが悪いわけじゃない。謝る筋合いであるまい。それにしても虎千代さまには、むごい知らせじゃのう」

「この病は幼児や体力のない者に感染し易い特徴をもっております。虎御前さまは覚悟を決められました。虎千代さまに二度と会わぬお積もりです。その代わり遺言ともいえる物を預かってまいりました。後ほど虎千代さまにお渡しいたします」


「そうか、お前たちの手で出来るだけ慰めてやってくれ」

「今の段階で死病とまで お話しいたしません。もう少し年を重ねてから言うつもりです。それで虎千代さまのお部屋で、一晩 添い寝をしてあげたいとの望み、お聞き届けいただけましょうか?」


「狭い部屋じゃが、その方が気持ちが通じ合うかもしれんな」

「ありがとうございます。そうさせて頂きます。これは寺泊で買い求めた、お土産でございます。ご宝前にお供えください」

「これは、これはお気を遣わせた。ありがたく頂戴しよう」

やはり購入していた。


「そうじゃ先日、医者を志望する者を探すよう依頼があったなあ。心当たりに声をかけてみた。寺で修行中の者から一人、入門したいという者から二人、三人を見つけた。そちらの希望に添う人材がわからぬが、やる気は十分感じとれた。会ってみて適否を判断してくれ」


「これはお手数をおかけいたしました。ご方丈さまのご推挙、間違いないと存じますが、形だけでも面接しませんと相手に失礼かと思います。お寺にこれ以上、ご迷惑をかけられません。今町の自宅ということで如何でしょうか?」


「よし、分かった。自宅は荒浜屋の店に行くと案内してくれるだろうなあ。荒浜屋を目印に行くよう連絡いたそう。では虎千代さまの部屋へ案内させよう。そこに虎千代さまをお連れいたす」


 二人で、部屋で待っていると虎千代さまが静かに入ってきた。うん、あの腕白小僧がどうしたんだ。話しの内容を薄々かんじているのだろうか?

「お寺の修行は如何かな?」

「母上に会われたと聞いた。元気であったか?」


やはり六才の子ども、聞きたいことをストレートにぶつけてくる。

「お母さまが虎千代さまにと、お言付けをくださいました」

と古倉さんがスマホを操作して動画を再生し始めた。


 びっくりまなこで、画面を見つめている。

「母上」

舞を踊りはじめると、姿を追うように視線をうごかし、呟くように小声で語りかけた。いつしかスマホを取りあげて両手で握りしめている。母の顔がアップになって、一言ひとこと語り始めると、涙がひとすじ瞼からこぼれおち頬をつたってゆく。うん、うんと首を上下している。画面が終わっても放心状態で凝視していた。


「もう一度見ようか?」

古倉さんも涙をあふれんばかりに潤んだ目で囁いた。

「うん」

と恥ずかしそうに涙をぬぐいながらコックリ頷いた。


結局、あと二回くりかえした。

古倉さんがお守り袋を手渡した。

「これはお虎に手渡してって、頼まれたものよ。開けてみて」


そこに「信」の一文字が書かれた紙片がプラスティック製のカードケースに収められて入っていた。

「いまは意味が分からないと思うけど、母上がお虎に贈りたい言葉として選んだ文字よ。心の奥にだいじにしまっておいてね」


「母上にはもう会えないの?」

「母に会いたいときは、この中にいつでもいるわ」

「嫌じゃ、嫌じゃ。母上に会いたい」


首をせいいっぱい左右に振って受け付けない。

「母上はお病気なの。元気になったら会いに行きましょうね」

「ほんと、約束してくれる!」


 古倉さんも心を鬼にして頷く。

「虎千代さまがお利口にして勉強に励んでくれたら、お母さまがいちばん喜んでくれるわ。和尚さんの言いつけをよく守って良い子になりましょうね。お母さまもきっと元気になるわ」


その日は川の字になって眠りについた。古倉さんの手をしっかり握り胸元に顔をくっつけて寝入っていた。


 寝付いたころ、古倉さんが小声で囁いた。

「スマホはいつか壊れるわ。新一君のスマホに送ってバックアップを取るけど、いずれ両方とも使えなくなる。そうなれば大事な画像が消えてしまう。同級生で絵が上手な子がいて肖像画を描いて貰ったの。細密画と言うんだろうか。モノクロなんだけど、まるで写真のようにしか見えないの。彼女は美術大学に入学して画家をめざしたわ。私の高校生のときだから、今とちょっと顔は違うけど、スマホに保存してある。この時代にも絵に才能がある人が必ずいるはず。きっと見つけて描いてもらうわ。消えてしまったら虎御前さまの思いが無になってしまう」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る