第四十一章 越後屋

 宿に戻ると九郎殿と手代が待っていた。

「おっ! どこへ行っていたのだ? これは、これは、ご内儀もご一緒にお出かけでしたか。お羨ましい。おや!お菊も一緒か、お前も良い主人と出会って良かったな」

「すみません、お待たせしました。お忙しいだろうから、二・三日は無理かなと思って、彌彦神社へお参りに行ってきました」


「歴史のある神社なんですね。佇まいが荘厳で、行った甲斐がありましたわ。私の気持ちも整理でき、よい一日でございました」

「おお一段と晴れやかなお顔、なにか一皮むけたような艶やかさで、ホンに先生がお羨ましい」


「相変わらずお口がお上手で、あちこちで女子おなごを泣かしておられましょう」

「下手な弓矢も数打ちゃアタルの口で、そちらが考えるほど、もてはしませんよ」

うん? 下手な鉄砲とのコロケーションだが、そうか、まだ鉄砲は入っていないのだ。

「入り口で立ち話もなんですので、お部屋でつづきをお話ししましょう 」


さすが九郎殿こちらまで商圏を広げているのか、大部屋をとってあり一緒に夕食を

頂くことになった。手代も片隅でチョコンと座っている。

「ムシの知らせでもなかったが、無性に寺泊に来たくなってのう足を伸ばしていたんじゃ。為景さまが俺に会いたいなんて、夢にも思っていなかったわ。さすが先生だ、商人なんて今まで目もくれんかったが、一日で考えを改めるとは、どんな手品を使ったんじゃ?」

と酒をつぎながら話しをふってきた。


「やはり戦国大名の先駆けとなる人物です。戦一辺倒では国を経営できないと分かっております。晴景さま虎千代さまに、きちんと基盤を整えて渡そうとお考えです。土地が信ずるに足る一番の物との考えは、徐々に変わりつつある段階でないでしょうか」


「為景さまって、俺にしてみりゃ雲上人と変わりはないわ。どんな話しになるんじゃろう?」

「今回は顔つなぎで終わると思います。蔵田 五郎左衛門が、この後に呼ばれております。あらゆる商品、すべての労力の対価は、最終的に金銭での決済に帰着します。

いかに銭を稼ぐか、儲けるかが、大名の基盤となります。土地も言ってみれば金銭の

対価に過ぎないことが分かってくるでしょう。すでに年貢も銭で納めるよう、変わりつつある時代に入っています。九郎殿、あたらしい産業をたくさん創業して大いに儲けてください。儲けの何分の一かは税として納めていただきますが」


「ホンにお主はずる賢いやつじゃ。これは俺の褒め言葉じゃからのう。誤解せんとおくれ」

「荒浜屋さん、新しい店の屋号をつけるときは『越後屋』にしましょう。とくに木綿が本格的に生産がはじまって、正価販売の呉服店が誕生します。『越後屋、お主もワルよのう』のセリフを一度いってみたい」

これは古倉さんしか分からないジョークだろう。


 古倉さんも盃を干している。僕より酒は強いかもしれない。お菊も慣れぬ手つきで白磁の瓶子へいじから酒を注ぎにまわっている。うーん、古倉さんが意味ありげな視線を寄こしてくる。なにか良いことがあったのだろうか。


 神社でお参りしてから、すっかり人が変わったみたいだ。機嫌が良さそうなのが何より。酒がまわったのか頬がホンノリ上気している。軽くウィンクしてみる。おおー、返ってきた。


 心地よい宵がふけてゆく。


 翌朝、手代を供に三人で三条城へむかう。信濃川は長岡あたりでも海抜二十メートルの高さしかない。河口から長岡まで七十四キロメートルとしたら、勾配は0.3パーミリパーセントという水平と言ってもよい地形である。パーセントで表すなら0.03パーセントである。大雨がふったら河道が変わるのが当然と思える。それでも川幅を五百メートルほどに抑え、そのあいだで暴れるように手なづけてきた。


 排水路を延々と堀り、その土を堤防として積み上げてきた。排水路ははるか下流で、本流に注ぐ支流に接続して流している。幹線の排水路は村人ぜんいんが力をあわせて整備していったのだろう。一代でできるわけもなく先祖伝来の田畑を活かすべく力をあわせて作り上げてきた。汗と涙の結晶である地に思い入れが込めるのは当たり前である。


 刈り入れが終わって切り株だけが残っている田畑の見ながら道を歩む。揚北衆も先祖から引きついできた伝来の地を、彼らなりの論理で守っているだけかもしれない。その思いを理解して対処しなければ処置を誤るかもしれない。自戒、自戒。


 三条城の門番は先日の人間だった。こちらの顔を覚えていた。

「ご隠居さまから、荒浜屋を連れて参れとのご命令でまかり出ました。お取り次ぎを願います」

先日の若い侍がふたたび現れ案内してくれた。手代は門番の所で待つ。

先日とおなじ対面所に案内された。


「おなり」

の声で四十くらいの中年の武士が小姓をともなって現れた。そのあとに為景さまがつづく。こちらは平伏して頭を畳につける。

「面を見せよ」

の声がかかって、頭をあげる。正面に城主らしき武将と為景さまが離れた脇に座っていた。


「この者が虎千代を教育する永倉 新一。脇におるのが柏崎の商人、荒浜屋 宗九郎

と申す者。こちらは三条城の城主 山吉 政久さまであらせらるるぞ」

と為景さまから紹介があった。隠居したから形式に拘らなくなったのだろうか。


「ははー」

と再び平伏した。江戸時代の厳格な作法は定まっていないが、それに近い所作は出来つつあるようだ。


「これからも長尾家のために励めよ」

と、お言葉をかけていただいた。

「誠心誠意つとめさせていただきます」

とふたりで言上しご対面は終わった。


 終わってから為景さまにお願いした。蔵田氏の話し合いは城主抜きの形でやって頂きたい。本音を聞き出したいので、公式の場でなく私的な懇談的なやりとりで進めたいとつけ加えた。対面しなければならぬなら、話し合いが終わってからセレモニーとして設けてくださいとお願いした。


 帰り道、九郎殿は興奮していた。

「これで越後でひとかどの商人として認められた。こんな名誉なことはない。先生にはお礼をこめて何か贈り物をしたい。ぜひ欲しいものを言ってくれ」

「うーん、欲しいものって...... そうだ、九郎殿。出来ますれば布団が欲しい」


「布団? 畳じゃ不足か」

 たしか安土・桃山時代に掛け布団のはしりである夜着やぎが現れた。はじめは襟や袖がついた着物型の掛け布団。江戸時代に入って、現代の敷き布団が登場する。

すこし時代を早めても誰も文句をいわないだろう。


 宿に帰って古倉さんのボールペンを借りてスケッチを描く。

「こうして掛け布団は襟や袖をなくして長方形の形。なかに木綿があれば最高だけど

無ければわらを砕いたりくずまゆをほぐした物を詰める。紙でも良いかもしれない」


「敷き布団も同じように作ります。ホカホカしてこれから重宝しますよ。これから寒い冬をどう過ごすか頭を悩ませていたんです」

「ほう、俺なら人肌のほうが暖かくて気持ちがいいけれどなあ」


「まあ、九郎殿。そんな あからさまな物言いを人前で......」

と古倉さんがホンノリ赤くなって下をむいてしまった。

「あれ! 俺なんか変なこと言ったかな」

と不審げな顔をこちらに向けた。


 九郎殿、夫婦のことを詮索しすぎると嫌われますよ。


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