第二十七章 ゲンコツ

「景信さまをお呼びして。わたしの口から話します。そなたらに迷惑をかけられぬ」 

侍女を使いに出させた。すぐ弟の城主が現れた。息を切らせて

「姉上の見立て、如何した?」

「景信や、落ち着いて聞きなされ」


 一息いれて、ゆっくりと話しはじめた。

「恐れていたとおり、労咳との見立てだったわ」

「姉上、このような若くて経験もとぼしい女が言うことなど信じられませぬ。京から天下に名高い名医を呼び寄せまする。お前ら、こちらの足下をみて、勝手な言い草をほざいて! 恩義を仇で返しやがったな」


 と、僕の顔めがけて拳をふりあげて殴りかかってきた。ポカッ!ポカッ!と二発ほどぶん殴られた。うーん、目にジーンと涙が出てきた。覚えているかぎり頭をげんこつで殴られた記憶はない。


 暴力的な躾は受けず、親は言い聞かせるスタンスだった。友達の喧嘩でも取っ組み合いまで発展したことはなかった。非暴力が学校でも当たり前。そうだ、この時代は暴力で解決する世界だ。


 僕たちは何の手助けもできない現実に打ちのめされていた。殴って気が済むなら二発ぐらい仕方がないか。 殴られるこちらは痛くて涙目だが...... 古倉さんが慌てて止めにかかった。


 女性を殴らないのは未だ理性が残っている証拠か。まあ、古倉さんの身代わりになったと思えば痛さも嬉し。あれっ! 俺ってマゾっ気があるんだろうか。


「景信! お止めなさい。そちらの二人に何の咎はありませぬぞ。わたしを悲しめないで」

姉の声に冷静になったのか

「済まぬ。ついカッとなってしもうた。許されよ」

と頭を下げた。


「それで、本当に診断に誤りはないと申すのか?」

「はい、十中八九は間違いはございません。この病をなおす薬は、はるか未来の四百年さきのことでしょう。まことに口惜しいかぎりで、力ない私でございます。本当にお許しください」

労咳に心をうばわれて相手は気がつかなかったが、古倉さん危うい発言をしている。


「では薬がないとすると何をすれば良いのじゃ」

「まず食事療法が大切です。滋養がつくと魚を食べ過ぎることはないと思いますが、大豆や豆腐などは必ず食べて下さい。骨のまま食べられる小魚や、野菜や果物、そして海草を欠かさず口にしてください。結核をもたらした目に見えないばい菌は塩分に弱いので、塩辛めの味加減にしてください。女性は甘いものが大好きですが、できるだけ控えて欲しいですね」


「ニンニクは悪臭がして嫌われますが、がんばって摂ってください。ネギやニンジンも是非。それに山芋は寝汗を防ぐし体力もつけてくれます。緑茶はアルカリ性の食品だし、多量のビタミンCを含んでいるから飲んでください」

侍女が一言も漏らすまいと筆で書き留めているのが目に入る。大丈夫? カタカナ語がはいっているけど。たぶん、そこは端折っていると思う。


「体力を消耗する運動をすることは無いとおもいますが、散歩など気分転換になってお勧めします。あとは気持ちを明るくたもつよう、心がけて下さい」

「ああ、それは大丈夫。お虎のお話し聞いたから、思い浮かべるだけで元気になるわ」


「虎千代か? どんないい話を聞いたんだい?」

「うふふ、これは内緒のお話。約束したから私の口から言えないわ。でも、お虎が

何になっても、景信はかならず支えてくれることを私は信じているわ」

「もちろんさ。かわいい甥っ子だもの。お姉さん、安心して」

と姉の手をにぎりしめた。虎御前も万感の思いで視線をからめている。


 気持ちが落ち着いたのか、景信から聞かれた。

「そなたらは林泉寺に戻られるのか?」

「昨日から柏崎の荒浜屋に厄介になっております。暫くそこに滞在いたす予定です」


「そうか、帰りは夜道になって女連れでは不用心だ。今夜はここに泊まられよ。心ばかりであるが馳走しよう。姉をかこんで食事をするのも久しぶりじゃ」

「有りがたきお言葉、遠慮なく甘えさせていただきます」


「水をさすような発言となろうかと思いますが、医者として一言ご注意申しあげます。労咳は空気をとおして感染します。発病しても痰のなかに菌が含まれていない場合、周りの人は感染いたしません。検査する手がありませんので、悪い事態を想定していた方が良いかと考えます」


「菌が体にはいっても発病する人は一割から二割と言われています。おそばで介護なさる方で発症しない例がたくさんございます。ただ、小さな子どもさんや体が弱い方は、出来ますれば離したほうが良いと思います。その点で虎千代さまと二度と会わないと決められたことは立派なお覚悟と存じます。そのようなご病気であると分かっていただきたく申しあげました」


「景信さまから申しにくいと思いますので、私から提案いたします。出来ますれば小さな離れの庵を建てられ、お住みになられたら如何でしょう。今すぐと申しません。お元気な今が、その機会かと思われます」


「そうか、奥や子も一緒にと思ったが、呼ぶのは控えよう。今宵はわれわれ大人だけで過ごそうぞ。庵については考えさせていただこう」


 四人だけの和やかで静かな宴がつづいてゆく。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る