第二十六章  信

 城内から注進に行った門番とともに、一人の武士が下りてきた。

「某が案内する。ついて参られよ」と先導する。荒浜屋の手代とお菊は、ここで待つことになった。門の上は櫓になっており、三人ほどが周囲を見わたし警戒に当たっている。


 入ると道は二つに分岐し、右は奥にある詰めの丸へ向かうようだ。左が本丸をめざす道だった。きつい勾配の切り土の上には腰曲輪がまわされ、上から矢の斉射を受けそうだ。畝条の空堀が四連ほどつらなり崖を横切るのが大変そう。登り道はすぐ直角にまがり、また三の丸を回りこむように登ってゆく。


 一番目の平地が三の丸。門の上に櫓が組まれ警戒する兵たちがあたりを睥睨している。兵舎なのか十戸ほど並んでいる。その間を通り過ぎると、深い横堀があって細い橋が架かっている。一人分くらいの幅しかない。


 橋の向こうにも門があり、やぐらが二戸併置してある。わたると一段高い平地で二の丸。すぐ兵舎らしい平屋の建物が正面にある。この建物を回りこんで奥へすすむ。


 平地と崖面の境いには腰曲輪がグルッと囲んであって、塀越しに下にいる敵を隠れつつ斉射できる。二の丸は全部で七戸ほどの建物が建っていた。奥にすすむと本丸の入り口に着いた。


 入り口は枡形、別名で虎口こぐちと呼ばれる二つの門で構成されている。やはり出入り口はもっとも重要な場所で、攻め方と守り方が争う激戦地となる。


 階段をのぼると腰曲輪に囲まれた本丸についた。前と後ろに櫓が二戸建っている。

大きな平屋の屋敷が二戸並んでいた。手前が公宅、後ろが私宅に使い分けているようだ。歩いてきただけで、防御態勢がしっかりしているのが分かる。攻撃はむずかしい城との実感がわいてくる。


 玄関で足を濯ぎ、部屋へ案内される。八畳ほどの小部屋であった。正座して待っていると、小姓が襖をあけて僕と同年配くらいの青年武将が入ってきた。案内した武士もつづいて入室し、廊下側に座った。


「栖吉城主の長尾 景信さまであらせられるぞ」

「ははー」 と僕たち二人は平伏した。

江戸時代の殿さまに拝謁する時ほど、まだ堅苦しい礼儀作法は定まっていないようだ。


「ご住職の書状を拝見したが、わが姉 虎御前に会いたいじゃと?」

と直接 聞いてきた。直答が許されると受けとって、

「お姉さまのご加減はいかがで有りましょうか? わが妻は医療全般を究めました。

お目にかかって診察させていただければ幸いでございます」


「うむ、姉の容体など身内だけの秘事。そなたらが何故知ったのじゃ?」

 若くして亡くなった事実から推測したのだが、お加減が悪いようだ。


「ご城主さま、ここで大事なのはお姉さまのご健康です。どうして知ったかどうかは些事小事の話しでございます。どうかお許しのほど、お願いいたします」


「林泉寺のご住職からの紹介でもある。若いそなたが名医とはとても思えんが、弟として姉の健康を願わない者などおらん。よかろう、案内させよう。見立ては終わってから聞こう」


 先ほどの武士が隣りの棟へ案内した。玄関で詰めている女中へ命じている。女中が奥へ向かっていった。しばらくして奥から年配の侍女が現れた。武士から侍女へ殿の命令を伝えている。


 診察が先なので、古倉さん一人が奥へ案内された。玄関の式台で男性二人は待つことになった。二人とも無言のまま時が過ぎてゆく。


 一時間ほどして古倉さんが戻ってきた。顔色がわるい、良い知らせで無いようだ。

「虎御前さまがお呼びでございます」 

と僕に付いてくるよう言った。


 歩きながら、小声で

「肺結核と思う。検査する手段がないから断言できないわ。ただ一度、鮮紅色の血を

吐いたと言っていた。痰がでるし間違いないと思う。私には治療できない。治療薬が完成したのは戦後の千九百五十年から六十年ごろよ。日本の病気で亡くなるトップにあって、国民病と恐れられていたわ。出来ることは体力をつけて安静にしていること位。ああ、アニメの「風立ちぬ」も結核がテーマだったわね」


「そう、可哀想としか言いようがないね。本人に告知するの?」

「ええ、彼女も薄々感じていて、覚悟を決めているようにみえる。残念だけど、史実のとおりになりそうだわ」


 いちばん奥の東がわ端に部屋があった。襖の前で座り中へ声をかけた。襖が開いてお付きの侍女が顔をだした。しずかに襖を開けた。畳の上に着物を敷いて、上衣をかけた女性が寝ていた。こちらに気付いて、起き上がって正座した。楚々たる佳人、美人薄命の表現がピッタリする。うっ!縁起でもない。


「こちらがご主人ね。優しそうな顔をしてお似合いのご夫婦ね。遠くからようこそお出でくだされました」

「初めてお目にかかります。永倉と申します。急な申し出にも関わらず、お聞きくださいまして誠にありがとうございます」

「いいえ、こちらこそ診察をしていただき、ありがとうございます」


 そして覚悟をきめた顔で古倉さんを凝視して言った。

「お見立ては如何でありましょうか。覚悟は出来ております。本当のことを仰ってください」

 古倉さんが部屋にいた侍女を気にした。

「こちらは小さな頃から仕えてきた者。何も隠すことなどございません」


「それでは申しあげます。ご病気は労咳の確率が高うございます。残念ですが、私の手でも治す手立てはございません」

 やはりショックなのだろう。血の気がひいて蒼白になる。侍女も口に手を当てて、わなないている。


 それでも気丈に話題を変えた。

「そなたらがお虎の傅役ふやくのお手伝いをするんですって...... 」

 虎御前に希望を与えなければ可哀想すぎる。


「これからの話しはお二人の胸のうちにしまって置いてください。知っているのは林泉寺のご住職と後継者の益翁 首座のお二人です。よろしいですね」

 侍女の視線をみつめ頷くのを確認した。


「虎千代さまは、晴景さまから家督相続をうけて越後の国主となられます。戦に明け暮れる国をおさめ、民や百姓が平和で豊かな生活を営める国をめざして奮闘されましょう。私たち二人はそのお手伝いをさせていただきます。虎御前さま、あなたは素晴らしい息子さんをお生みになったのです。どうか、その誇りと夢をもって生き抜いてください」

「まあ、夢のようなお話し。お虎がそのような立派な武士もののふになるとは。わたしの本懐でござりまする」


 古倉さんがスマホを取りだした。

「これは動画といいまして顔や声が、そのままそっくり器具のなかに収まります。元気なお顔や声を虎千代さまにお届けできます」

「まあ、それではお化粧して晴れ姿を お虎に見せなければ...... 」


 侍女に指図して化粧道具をもってこさせ、どの衣装が良いか、あれこれ選んでいる。古倉さんが自分のポーチから手鏡を取りだした。手鏡を手にとって

「こんなにやつれて...... でもあなたと同じような年令ね。私だって未だ未だ捨てたもんじゃないんだから」


「そう、その意気です。大事な大事な虎千代さまに元気いっぱいの姿をお見せして」

 古倉さんの声に力がはいる。主の晴れやかな声に侍女も笑顔でまめまめしく介添えしている。


「じゃあ、お虎のために舞をひとさし」

「お体に障りますので、ほどほどに」

 と侍女は逆に気を揉んでいるが、虎御前は元気な姿を見せられるのは、これが最後の機会かもしれぬと思い定めているようだ。選んだ着物は落ち着いた濃紺の無地に、ひとさしの桜が咲きほころびる模様だった。


 指の先までのびきった挙措、慎ましげな足運び。僕は日本舞踊などトンと素養はないが、母の一念のこもった踊りに涙がこみ上げてきた。スマホをかざしている古倉さんの瞳も涙があふれている。

 

 古倉さんが侍女に和紙と硯と筆を頼んだ。

「虎千代さまに一文字おねがいします。このケースに入れてお届けします」


 取りだしたのはネームプレート用のプラスチック製のケースだった。この大きさでは一文字しか書けない。大きさにあわせて和紙をハサミで切る。しばらく何を書こうかと思案していた。 そして一文字 「信」 を書き上げた。 


 そしてスマホに顔を近づけて

「お虎や、母はいつもそなたを思っておりますぞ。いつまでも体を労うてお前の夢を追うてくだされ。そなたを信じている人を仇おろそかにしてはなりませぬぞ。毘沙門天王が必ずそなたの身を守ってくれるであろう。愛しい、愛しいお虎や」


 張りつめた気持ちがゆるんだのか、クタクタと横になった。あわてて侍女が上衣を

掛けている。古倉さんの手をにぎって囁いた。

「虎千代には、お見舞いに来させないで。私のすがたは、その中に留め置きください。お虎には若い元気な母のすがたを残してあげたい。どうか、約束してください」


「わかりました。お約束いたします。虎千代さまの成長する姿は、その都度お届けに

上がります」

 僕もその上に手を重ねた。


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虎御前の死に二説あります。一説は千五百六十九年で五十七才で死亡、お墓は春日城 裏にある宮野尾集落に五輪塔として残っている。

もう一説は千五百四十三年五月七日 死去。

ストーリーでは、後説を採用しています。



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