謙信が動く
笛吹 響人
プロローグ
「ふぅー」と大きく息をはく。春日山城の本丸跡をめざして謙信公の銅像から登りはじめた。三の丸、二の丸そして本丸とつづく道。剣道部のクラブ活動で体をきたえていても、さすがに急坂はきつい。
戦国時代 いったん城主の招集がかかれば、麓の屋敷から山頂の本丸まで、駆け上がらなければならなかった。昔の人は体力があったと云うが、この急坂を行き来するとは頭がさがる。
十一月三日から五日まで長岡高等専門学校の学園祭がひらかれる。その高志祭で剣道部として、何のテーマで催すか悩んでいた。ちなみに俺はキャプテンで最上級生の五年生。
本校の学園祭は二種類あって、未工祭は二日間で、高志祭は三日間かけて行われる。ただし高志祭は三年に一度おこわれるだけあって、未工祭より大きな学園祭になる。
俺にとっては最後の学園祭で、主将とあらば一段と気合いを入れねばならないところ。部員から出てきた案のひとつに、郷土の英雄である上杉謙信がつかう剣の流派は何だろう? というのがあった。
戦国時代の武将で、剣豪といえば次の三人が有名だ。柳生 宗厳、北畠 具教、足利 義輝、のトリオ。いずれも大名や将軍ながら、剣のうでまえで天下に名をとどろかせた。
大将が合戦で求められるのは軍隊を運用する才腕である。全軍の状況を見わたして、部隊の進む退くの判断や入れ替えを、てきせつに指揮する能力が求められる。おおよそは軍師がそばにいて具申してくる。その諾否を決断し、あとはどっしり落ち着いていれば良い。
大将みずから刀をふるい最前線に飛びだすなど、それこそ匹夫の勇と敵味方から侮られ、おろか者の烙印をおされてしまう。しかし第四次の川中島合戦は、謙信がただ一騎で信玄の本陣に攻めいって太刀で切りつけた極めてまれな例である。信玄は床机に腰をかけたまま軍配団扇で受け止めた。この一騎討ちのブロンズ像が長野市の川中島古戦場史跡公園に鎮座している。
混戦のなか、近習や馬廻りの親衛隊が固める本陣を狙うかぎり、信玄に切りつけるチャンスは初太刀しかない。銅像では馬が立ち止まって太刀を振りかざしている。左手は馬の手綱をにぎってコントロールし、右手に全体重をのせて渾身の一撃を振るおうとする瞬間を切り取っている。ただ力任せに刀を振るっているとしか見えない。
Webで検索したら三太刀を軍配で受けとめ、七つの傷が残っていた、とある。三回も切りつけて倒せなかった謙信の剣が弱いのか、軍配で受けとめた信玄の腕前が強いのか、よう分からない。
剣道部のキャプテンとして思うところはある。おそらく高名な武芸者から手ほどきを受けた文証はないだろう。それなりの武芸者から習ったであろうし、稽古を重ねたはずだ。
剣さばきで相手をいなすより、力任せで相手を圧倒する戦い方しか出来なかったと思う。あまたの戦闘の中で、謙信がこれほど命を賭けた戦はもう一例しかない。
唐沢山城の逸話として有名で、北条氏政が三万五千の兵を率いて城を取り囲んだ。その救援のため八千の兵をつれて進軍、みずから物見に立つ。落城がまぢかいと判断した謙信は、甲冑をつけず黒木綿の道服と白綾の鉢巻を身にまとい主従あわせて数十騎のみで敵中に突入した。
北条勢は呆然と見守るだけで攻撃できず、謙信は無事に入城する。この不敵な行動に北条勢は戦意をうしない、一千あまりの死傷者を出して撤退していったという。
勝負度胸というか、ここ一番の見極めは、軍神と敵味方から崇められる所以だ。
頼 山陽の漢詩「川中島」は詩吟でも有名。「鞭声粛々 夜河を過たる 曉に
見る千兵の 大牙を擁するを 遺恨なり十年 一剣を磨き 流星光底 長蛇を逸す」
こうなれば詩吟でも吟ずるか? 年配者のイメージがあるので、あんがい面白いかもしれない。それに腹の底から発声しなければならないし、物腰や態度など所作に良い影響を与えてくれる。これも一案として頭に留めておく。
ピンとくるテーマが見つからない。現地を歩いたらインスピレーションが舞い降りてこないかと、はかない望みを託して上越市に来たしだい。午前中は春日山城の本丸跡に登る予定で、今こうして息を切らして登っている。
やっと頂上に辿りついた。目の下に広がる、ありし日の越後を思い浮かべる。頂上でコンビニで買ったお握りをほおばる。俺の好みはエビマヨ。お腹はふくらんだが、頭は空っぽのまま。神の光は、降臨あそばされなかった。そう簡単に問屋はおろさないようなあ、と自嘲する。
下山途中の中腹にある春日山神社を参詣する。お賽銭を心ばかり はずんで神妙に柏手をうち拝礼したが、言霊はかえってこなかった。そばにある記念館で「毘」の軍旗など、謙信にまつわる史料を見学した。
イベントを企画する人たちの頭脳をうらやむが、むこうは商売、血を絞りつく思いでアイデアをひねり出すのだろうなあ。残るは林泉寺宝物館と春日山城跡ものがたり館。まず謙信が七才から十四才まで過ごした林泉寺、手前にある惣門は春日山城から移築されたと云われる。謙信が幼い手でさわったかもしれない、と そっと触れてみたが、特段ビビッとくるものは無い。
山門は二層の格調たかいい門構えである。なかに入って庭園をそぞろ散策していたら、とつぜん驟雨におそわれた。見上げると真っ黒な雲が見るまに近づいてくる。見わたすと正方形に石垣がつまれた鐘撞き堂が目にとまる。雨宿りとばかり走りだす。女性ひとりが先に着いていた。
前線が近づいていたが、予報では傘マークはついていなかった。遠雷がきこえて間もなく、いちだんと雨足がはげしくなった。 あたりが真っ白に変わる。稲妻と落雷のかんかくが短くなりつつある。 やばい!
お堂に直撃をうけたら命があやうい。ずぶ濡れになるより命あっての物種。建物からの保護範囲は四メートル以上で、足を揃えてしゃがむこむ、ことは知っていた。 女性に向かって「危ないからお堂から離れましょう。僕の脇にすこし離れて、しゃがみ込んでください」と一方的に声をかけ飛びだす。
石積みの階段を走りおりて目けんとうで五メートルほど離れて姿勢を低くする。見る間に衣服が濡れてゆくのが分かる。そっと横をみると女性もおなじ姿勢をとっていた。
とつぜん辺りが光り輝き、気を失った。
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武将の名前は苗字+仮名+諱となり、主君や親でもないかぎり諱(忌み名)で呼びませんでした。仮名は現在では一般的でなく、かえって分かりづらいと思い、諱を使いますのでご了承ねがいます。
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