花守
小曽川ちゃこ
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世の中に 絶えて桜の なかりせば
春の心は のどけからまし
頭上からそんな歌が舞い降りる。
青年は木の根元に寄り掛かるように座って笑った。
「素晴らしい歌だね。調べの良さが皮肉であることすら打ち消してるよ」
「おや、花待ちの心情を深読みするとは、君らしくもない無粋だねえ」
「あははは、ごめんね。さすがの僕も今は余裕がないからね」
「そうなのかい?」
呑気に笑って問い返す彼に、ふと既視感を覚える。
「……こんな会話、前もしたかな?」
頭上を仰ぐと、太い枝に器用に腰掛け、幹に背を預けていた青年が振り返る。
「さあ?」
その目が笑っている。
「まるでチェシャ猫だね」
呆れたように呟くわりに、彼の表情は和やかなものになる。
「ちぇしゃねこ?」
「とあるおとぎ話に出てくる猫だよ。気まぐれで人を振り回してそれを楽しんでる。もっとも本人には、それすらもどうでもいいことの一つみたいだけど」
「ふうん。それは、君にそっくりだねえ」
お互いにくすくすと笑う。
ちなみに周囲の評価は、「似た者同士」だ。
二人の笑い声を、ふわりと温かい春風が攫っていく。その行方を追うように、遠く霞む景色に目を向ける。
いつもの春の風景。なだらかな丘陵。新芽や花々はまだ少ないが、不思議とほのかな色味を感じる。生命たちの息吹や昂揚感のなせる業だろうか。
そんな実にのどかな春の景色を眺めるほどに、自分の心の奥にある違和感が確かなものになっていく。
考えたところで埒があかない気がして、もう一度頭上を仰ぐ。と、待っていたかのような笑顔がそこにあった。
「…………」
咄嗟に言葉を飲み込み、逡巡する。そして同じように青年も笑みを見せた。
「さて、僕は誰でしょう?」
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