2-3 ラブストーリーは知らないうちに

「ぐぬぬぬ……」


「そんなに気張ってると、昼に食べていたジャムパンが出てくるぞ」


「うるっさい! 茶化さないでよ!」


 オールバックにした額を輝かせながら茉莉香まつりかがポニーテールを逆立たせんばかりに吠える。


「しかしな、そんなんじゃ持ち上がるものも持ち上がらんぞ。腕じゃない、もっと足を使うんだ。もしくはこの間教えた背中で持ち上げる方法を試してみろ」


 不安な筆記試験や走らせるのはいいとして、バイクは倒れたものを起こせないといけない。そしてこれは、コツを覚えるまで結構大変なのだ。特に俺たちのような細腕のチビには。


「うぬ~~~」


 茉莉香は思った以上に足が長く、俺のバイクでも足つきは問題なかった。だからあとは、これを覚えてしまえば神崎かみさき雅人まさと教習所は卒業でいい。


「うにゃああああ」

「―――ふふっ」


 笑うまい、笑うまいと思っていたのに、すっかり発情期の猫のような声になってしまった少女の気合に相好が崩れてしまった。


「だから笑わないで―――って、あれ?」

「すまん、これは本当に申し訳ない―――ってあれ?」


 どうやら先ほどの怒声が体力の限界だったらしく、陸に打ち上げられたクラゲのようにふにゃふにゃと地面に潰れていく茉莉香。俺は慌てて救護に向かう。


「茉莉香!? 大丈夫か」


 空気が抜けたようになっている小さな身体を抱き起すと、こちらに倒れ込んできた。膝立ちで茉莉香を抱き締めるような格好になる。と、そこに至って俺の内臓が誤作動を起こした。心臓が胃の辺りまで肥大化したように騒々しい鼓動を始めた。


「まつり……か」


 落ち着け落ち着けと自分に言い聞かせながら安否を問う。情けないことに声まで裏返っている。一体どうしてしまったのだろう。


「うう~……」


 それがか細い嗚咽おえつ慟哭どうこくだと知って、俺は急速に冷静さを取り戻した。彼女を抱き締めたまま、頭に手をやると、こう言った。


「そこまで落ち込むことはない。茉莉香はよくやってる」


 俺の肩に、遠慮がちな涙が降ってきた。


「ごめんね、雅人。あなたのバイク、傷が増えちゃって」

「もともと古い奴だから、気にするなって言ってるだろう」


 意外と繊細、ではなく、生来の繊細さを隠すために普段からはっちゃけてある種の道化を演じている。俺はそれをこの一年の付き合いで知った。


「私、本当にできるのかな」

「できるさ」


 何事にも不器用なだけに、きっと、鷹丸たかまるくんと出会ってSCP部を創るまで、こんな失敗ばかりしてきたのだろう。今はその頃の悪夢が、ちょっとだけぶり返しているだけ。


「……ふぅ。もう大丈夫よ。ありがとう。ああ、ちょっと鼻水も付けちゃったわね。ごめんなさい」


 まぁ、そのうち乾くだろう。


「よし、もう一回やってみる」

「がんばってみろ」

「言っておくけど、さっきのことを話したら真白ましろにあなたのCTに入っているエッチなものを全部ハックさせるから」

「うむ」


 それは真白にとっても相当な罰ゲームではないだろうかと思いながら、頷く。


「うにゅうううう!!!!」

「……ッ」


 また奇声を上げ出した茉莉香に表情筋を固めつつ、彼女を褒める。


「頑張り屋さんだな」

「ふん、当然でしょ。雅人と一緒にツーリングに行くんだからねっ!」


 吹き出した汗が目に入りそうになりながら見せたその笑顔に、俺がボーっとしていると、徐々に250CCのご老体が持ち上がっていった。


 ―――俺と一緒に、か。



※※



 ある日、久しぶりに風邪をひいてしまった。


 鼻水も咳も頭痛もないが、熱があり、関節が痛く、身体が寒い。


「急激な環境変化に伴う知恵熱では?」と思ったが、それは認めがたかった。


 ベッドに横たわったまま、午前が過ぎ、午後になったと思われた頃、おもむろに部屋のドアが開いた。


 家族の誰かが帰宅してきたのだろうか。それは半分正解だった。半休でも取っていたのか、母親がドアの向こうから俺を覗いていた。しかし、その前に二人、同年代の女子がいた。


「雅人! お見舞いに来てあげたわよ」

「会長さん、お加減いかがですか?」


 一人は茉莉香で、もう一人は、生徒会会計のかおりだった。珍しい組み合わせだ。そしてもう一人、俺のPCの電源がひとりでに入り、そこに紗枝さえが映し出された。


『先輩、大丈夫ですか』

「俺の家とPCのセキュリティほどじゃあない」


 茉莉香と同じくらいの身長の香が無邪気に笑った。茉莉香も微笑を湛えながら俺の枕元に立った。


「うふふ、ちゃんと元気そうね」

「何でこの三人なんだ?」

「あたしは、生徒会代表っ。マツリ先輩は、SCP部代表っ。みんなでじゃんけん大会したんだよ」

「俺を見舞う権利を巡ってか。随分と暇だな」

『マツリさんが勝手に敗者復活戦を提案したせいで白熱しました』


 負けず嫌いにもほどがある。で、その後だしルールでまんまと俺の家に来た女はというと、これ幸いにと香会計と共に部屋を物色していらっしゃる。


「紗枝、止めてくれ」

『交換条件』

「会長権限のスクーリング三回免除で手を打とうじゃないか」

『乗りました。マツリさん、シャンシャン、そこまでです。今あなた方のCTに送った情報をみんなに公開されたくなければ―――』


 SCP部と生徒会それぞれの傍若無人コンビを一発で黙らせる情報が非常に気になったが、まずは紗枝に感謝を告げる。


「ありがとう、紗枝」

『いいえ、私は二人とは別件で先輩に伝えないといけないことがあったので。少し体調が戻ったら、私からの伝言を見ておいてください。それでは』


 用件を伝え終ると、礼儀正しいクラッカーは俺のPCから去っていった。


「あまり騒がしくしてもいけないから私たちも早めにお暇するわ」

「会長さん、これ食べて元気になってくださいっ」


 香からもらった大量のトッポを受け取っていると、母親がやってきた。


「あら? もう帰っちゃうの?」

「はい。雅人さんの様子を見に来ただけですので。お騒がせ致しました」


 これまでも言葉遣いの端端にお嬢様の片りんを見せてきた茉莉香が見せる完全な外向きの言動に、香が目を丸くしていた。俺も人のことは言えない。


「―――で? どっちなの?」


 二人が帰っていくと、母がニヤニヤと俺を見て言った。


 先に釈明をしておくと、俺はこのとき、文字通り熱に浮かされていた。だから、この“母親”という属性の人物特有のウザい絡み節を、小粋かつ洒脱さも備えたウィットなジョークでひらりとかわして見せる所作を見せることはできなかったし、「一人はただの生徒会の後輩で、もう一人は部活仲間でそいつは彼氏がいるのだ」と、事実をありのままに伝えるクソつまらない建前だらけの回答もできなかった。


 つまりどういうことかというと、本音だけが、口をついてスラスラと出てしまったのだ。


「まぁ、どっちかっていうと、あのポニーテールの方が好きかな…………あれ?」


 ―――自分でも知らなかった自分の本当のところを、あっさりと肉親に喋ってしまったわけだ。

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