2-4 あべこべな慰め

 上瀬の“上の方”にある高級住宅地を、さらに遠巻きにしたところにある30階建てのマンションの最上階に、俺は通された。


 その階の部屋に、ではない。30階丸ごとが、親元を離れ一人暮らしをする茉莉香まつりかの自宅だった。


「雅人、アンタ今、こんなチビに一人で住まわすには広すぎるとか思ったでしょ」

「被害妄想だ」


 靴が50足くらい置けそうな玄関から、シャトルランでもできそうな広く長い廊下を歩く道すがら、そんなことを言われた。


「というか、たとえお前の身長が230㎝あったって一人で暮らすには広すぎる」


 そう言って手を広げて見せる。きっと230㎝くらいあるバスケット選手が同じようにして、ようやく指先が届くくらいの位置に天井がある。


「そうね。バカと煙は―――って言うけど、ホントに、バッカみたい。暮らし始めて一年半くらいだけど、まだ使ってない部屋が5個くらいあるわ」

「そうか」


 奥にあるリビングに通された。


 しかし、中に入ることなく俺は扉を閉めた。


「何よ」

「広すぎて落ち着かない」

「あー、何か分かる。ホテルの休憩室みたいだものね。私は実家もこれくらい広いからすぐに慣れたけど―――」

「庶民の感覚に合わせていただけると助かる」


 茉莉香の目にしばし逡巡があった後、「ま、いっか」と呟きを漏らした。


「じゃあ、特別に私の部屋に入れてあげるわ。感謝しなさい」


 茉莉香の目が、少し楽しそうに光った。


※※


「大したものはないけど、まぁ、くつろいでちょうだい」


 俺の部屋よりは確実に広かったし、全面がふかふかの絨毯じゅうたんに覆われていたが、先ほどのリビングよりは大分マシだった。


「ふぅ、ようやく落ち着いた」


 俺は言って、TVの前に置かれていたリクライニングのフロアソファに倒れ込む。


「さて……」


 背もたれを完全に倒すと、うつ伏せに寝転がって、お菓子を床に並べる。


「茉莉香は何を飲む? 俺はとりあえず、コーラと、トッポと―――」

「ねぇ」

「ん?」


 肘をついた姿勢のまま、茉莉香を見上げる。その目は、妙に冷たい。


「……アンタ、女子の部屋に入るのは何度目?」

「初めてだが?」

「……あっそ。もう何も言わないわ。せいぜいそうやって、ドキドキもソワソワもせずに、だら~っとしてなさい」

「ああ、なるほど。もう少し初心うぶな反応を期待していたのか。いや、それなりには緊張しているんだぞ。ただ、それ以上に疲れが―――」

「うるっさい! 目ぇ見んな!! 今キッチンから夕ご飯持ってくるからくつろげ!!!」


 ものすごく高圧的なおもてなしを受け、俺は茉莉香のお手伝いさん(実家から派遣されてくるらしい)が作った早めの夕食をとった。


「頭、痛くない?」

「今のところはな」


 メニューは中華だった。茉莉香一人では絶対に食べきれない餃子やらチンジャオロースやらを、もぐもぐとしながら答える。


「……ごめんね、雅人」

「何、明日にはちゃんと病院に行って精密検査を―――」

「そうじゃなくて! いや、それもあるかぁ。またやっちゃったなぁ」


 珍しくしおらしいと思ったが、すぐに思い直す。

 きっと、自宅での茉莉香はいつもこうなのだろう。


 俺は、ラー油のたっぷりついた餃子を噛みながら熟慮し、口の中が仄かなニンニクの香りを残すのみとなってから、声を出した。


「茉莉香、少し、話をしていいか」

「なによ」

「これはな、が語っていたことだ」


 茉莉香の目が、少し潤んだ。

 これは、怯えではない。

 喜びと期待の色だ。

 俺は語り出す。


九鬼崎くきさき茉莉香というドジでポンコツな女は、いつもいつも身の丈に合わない思いつきで周囲を振り回す。得意な情報海オーシャンでも、少しできると舞い上がって、先走って、失敗ばかり。それに巻き込まれるのはいつも自分だ。成功までのラインをとる能力もなく、そこに至る適切な努力もしていない。それでいて、自分が持っていない金だけはたんまり持っている。相当嫌いな人種だった」


 一息では語り切れなかった。コーラで一口、喉を湿らせる。


「でも、滅茶苦茶をやっている割に、いつもその女は寂しそうだった。SCP部なんていうおかしなサークルを作って、そこで仲間と毎日のようにバカ騒ぎを起こしていても、何か様子が変だ。

 情報海オーシャンにあったものがリアルに漏れ出すなんていう前代未聞の事件があったあと、初めて女の家に行って話したとき、その理由が分かった。

 この女は、一人ぼっちだったんだ」


 茉莉香にもコーラを注いでやる。こくこくと、二口くらい飲んだ。


「どんなにドジを踏んでも、その場では虚勢を張って、平気な振りをする。でも、一人きりの家の中で、その強がりの仮面が剥がれてしまう。

 思い返せば、こいつは俺たち部員に命令を出すことはあっても、何かを頼んでくることはなかったな。人との付き合い方が、よく分からないのだろう。

 だから言ってやった。情報海オーシャンでは俺はお前に頼る。だから、リアルではお前が俺に頼れって」


 茉莉香が吹き出す。


「ふふっ、そんなこと、言われたなぁ。去年なのに、もう懐かしい感じがする」


 俺はポテチの袋を開ける。うすしおだ。お互い、一つずつつまむ。


「前に通ってた学校でも、いろいろあってね、ちょっと、自棄やけになってたところがあったかも。真白ましろ達にもね、ごめんなさいって、ずっと思ってた。全然言えなかったけど」


鷹丸たかまるレポートによると、茉莉香はすごく頑固だそうだ。変なところで意地を張るし、バレバレの嘘で誰かを巻き込むまいとする。そんな茉莉香が、みんな、大好きだそうだ」


 また、「ふっ」と息の漏れる音がした。

 でも今度は、涙腺が抜ける音だったようだ。


「そうやって、バラバラになりそうだったSCP部を、最後まで繋ぎとめていた茉莉香のことを、鷹丸くんは、本当の本当に好きになったんだろうな」


 両手で真っ赤になった顔を覆いながら、茉莉香が何度も頷いた。


「お前は良い奴だよ、茉莉香」

「なん……でぇ、わた……し、が、な゛ぐざめられでんの゛ぉ?」


 しゃくりあげながらいう茉莉香に、こう言ってやった。


「それがお前だからだ。おマツリ少女」

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