2-3 夜の帳の中へ

 下に巨大なクッションマットが敷かれているのは分かっていたので、そこまで恐怖は無かった。


 ―――いや、強がりだ。落下中に八郎爺さんを幻視するほど怖かった。


 だが生きている。

 死傷者はいない。

 オールオーケー。


 救急隊が勢い込んで俺を確保しに来るのを制して、自力で歩く。

 うん、膝が笑っている以外に目立った外傷はなし。


 救急車の近くで軽い診察を受けた後、救急隊員からあるものが渡された。


「じゃあ、これを被って」


 自分の視界が暗くなる。


 これはもしや、と思う間もなく、隊員から「え……」という声が漏れる。


 噂には聞いていた。


 最近は、フルダイブ技術が医療にも使われているという話。

 まったく、今は何でもかんでも電脳潜行だ。

 “ジジイ”はついていけない。


「すみません、アナログ人間なもので」


 俺はヘッドセットを持ち上げながら言った。


「お手数ですが、病院まで行っていただけますか」


 最近は救急車にも金がかかるという。嫌だ嫌だと思いながら乗り込もうとすると、ある人影が、人だかりをかき分けてきた


 向日葵ひまわりが、俺の前に立つ。


「会長、すみません、また迷惑かけちゃって」


 夕闇が迫る薄暮で、向日葵がどんな目をしているのがよく見えない。なので、相手が何を考えているのか分からないまま、思いつくままに謝罪を並べる。


「天文部のイベントもなし、ですよね。というか、もう明日とか後夜祭とかやってる場合でもなくなったか。ほんとに申し訳ないです、せっかく、任せてくれたのに。

 あと、紗枝さえのことなんですけど、あれはそういう発作みたいなものなんで、責めないでやってもらえますか。目を離した俺も悪い―――ッ!」


 ほとんど俯いて喋っていたので、脳を揺らす平手が飛んできたことに気付かなかった。


「君は……」


 一年で、二人の女子にビンタを食らう経験は、後にも先にもないだろう。


 見上げると、ようやく向日葵の目が見えた。

 なるほど、自分の身を案じていてくれたのだな。

 俺が言うべきは謝罪より、彼女を安心させてやる言葉だった。


 人の目を見て話さないと、こんなものだ。


 ―――バチーン!


「―――ん?」


 一瞬、何が起こったのか分からなかった。


 周りの野次馬も、救急隊も、呆気にとられていた。そんな金縛りから、いち早く解けた俺、というか、強制的に解かされた。


「行くわよ、雅人」


 一年で、二人の男女にビンタを見舞う奴も、そういないだろう。


 先輩で生徒会長の頬をフルスイングで張り、俺の手を強引に引っ張っていく茉莉香に、そんな気の抜けたことを考えていた。


※※


 自分のバイクで走り出す。

 行き先も分からぬまま。

 夜のとばりの中へ。

 いつの歌だ。


「三日後くらいに脳に異常が見つかったらお前のせいだぞ」

「うっさいわね。だったら死ぬ前にたくさん遊んであげるわ」


 怒っているときは無茶苦茶度合いが200%増しになるらしい茉莉香の声が届く。


 まぁ、手を振り解きもしなかった自分も同じようなものかと納得させ、スロットルをさらに回す。


「ん~、でもどこにいこうかしらね」

「こっちが訊きたい」


 やっぱりノープランだった。


「ねぇ、私の家、来る?」

「!!」

「きゃあ!?」


 バイクが大きく傾いだ。急いでブレーキを握り、何とか横転することなく停車する。


「危ないじゃない!」

「すまん」


 あまりにも予想外の行き先を告げられ、脳がパニックを起こしたらしい。


「本当に行くのか」

「そうよ。何か文句ある?」

「いや」


 あってもどうせ行き先は変わらないだろう。黙って、再び走り出す。


「あんたは、何かないの? 欲しいものとか、頼みたいこととか」

「そうだなぁ、あ、お菓子買っていこう」

「へ?」


 俺は、目に留まったスーパーにバイクを止めた。


※※


「これと、これと、これ」


 カートにポンポンと入れていく。

 コーラとサイダーは鉄板。飲み物は決まった。

 あとはお菓子だ。トッポと―――ここからが難題だ。


「……」

「随分と吟味するのね」


 長考に入った俺に、茉莉香が困ったような笑みで話しかけてくる。


「小学生の時、遠足に持って行くお菓子をゆっくり選べなくてな」

「なんでよ」

「母親が忙しそうなのが分かったから」


 焦りの色を浮かべながら、恰好だけは平静を装う母。

 俺は急いで菓子を選び、レジへと持って行った。


「……あんた、人の目を見て話すの、ちょっとやめたら?」


「向日葵会長と同じことを言うんだな。―――でも、そういうわけにはいかない。不作法とか、そういうことじゃなくて、もう癖になってる。今さら治せない。それに、うっかり目を逸らすと、さっきみたいなことになる」


「あっそ」


 ぶっきらぼうな言葉だが、声色には、温かさがあった。


「なら、今日は思う存分選びなさい。私の奢りよ。何なら、この棚ぜーんぶ買っていく?」

「いや、それは逆にもったいない。選ぶのが楽しいんだ」


 棚の一番下の飴を物色しながら言うと、ふわりとした匂いが鼻腔をついた。隣に、長いポニーテールがあった。


「私の目を見て?」


 言われた通りにする。初めて会った時から思っていたが、大きな瞳だ。少しだけ、濡れたような輝きがある。


「閉店まででも付き合うわ。この言葉に、嘘はある?」


 目など見なくても伝わった。

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