4-6 情報海の灯台守
「さて、どうしたもんかな」
「まぁ、気長に待つしかないでしょう。ねぇ―――えっと……」
ヘルメットの内臓ヘッドホンから、茉莉香の歯切れ悪い声が届く。
「ん? どうした」
「……こんなこと言う筋合いじゃないのは分かってるけど、アンタ、なんでここまでしてくれるの?」
いよいよ車が動かず、俺はアイドリングを止めた。静かになったヘルメットの中で、こう言った。
「そうだな。いろいろあるが、強いて一つ言うなら、お礼かな」
「お礼?」
「俺は、この一年、
茉莉香からの反応はなかった。
周囲の車も皆静かで、風と波の音がここでも主役だった。
「ほぼ毎日、海に向かう
顔を向けると、
「そんな目をするな」
「どんな目よ」
「同情しないように気を遣っている目だ」
つまり、優しい目だ。
「分かるのね」
「人の目ばかり気にして生きているからな」
「あっそ。―――つまんなくないの?」
「意外と面白い。港に帰ってきた一人から、秘密の航海日誌を貰って読んでいたからな。その航海士が、今まさに海の向こうに旅立とうとしている。だから、これは礼だ」
「私がプレゼントなわけ?」
それには答えず、俺は再びバイクのエンジンをスタートさせた。
「―――まったく動かんな。しょうがない、ちょっと荒っぽくいくぞ」
「ちょっ……アンタどうするつもり」
唸り上げたバイクをあらぬ方に向けられ、当惑する茉莉香。
「海はダメそうだ。山の方を突っ切る」
「え!? アンタこれ、自動ブレーキとか安全装置とか―――」
「そんな上品なモン、入ってるわけないだろ。2009年生まれだぞ、こいつは」
入っていないこともないし、むしろ入れなければいけない類のものだが、元の持ち主が入れ忘れていた。
「ははっ! 私たちより年上なのね。良いわ! 思いっきり行っちゃって!」
「了解っ!」
ひとつ、茉莉香に話さなかったことがある。
SCP部が描いた物語の
俺が読み続けていた航海日誌に。
ほんの少しだけでも俺の名前が出てくればいいと思ったのだ。
※※
道交法を3つほど破った気はするが、無事、時間通り空港には着いた。
「免停になったら父親に頼んで揉み消して貰うわ」
茉莉香が言ったので、こいつの親が何をしているかは知らないが、丁重にお断りしておく。
「アンタは来ないの?」
「これ以上バイトを抜けていると、店長の白骨遺体と対面しそうだからな」
「あっそ。アンタの冗談、回りくどくてあんまり笑えないけど、嫌いじゃないわ」
「そりゃどうも」
「ねぇ、雅人」
ヘルメットをこちらに返しながら声をかけられる。
「ん?」
名前を急に呼び出したことに対しては意地でも反応してやらない。しかし茉莉香の目は好奇に満ちている。
「ありがとう。気を付けて帰ってね」
「ああ、
「んん~?」
ヘロヘロになったポニーテールと、小さなニヤニヤ顔をこちらに近づけてくる。
分かった。
「ちゃんと謝るんだぞ。……茉莉香」
「はーい」
出会ってから今までで一番素直な返事をすると、茉莉香は走り去っていった。
―――やれやれ。
さ、俺もあの調理場という名の戦場に帰るとするか。
「……?」
だが、一仕事終えた我が愛車は動かない。
「おいおい、嘘だろ」
空港は歩いて出られないぞ。多分。何度かセルスターターを回して、ようやく心もとないエンジン音が鳴った。
「頼むぜ」
結論から言うと、ダメだった。
空港を出て国道に入った瞬間にエンストし、そのままピクリともしなくなった。
「マジかよ兄弟」
CTもなかった。
「勘弁してくれよ俺」
バイク屋もなかった。よしんばあったところで、財布もない。
「……」
かくして、俺は徒歩五時間くらいの道のりを、油の切れた相棒を引きながら帰ることとなった。
「花火の時間には間に合う、やったな」
…………。
空虚な独り言は、余計に虚しくなるのですぐにやめた。
幸い、音楽プレーヤーだけは生きていたので、かけながら行く。米津玄師が流れてきて、少しは気分が紛れた。
ランダム再生。しかし、なぜか日本のアーティストばかり拾ってくる。
Mr.Children、amazarashi、ピロウズ、スガシカオ、UVERworld、indigo la End、WANIMA―――全部好きだが、茉莉香には全部「古い」とか「聴いたことない」とか言われそうだ。
≪気が付いたら人になっていた でも心の形が違っていた≫
下瀬の堤防まで来て、我が耳の大親友であるところのストレイキャッツが流れ出したところで、俺の足が止まった。
≪誰もが泳げる海で 僕だけ泳げない≫
題して“少年と海”。なんでこんなにピンポイントで俺の心に突き刺さってくるのだろうか。ひょっとして、ボーカルの
バイクを片隅において、堤防を上った。もうバイトに帰るのも、家に帰るのも諦めた。夏の夜に一日くらい野宿したって、風邪はひかないだろう。
―――ひゅぅぅぅぅ……どんっ!
花火が打ち上がった。
堤防から浜辺を見下ろす。
空に向かい、歓声を上げる人々。
「結局、今年も一人で見る羽目になったわけだ」
「好きだろう」
「嫌いじゃないが」
「じゃないが、なんだ?」
「何でもない」
「花火に免じて、追及しないでやる」
独り言を再開させ、主人公が旅立って行った空に目をやる。
「あ~、疲れたぁ……」
そして、昼間の熱をまだ持ったアスファルトに寝転がる。すぐに睡魔が襲った。
こうして、鷹丸くんと茉莉香たちSCP部の物語は、エピローグも含めて一つの区切りを迎えた。
だが、誰かにとってのエピローグは、違う誰かのプロローグになり得る。
どういうことか。
俺の物語は、ここから始まったということだ。
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