23 彼氏と戦う女騎士がかわいすぎる件 1


 戦場に、いい年をした女と、まだあどけない幼女の拳打が響いている。


「ああああああッ!」


「ん、ぬうううッ!」


 リーリャと初めて殴り合ったときのことを、私は思い出していた。


 あの時は、いつまでもうじうじと塞ぎ込んで、エナやゼナといった仲間達の声を聞こうとしない彼女のためにやったものだった。


 過去に囚われるな。


 未来まえを見据えて生きろ。


 そのために殴り合った。


 私は馬鹿だ。言ってきかない相手を諭せるほどの根気強さなどない。


 だが、その行動が功を奏し、彼女は結果的に心を入れ替えた。一国を治める姫として、その第一歩を歩み始めたのだ。


 では、今の私はどうだろう。


 わかっている。今の自分は、リーリャから尊敬の念を送られるような人間ではないことを。


 前を見ろ、と自分で道を示しておきながら、自分はうじうじと、いつまでも、いつまでもいじけたままだ。


 あのハルが、あっさりと敵の手に落ちた。アイツだって苦しんでいるはずだ。


 彼がそんな状態であるにも関わらず、私は何もできず、動けずにいる。


「私、だって! 本当はすべてをかなぐり捨ててでもアイツのことを助けてやりたいんだ! ハルが危機に陥った時に、私がいつだってそうしてきたように!」


 私の拳が、リーリャの鳩尾を捉える。手加減などしていない。手ごたえもある。


 だが、小さく軽いはずのリーリャの体はびくともしていない。


 まるで効いていないと言わんばかりに、岩のように。


「ならば、そうしたらよかろうっ! なぜ、そうしないのじゃ! 兄はあそこにおる……手の届く距離にっ! いつだってその手をとれるはずじゃ! なのに、なぜねえは、こんなこところで妾と殴り合っておるのじゃっ!」


 リーリャの拳が私の頬にめり込む。相変わらず反則的な重さである。


 これが果たして十歳かそこらの拳だろうか。改めて、めちゃくちゃな存在である。


 ぐらり、と私の視界が大きく歪んだ。


「弱いッ! 弱いぞ、ねえ! これが妾の憧れた三十女の成れの果て……愚かなり、じゃっ!」


 体勢を崩した私にさらに追い打ちをかけるようにして、リーリャの回し蹴りが私の側頭部を襲う。


 防御など完全に忘れた私は、そのまま真横に数メートル弾き飛ばされた。


「ぐうっ……!」


 足に力が入らない。腕が震えている。意識が渦を巻くようグニャグニャと歪んでいる。


 視界が、何かでぼやけて見えない。


 負け。


 これまでの騎士人生の中でも数えるほどしかない敗北の中で、もっとも情けない負けが、私につけられた。


「……無様じゃな、ねえ、いや、カレン。そなたはそこで敗北者らしく、いじけてふて寝でもしているがよいわ」


 敗北者である私を見ることすらせず、リーリャは私の横を通り、ハルを含む十三星が陣取っている城壁へとゆっくりと足を進めていく。


「ゼナ、エナ、ノカ。それに、王都の騎士団のやつらよ。これより妾達で、あの馬鹿でかい壁に上で踏ん反り返っておる愚か者どもを叩く。妾が先陣を切る故、ついてまいれ」


「ま、まて……リーリャ、お前、何をするつもりだ……?」


「何? 当然、にいのことを助けるに決まっておろう。妾とて、兄のことを大切に想う者の一人じゃ。いつまで経ってもそなたが動かぬから、代わりにやるだけのこと」


 まずゼナとノカがリーリャの傍につき、そして、戸惑いながらもエナがその後ろについた。騎士団の皆も、姫様と総隊長の指示で、突撃の準備を始めている。


「待て、待ってくれっ……!」


 遠くなるリーリャの背中へむけて私は手を伸ばした。


 あのハルと戦うのはダメだ。私がこんな状態になっても、なお薄っぺらい笑顔を張り付けるあの子の存在は、危険すぎる。


 得体の知れない女王の異能ほのおを胸に宿したハルが、女王の願いに応じ、この場に居る全てを焼き尽くす。


「寝ておれ、と言ったはずじゃが。まだ妾に何か言いたいことがあるのか?」


「頼むっ、止めてくれ。今のハルと戦うのはダメだ。今のアイツはっ……!」


「……そんなこと、わかっておる」


「え……?」


 足を止めたリーリャが、言う。


「わかっておるよ、そんなこと。妾とて、選ばれた戦士じゃ。今のにいが、どれだけ恐ろしい存在なのか、わからぬ訳ないであろう」


 見ると、ハルと相対するリーリャの体が震えているのがわかった。


 だが、それでも彼女は自身の歩みを止めない。


 従者たちに背中を支えてもらいつつ、真っ直ぐに、ハルへと向かって。


「妾だって、怖い。今の兄と戦えば、死ぬかもしれない。それは、この場に居る者なら誰だってそう感じるはずじゃ。それだけ、今の兄は異質だということに」


「なら、気づいているなら、どうしてっ……!」


 私の問いに、リーリャが私のほうへ首を向け、ふわりと微笑んだ。


「兄のいない未来など、妾には考えられないからじゃ。兄がいて、姉がいて、それからここにいる皆がいて。皆で冗談でも言いながら、時にエナが姉を『おばさん』呼ばわりして取っ組みあいになって。童は、そうやって、毎日笑いながら日々を過ごしたいのじゃ」


 だから、とリーリャ。


「妾は、妾の欲しい未来を絶対に。自分の欲しい未来ものを、全部全部求めたっていい。何か一つをあきらめなくていい」


 それは、いつか、ハルが私に教えてくれたこと。


 そして私が、拳を通じてリーリャに教えたこと。


「だから、妾はあきらめない」


「っ……!?」


 ドクン。


 その言葉に、私の冷えた心臓が、再び熱く動き出すのを感じた。


「話はこれで終わりじゃ。エナ、ゼナ、ノカ。妾の大切な従者たちよ。この我儘極まりない妾に、その命、預けてくれ」


「……ん」


「もちろんです! ノカは、いつだってリーリャちゃんの傍にっ!」


「姫様は相変わらず勝手だね……まあ、従うけどっ」


 リーリャの命に、三人が決意の瞳をもって応える。


 彼女達もまた、リーリャと同じ未来を描いているかもしれない。


「ほら、隊長であるアンタが何そんな情けない姿晒してんの。ほら、回復ヒールしてやるから、さっさと立ちなさい」


 私の方に手を置いたのは、親友のマドレーヌだった。


 三十近くになって、婚期を逃して、いじけて飲んだくれていた独身の私を、なんだかんだ言いながらも、同期として、そして友として私のことを心配してくれた仲間。


「そうですわ、カレン隊長。どんな時でも、私達の前に立って堂々としていらっしゃらなければ。そうでなければ、他の隊員に示しがつきませんわよ?」


 地味に優秀で、意外に気の合う部下のマルベリが、肩を貸して私を立ち上がらせる。


「私は別にそのままでも構わないけど。少年は、元々私のものなのだし」


 もう片方の肩を貸したアンリが、そんなことを言う。彼女が仲間になったのは成り行き上だったが、それでもここまでついてきてくれている。会った当初のことと較べたら、随分と表情が丸くなった。


「カレン、事情はちゃんと後で報告してくれればいいです。ですから、今は戦いましょう。ハル様を、私達の手に取り戻すのです」


「姫様まで……」


 本陣からわざわざ前線までやってきたエルルカ様が、私の心を奮い立たせる。思えば、私とハルの交際を認め、最初に色々と取り計らってくれたのが、姫様だったはずだ。


 総隊長を土下座させた時の姫様の恐ろしい顔が、今も鮮明に記憶に残っている。


 そして、その隣には、もちろん。


「おとうさん……」


「カレン、騎士団のことなら心配するな。帝国のふざけた連中に命を散らすような下手をうつような人間、この近衛にはいない」

 

 言って、総隊長が、私をまるで本当の我が子を愛するようにして抱きしめた。


 血のつながりはない。だが、これまで大事に育ててくれた。


 それが、ちょっと行き過ぎたこともあるけれど。


 私は、この人のことを誇りに思わないことなど一度もなかった。


「カレン、行きなさい。私はもう何も言わない。お前のやりたいようにやりなさい」


「! いいん、ですか……?」


「もちろんだ。進みたい道がお前の中で定まっているのなら、もうそれを無理に停めたりはしない。自分の生きたい道を、未来を行け。そのための道は、我ら王都近衛騎士団で作ってやる」


 第一分隊が、そしてその他の分隊が、前に出て私を守るように陣取った。


 前は、空いている。


 まっすぐ行けば、その先には、ハルがいる。


「行け、カレン」


「行きなさい、カレン。これは命令です」


「行きなさい、この干物女。さっさとあの子と添い遂げて、独身生活からおさらばしなさい」


「行ってください、隊長。ハルは、やっぱり隊長のそばにいたほうがですから」


「私の魔眼を見なさい。アンタに魔法の心得はないけど、それでも精神耐性を着けることぐらいはできるわ」


 ドクン、ドクン。


 仲間達に背中を押されて、私はふたたび自身の二本足で地面をしっかりと踏みしめる。


「まったく、やっとお目覚めなワケ? そんなんだから、私におばさんって呼ばれるんだよ」


「お姉さま、今の、凛々しいお姉さまは、やっぱり素敵ですっ。ノカ、惚れちゃいます!」


「……行って」


 共和国の女戦士達に感謝の礼をし、私は、リーリャの隣についた。


 空っぽになりかけた私の心に喝を入れ、再び熱を取り戻させてくれた小さく偉大な少女の隣へと。


「ふて寝はもういいのか、ねえ?」


「ああ、すまない。もう大丈夫だ、待たせたな」


「本当じゃ。まったく、世話の焼けるねえじゃ。まあ、そういう人間臭いところも含めて妾はねえのことが好きなのじゃが」


 そうして、私は、ふたたび王都側についた。


 王都近衛騎士団、第四騎士分隊ブラックホーク分隊長カレンとして。


「行ってくるのじゃ、姉ッッ!! 兄を、そなたの大好きな恋人を、もう一度自分の手の中に取り戻してくるのじゃっ!!」


「ああ! 皆、後のことは頼む! そして……ありがとうっ!!」


 自身の相棒を担ぎなおした私は、仲間が示してくれた道をがむしゃらに駆ける。


 もう、あれこれと余計なことを考えるのはやめだ。


 

「……あれ? どうしたんですか、カレンさん。まだ王都側は誰一人として減ってないですけど?」


「……ハル」


 私は、自身の愛剣の切っ先の狙いを、愛する恋人へと突きつけた。


 ドクン、ドクン、ドクン。


 私は馬鹿だ。ずっと剣のことばかり考えて生きてきた。愚直に素振りを繰り返し、技の鍛錬をし、日々の任務に明け暮れた。


 私は、これしか知らない。


 だから、私がハルにしてやれることは一つしかない。


「僕と、戦うつもりですか?」


 チココやミライですら思わず凍り付くほどの威圧を纏ったハルが、私に冷たい敵意を飛ばしてくる。


 怖い。この私ですら、震えが止まらないほどに。


 だが、私はもう止まらない。


「『ええいっ、新米ペーペーのくせして、貴様は何度も何度も私をコケにして。そこになおれ、今日こそは貴様の性根を叩き直してくれる』――」


 私はそう言った。


「……なんですか、それは?」


「覚えていないか? お前と出会った当初のとき、私が言ったセリフだ」


 やりたい、だなんて言って私をからかってその反応を楽しんでいたハルに対して、怒った私の口から出た言葉。


 今こそ、それを果たすべきときが来たようだ。


 私は、執念深い女だから。

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