13 謎の妹登場に戦々恐々の女騎士がかわいすぎる件 3

 

「――ヤアアアアッ!!」


 日の上りきらない早朝の王都に、可憐な少女の気合の声が響き渡っていました。


 他にまだ誰もいない公園の隅っこにいるのは、僕とカレンさん——お互いの手に握られた訓練用の木剣が、カンカンと小気味よい音を響かせていました。


「……うん、これはちょっと凄いな」


 剣を握った手にわずかに残る痺れに、僕は素直な感想を口にしました。


 何が凄いか、というとそれはもちろんカレンさんのことです。


 以前とは立場は逆転し、今は僕がカレンさんを教える側となっていますが、手合わせをするたびにめきめきと成長をしていくそのセンスはやはり天性のもの——この調子なら、力関係は直に元通りになるかもしれません


「いえ、私なんかまだまだです——もっともっと努力しないとお父様のような立派な騎士にはなれませんから」


 口ではそう謙遜しつつも、『えへへ……』と、得意げな顔で頬を緩める姿は、まだあどけない少女の雰囲気を残していました。


 やはり、カレンさんはいつの時代を切り取ってもかわいいです。


「しかし、最近はまたやたら張り切っているね。今日も僕が来る随分前から準備運動してたみたいだし——」


 ここでいう『準備運動』とは、以前のカレンさん(二十九歳)が、僕に課していた『素振り千本』、『城の外周を十周ほどランニング』といった類のものです。

 

 カレンさんと朝の鍛錬をするにあたって冗談半分で課したメニューでしたが、なんと彼女は、次の日から一日も漏らさずそれを続けていたのでした。


 僕ですらまだ慣れない『準備運動』をこの歳からあっさりとやってのける——うん、やっぱりカレンさんの体力は化物クラスです。


「【入れ替え試験】が近いですからね。確実に特別クラスに残るためには、やっぱりこれぐらいやらないと」


 カレンさんの口から出てきた【入れ替え試験】という単語に、僕はちょっとだけ気が重くなりました。


 これこそ、現在特別クラスの担任講師として一番気にしている行事の一つでした。


 王都立騎士学校の特別クラスは、【特別】という名を冠している通り、学校内でも特に優秀な生徒が集まって形勢されています。


 基準は単純明快で、四半期に一度行われる定期試験で優秀な成績を修めること——これさえできれば、普通クラスからでも途中から特別クラスへと編入することができるのです。


 実は僕も騎士学校入学時点では普通クラスの中でも一番成績の悪いクラスからのスタートだったりしました。そこから結局一年ぐらいで学年主席に昇り詰めたのですが――まあ、自分語りはこの辺にしておいて、つまりはいつでも成りあがることが可能なわけです。


 で、それを実現するための場が【入れ替え試験】となります。特別クラスにおいて成績最下位の一名が、普通以下のクラスの上位成績者と戦い、勝てば残留、負ければ普通クラスへ降格となります。


 ちなみにカレンさんはエルルカ様の特別措置による途中編入となるため、今のところ成績は『無し』――クラスの序列的には最下位となるため、入れ替え試験へとのぞまなければならないわけです。


(まあ、よほどのことがない限りは大丈夫だと思うけど——)


 新たに設置した打ち込み用の丸太をボロボロにするカレンさんを見、僕は一人そんなことを考えていました。


 ここまでの話からすれば、結構な頻度で入れ替わりが起こっているような気もしますが、実際のところ、普通クラスから特別クラスへの『下剋上』は、全く、と言っていいほどになかったのです。


 名のある家の子たちも数多くいる特別クラスの生徒にとって、普通クラスへの降格は恥以外の何者でもない――ですから、普段は不勉強な生徒でも、この時ばかりは必死になって訓練を重ねます。特別クラスと普通クラスでは、元々の授業の質、量からすでに差があるため、いくら下位の生徒達が相手とはいえ、普通クラスの子たちがその壁を超えるのは並大抵のことではありません。


 今回、普通クラスの子たちに立ちはだかる壁の役割をカレンさんが務めることになるのですが、ひいき目なしに見ても、カレンさんの今の実力はハッキリ言って特別クラスの中でもトップクラスと言えます。現状、成績上のトップは委員長であるハウラですが、そのハウラでも、今のカレンさんには全く歯が立ちません。


 もし、仮にそのようなことが起こるとするならば、それは今回の挑戦者が、以前の僕のような、あまりにも異常イレギュラーの場合しかないのですが――。


「――お兄ちゃん、こんなところにいた」


 今回の不運な挑戦者はどんな子になるのか、と考えていると、ふと、僕の耳元をくすぐったい吐息がかかりました。


 王都の朝の空と同化しようかというほどの澄んだ蒼の髪――つい先日会ったばかりの『妹』の名を僕が忘れるはずがありませんでした。


「……おはよう、ナツ。今日は一人でどうしたの? ライトナさんとチココは?」


「ハカセはこの時間絶対に起きない。チココは朝ご飯の支度中。私は暇。だからお兄ちゃんに会えるかなっておもって散歩してみたけど……まさか会えるとは思わなかった。朝のお兄ちゃんもカッコイイ。好き好き大好き。超愛してる」


 神出鬼没に表れたナツが僕に抱き着こうとしたところで、僕はそれをひらりと回避しました。別に抱き着かれても害は一切ないのでいいのですが、さすがに唇目がけて体を投げ出されるのは困ります。


「どうして逃げるの? 朝に妹と『おはようのキス』をするのは世の中のお兄ちゃんの日課だって聞いたよ?」


 そんな日課なんて世界のどこにも存在しないと思いますが――あの教授ハカセ、また何か余計なことを吹き込んだようで。


「――ちょうりゃああああああ!!!」


 と、ここで木剣を大上段に構えたカレンさんが、ヘンな掛け声とともに割り込んできました。


 手加減なしに振り下ろされた一撃に危険を感じたのか、思わずナツは後ろへと飛びずさりました。


「……またあなた? どうしていつも私と、『私の』お兄ちゃんとの時間を邪魔するの?」


「いつ先生があなたのものになったわけ!? というか、ハル先生は『私の』先生だし!」


「違う、お兄ちゃんは私の」


「私の先生ですっ!」


 いつの間にか僕を蚊帳の外にして鋭い視線をぶつかり合わせる二人――ナツの登場で唐突に始まった修羅場に、『若いっていいのう……』という散歩中の老夫婦の談笑が僕の耳に届きました。


 この均衡いったいいつまで続くのだろう――そう思っていると、それを助けるようにしてタイミング良く朝の始業を告げる鐘の音が王都中に響き渡りました。


「――あなた、運がいい。命拾いした」


「ふん、そっちこそ。先生に無様な姿晒さなくてよかったね」


 プイ、とお互い背を向けて、カレンさんはそのまま学校のほうへ、そしてナツはライトナさんとチココの待つ宿屋のほうへと足を向けました。


「――ほら、先生なにやってるんですか? 早く学校に行かないと遅刻しますよ」


「あ、ちょっと待ってよカレンさん」


 一気に上機嫌→不機嫌となったカレンさんを追いかけようと、足を速めたところで、再びナツの声が僕を呼び止めました。


「あ、そうだ。待ってお兄ちゃん――」


「どうしたのナツ? まだ僕に何か……んぐっ」


 そう言いながら僕が振り向くと同時に、それまで距離のあったナツと僕の唇同士が、まるで一瞬の内に引き合ったかのように重ね合わさっていました。


「!! えぅっ……な、なななななっ……!!!!」


 唐突に行われた兄と妹のキスを間近に目撃したカレンさんが驚きに口をぱくぱくとさせていましたが、僕自身が驚いたのはそれだけではありません。


 なぜなら、ナツは、一瞬で僕との間合いを詰めただけでなく、キスをさせまいと手を伸ばした僕の腕を、、僕の口元に到達したのです。


 パチリ、という痺れるような刺激が、ナツの唇を通して伝わっていました。


「んちゅ……ぷはっ――いってらっしゃい、私の大好きなお兄ちゃん」


 ほんのりと頬を染めたナツは、僕に手を振りつつ軽い足取りでその場からあっという間に立ち去ってしまいました。


「――なんだったんだ、今の」


 あまりの衝撃と、そして唇に未だ残る痺れに、僕が思わず口元に手をやっていると、同じく、立ち去るナツの背中をじっと見つめていたカレンさんが、


「――ずるい、私だって……まだしたことないのに」


 と悔しそうに呟いていたのでした。

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