第12話 面会

 一か月後、再三の映美の申し立てが功を奏したのか、病院側もさすがにこれ以上会わせないのはおかしいと思ったのか、急に面会の許可が下りた。

 映美が面会室の扉を開けると誠がいた。

「や~あ~」

 しかし、やっと会えた誠は、誠ではなくなっていた。顔色も悪く、頬もこけ、目の焦点もなんだかぼやけていた。

「大丈夫?」

 映美は誠のあまりの変わりようにショックを受けた。

「よ~く~わ~か~ら~な~い~」

 もごもごと、牛のようにスローモーに誠はやっと言葉を吐き出した。

「ご~め~ん~よ~・・・、く~す~り~の~せ~い~で~、と~て~も~あ~た~ま~が~ぼ~っと~す~る~ん~だ~」

 誠はとろんとした目で、映美を見るのが精一杯といった感じで、話し出すのにすら時間がかかった。

「ううん。大丈夫だよ。ゆっくりしゃべっていいよ」

 誠の変わり果てた姿に映美の目に涙が滲んできた。

「ま~い~に~ち~・・・、ね~て~ば~か~り~だ~よ~」

 そう言って力なく笑う誠に、映美も泣きながら笑った。

「薬なんか飲まなきゃいいのに。誠はどこも悪くない」

「く~す~り~を~の~ま~な~い~と~、な~ぐ~ら~れ~る~ん~だ~」

「ほんと」

 誠はゆっくりとうなずいた。

「そ~れ~に~、あ~ば~れ~る~と~、ちゅ~しゃ~を~う~た~れ~る~し~」

「無茶苦茶だわ」

「は~や~く~で~た~い~よ~」

「うん、すぐ出してあげるからね。私が何とかする」

「あ~り~が~と~、ぼ~く~は~な~に~も~し~て~い~な~い~」

「うん、分かってる」

「ほ~ん~と~に~な~に~も~し~て~い~な~い~」

「分かってる。分かってるわ」

「お~じ~さ~ん~が~かっ~て~に~こ~ろ~ん~だ~ん~だ~」

「時間です」

 その時、突然、機械的な声が狭い面会室に響いた。

「えっ、もう?」

 驚く映美が抵抗する間もなく、屈強な男性スタッフがぞろぞろと入ってきた。

「あまり長いと、病状に影響しますので」

「でも」

 しかし、スタッフは容赦なく誠を両脇から抱え、半ば強引に立ち上がらせると、そのまま引きずるように連れて行ってしまった。誠は歩くのもやっとといった感じで、無抵抗に弱弱しくただなされるがままだった。映美はそんな変わり果てた弱り切った誠の後ろ姿を見るのが辛かった。

「やっぱり何かおかしいわ」

 映美は何としても誠を取り戻そうと決心した。

 次の日、また映美は病院の受付の前に立った。またあの恰幅よい看護婦が出てくると、また、あなたと言った露骨な嫌悪の目で、看護婦は映美を睨んだ。

「誠を退院させたいんです」

 映美は強い口調で言った。

「それは無理です」

「誠は病気なんかじゃありません」

「それはあなたが決めることじゃありません」

「誠は殴られたって言ってました」

 看護婦は一瞬、言葉に詰まった。

「そんなことするわけないでしょ」

「でも、そう言ってました」

「妄想です」

「違います」

「精神疾患の患者さんにはよくある事です」

「そんなことより、早く出してください。誠は病気なんかじゃありません」

「先生の許可がなければ退院は無理です」

「誠は病気なんかじゃありません」

「それは先生が決めることです」

「どこが病気なんですか」

「それは先生に聞いてください」

「でも、会ってくれないじゃないですか」

「先生はお忙しいのです」

「おかしいじゃないですか」

「おかしくありません」

 映美がいくら言っても、またいつもの虚しい押し問答が繰り返されるばかりだった。

 ―――また数日たって再び訪れた面会の日、誠は更に痩せ衰えていた。

「ごめんね。もう、全然話にならなくて、早く出してあげたいんだけど」

「き~み~の~せ~い~じゃ~な~い~よ~」

「どうしたのそのあざ」

 誠の右頬が赤紫色に腫れていた。

「ちょ~っと~、こ~ろ~ん~だ~ん~だ~」

「ほんと?」

 誠はうつむいて黙った。

「また殴られたんじゃないの」

 誠は何も言わなかった。

「やっぱり何かおかしいわ。この病院」

 映美が病院の悪口を言うと、誠は急に震え出した。

「どうしたの?」

 誠は、扉の方をちらっと見た。もしかして、映美は思った

「扉の向こうで誰か聞いているの?」

 映美は誠に顔を近づけ小声で訊いた。誠は静かにうなづいた。映美は背筋に冷たいものを感じた。

「何か欲しい物ある?」

 映美は扉の向こうを意識しながら訊いた。

「た~ば~こ~が~す~い~た~い~よ~」

「うん、分かった、今度持ってくるよ」

「びょ~う~い~ん~の~ま~ど~か~ら~す~こ~し~と~り~が~み~え~る~よ~」

「そうなんだ」

「こ~こ~か~ら~で~た~ら~お~も~い~っき~り~え~を~か~く~ん~だ~」

 そう話す誠の目には少し、気力が戻っていた。

「うん」

「ま~た~、こ~う~え~ん~で~き~み~と~と~り~を~み~た~い~よ~」

「うん、私も」

 その時流れた涙を拭う間もなく、面会は今日もあっさりと終わりが告げられた。

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