第七十四話
森江さんが言っていたのは当然槙島の事だった。
曰く、先に槙島の方が来ていて、森江さんがエレベーターから出た途端無言で寄って来たという。この時点で誰か分からない森江さんは気味悪く思い距離を置こうとするが、同じように無言で近づいて来てそのうち端に追いやられ絶体絶命の所に俺達が来たらしい。
「というわけで、こちら進化した槙島君になりまーす」
姫野さんが服屋の店員のように手を広げる。
進化した槙島君ってポケモンみたいに言わんでも。
「信じらん無いんだけど」
絶句する森江さんをしり目に姫野さんは仰々しく説明し始める。
「まず伸びきった前髪を千円カット。これでけで随分と印象が変わりましたね。当時場にいたコウ君から見れば尚更その違いが分かったんじゃないでしょうか?」
「え、ああ、うん」
突然話を振られのでつい言葉を詰まらせると、姫野さんが少しだけ不服そうにする。
「コウ君、もっと具体的に言ってほしいな」
いや無茶ぶりだな!
「はい、コメントお願いしますコウ君」
「えぇ……」
姫野さんの笑顔は有無を言わせる気がまるでなさそうだ。仕方ない、ここは言う通りにしよう。
「まぁそうですね。別に不快感があるというわけではなかったけど、髪を切る前の槙島はほんの少しとっつき辛そうな印象はありました。あの外見のままであれば距離を置いてしまう人も一定数出た事でしょう。それが髪を切ってあげるだけで随分と爽やかな雰囲気になったと思います」
こんな感じでいいかなと目で問いかけると、姫野さんは満足そうに頷く。
「うんうん。ありがとうございます。コウ君アドバイザー」
「お、おう……」
コウ君アドバイザーってどんな肩書なんですかね……。
「そして髪は少しワックスで整え遊びを入れ、より親しみやすいよう仕上がっています! ぱちぱち~」
「おお~」
姫野さんの拍手に合わせて感心したように河合が手を叩く。
「そして今回の極めつけはメガネです!」
姫野さんが嬉々として言うと、森江さんが指さす。
「それ! メガネって槙島だったはずだよね!?」
いやそれだと眼鏡が槙島みたいになるよね? 言い間違えただけだよね?
「そうです。元々メガネは槙島君だったはずですが、今ここに、メガネはありませんね」
「って事はやっぱこいつ槙島じゃないじゃん!」
森江さんがとんでもない指摘をする。何その背理法もどきっぽい理論。ていうか姫野さんも何気にメガネは槙島君とか言っちゃってるしこれにはちょっとだけ槙島に同情するな。
「そうか……メガネが無いから僕は僕だと認識してもらえなかったのか! 何故なら僕はメガネだ! なんだ僕が悪いわけじゃなかったんだ!」
と思ったがどうやら槙島は喜んでいるらしい。まぁ本人が良いならいいけどさ。
「それが槙島君なんです。不思議ですね」
「ほんと不思議なんだけど……」
姫野さんの言葉に森江さんはまじまじと槙島の方を見る。その視線に恥ずかしそうにする槙島だが、今の槙島ではそれすら絵になってしまっている。
「しかしまぁ、よくここまで変わるよな……」
つい感想が零れると、姫野さんが口を開く。
「素材が良いのは勉強会の時分かってたからね」
「勉強会の時?」
「そう。槙島君眼鏡落としたでしょ? その時意外と整った顔立ちしてるんだなーって思ったんだよ」
「あー」
そういえば確かに勉強会の時眼鏡落としてたな槙島……。俺とか眼鏡拾ったのに気づかなかったぞ。よく人の事観察してるな姫野さん。
「だから槙島君に協力するって決めた時からこうするつもりだったよ。だって内がだ駄目ならもう外で勝負するしかないし」
「な、なるほど……」
まぁ確かにごもっともだが、姫野さん言ってる事地味に厳しいな! そりゃ多少喋るのは苦手だろうけど槙島はいい奴だぞ!
自分の気持ちにちゃんと向き合おうとする奴で、少なくとも俺よりは立派だ。
「あ、でもー……」
姫野さんがおもむろに口を開くと、すっと俺の耳元へ顔を近づけてきた。
「私は内も外もコウ君の方がタイプだよ?」
囁きかけられる甘い言葉に、つい身じろいでしまう。
「は、ははは……姫野さんは随分と変わり者だなー……」
「えー、そんな事ないと思うけどなー?」
姫野さんが冗談めかした様子で言うが、まったくこの女神は油断も隙も無いというかかんというか……。自分の美人っぷりをもう少し自覚していただきたいですね。いや自覚しているからこそこういう事言って揺さぶって来るんだろうけどさ! ほんとたちが悪いなぁ!
「この変貌ぶりはわけわかんないけどうん。こっちの方がいいよあんた」
「そうかな!?」
森江さんの言葉に槙島が嬉しそうにする。
俺が精神攻撃を受けている間にこっちはなんかいい感じになって来てるな。
「まぁでも、無言で近づいて来たのはマジでキモかったからこれからはやめてよね」
「うっ……気を付けます……」
チクリと森江さんに刺され落ち込む槙島だが、森江さんの表情は柔らかめだ。
良かったじゃないか。ただ一介の男子としてはやっぱイケメンの方が好かれるんだよなとほんの少しだけ複雑な気分ではあるけどね!
「それじゃあそろそろ行く?」
河合が言うので、他の皆も頷くと、会場になる会議室へと向かった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます