第七十三話

 かくして迎えたビブリオバトル当日。

 開催される場所は県の中心街とも言える街の一角に建つ中部公民館だ。

 県が町の外観を守るためとかで建造物の高さに制限をかけているので、都会に比べれば全然だが、それでも公民館にしては大きい方だろう。


 さて、一体どんな感じになるのだろうか。

 若干の期待を胸に入口へと足を向ければ、一階は駐車場に多くのスペースを割かれているらしく、中はあまり広くはなかった。

 

 確か会場は四階なのでエレベーターを呼びつつ昨日の事を思い出す。

 姫野さんが「今のままじゃ」と言った意味がまさかそういう事とは思っていなかった。

 いやまぁ確かに槙島を最初に見た時もなんとなくそうは感じてたけど、それにしたってあれ一つだけここまで人間は変わるのだろうか。


「あ、コウ君」


 声がかかるので見てみれば、丁度姫野さんが入って来るところだった。制服にスクールバッグのいつもの姿だ。服装までは聞いてなかったので一応制服で来たのだが、どうやら正解だったらしい。良かった。


「昨日ぶり。姫野さんも丁度来たところなのか」


 普通に挨拶したつもりだが、姫野さんは何故か不服そうに口を尖らせる。


「そうだね。でも本当なら駅で待ち合わせしたかったんだけどなー。コウ君が嫌がるから」

「あー、嫌というかほらあれだ、現地集合の方が楽でいいかなと……」


 何が楽って俺の精神面が楽って事なんだけど……。だってこの女神、二人きりになったらこれ見よがしに色々してくるし!


「まぁでもいっか。だって偶然来るタイミングが重なるなんて運命の糸で結ばれてるみたいだもんねー?」


 案の定姫野さんが早速これ見よがしにすり寄って来るので、とにかくソーシャルディスタンスは死守する。


「む」


 姫野さんはあざとく頬を膨らましてくるが、ただただ美しいだけである。俺の心は決して揺るがないからな! 昨日は油断したけど今日はそうは行かないぞ!


「それより姫野さん、槙島の事だけど本当に大丈夫だろうか」


 兎にも角にもペースに乗せられてはならないので別の話題で意識を逸らす。


「どうかなー? 人と話す事は相変わらず苦手みたいだけど、たぶん行けると思うよ」

「まぁ姫野さんがそう言うならそうなのかもしれないけど……」


 とは言え、もしこれであの二人がうまく行ったとすれば少し複雑な気分だ。いや槙島の恋が成就する分には普通に嬉しいんだけどさ。ただ一般男子高校生としてはあまり喜べる話ではないんだよな。

 果たして槙島がうまく行くのかどうか気になっていると、エレベーターがやってきたのでとりあえず乗り込む。


「確か会場は六階だったっけ」

「うん、そうだよ」


 6のボタンをぽちっと押すと、エレベーターが動き始める。


「ねぇコウ君」


 上っている途中、ふと姫野さんが口を開く。


「何かな姫野さん」


 応答はするも警戒はしておく。


「もしこのままエレベーター止まって閉じ込められたらどうする?」


 姫野さんが笑顔でそんな事を問うてくる。


「いやどうもしないから。強いて言うなら非常ボタンを押すくらい」

「でももし助けを呼んでもしばらくは私達二人きりになっちゃうよね?」


 姫野さんが一歩進んでくるので距離を置こうとするが、すぐに壁に突き当たる。しまったここはエレベーター、狭い密閉空間だ! 警戒態勢もまるで意味を成さないじゃないか!


「あれ、コウ君今度は逃げないんだ?」

「いやそういうわけじゃ……」


 小悪魔めいた笑みを浮かべる姫野さんはどんどん距離を詰めてくる。

 なんとか身体をよじり壁に背中を押し付けるが、努力の甲斐もなく姫野さんの身体が密着寸前のところまでやってくる。それどころか背伸びしてまで近づいてくるのでもう文字通り顔が目と鼻の先まで近づいてきていた。フローラルな香りに全身を包まれる。


 これは危ない。危なすぎる! 少しでも気を抜こうものならなんというかもうあってはならない事が起きてしまう!


「ひ、姫野さん? これ以上は色々と事故っちゃう可能性があるから……」

「事故って何のことかなー?」

「いやなんというかそのですね」

「まぁ、もしその仮にその事故が起きたとしても、私はコウ君となら全然いいんだけどなー?」

「なっ……!」


 何という事を言うんだこの女神は! いやもうこれは女神じゃない、サキュバスだ! 百二十パーセントあり得ないけどここで俺が頷いたら魂か何かを抜かれるに違いない!

 エレベーターの電子表記の数字はゆっくりながらも徐々に階層をあげていく。しかし五階まで来たところでそのリズムは突然途切れた。


「あれ?」


 つい疑念が声に出るとややあって、鈍い音と共に中に光が差し込む。

 姫野さんも気配を察知したのか、すぐさま俺の身から離れてくれた。


「あ、忍坂君とことみちゃん……!?」

「河合さんだ。やっほー」


 姫野さんが何事も無かったかのように手を振る。

 光の先から現れたのは河合だった。心なしかほっとしたような様子の河合だが、俺からすれば背中から後光が指している仏の柔和な笑みにも見えた。一階分とは言えあの誘惑に耐える時間が減ったのが嬉しくてたまらない。


「ありがとう河合。助かったよ」

「た、助かった?」


 視界の端で姫野さんが心なし不満げな視線を向けてきている気がするが気にしないでおこう。


「あーでも助かったと言えば私も助かったよ……。ビブリオバトルの会場がどこかわからなくって困ってて」


 河合が力なくほほ笑む。


「そうだったんだな。確か六階の603会議室とかだったと思うから一緒に行こう」

「う、うん。ありがとう忍坂君」


 河合がいそいそとエレベーターへと乗り込んでくる。

 ふう、これで女難という名の一難は去ったぞ。姫野さんも河合が一緒なら大きくは動けまい。今度エレベーター乗る時は絶対に姫野さんと二人きりにならないようにしなければ……。

 反省しつつ再び電子表記に目を向けると、すぐに六階へとたどり着く。

 扉が開くと、その先には森江さんの姿があった。

 森江さんも俺達が来たことに気付いたのか、目が合うやいなや必死の形相でこちら側へと走って来る。


「ほ、ほんと良かった来てくれてー!」


 森江さんが河合の胸に飛び込むが、ちょっと大げさすぎやしないだろうか?


「ど、どうしたのりょうかちゃん!?」


 河合もまた俺と同じ疑問を抱いたらしい。驚いた様子で声を上げる。


「い、いやさ、まったく知らない奴がさっきからずっとあたしの傍に寄ってくんの!」


 まったく知らない奴だと?

 森江さんがいた方へと目を向けると、そこには背中から凄まじい哀愁を漂わせ握りこぶしを作る男子高校生の後ろ姿があった。

 あ、これは色々とあったな。うん、間違いない。


 

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