第4話
四月
「ねぇ、私、同じ学科の――って言うんだけど」
講義の選び方や単位についての長い長い説明会がようやく終わり、学食へ向かう一団に混ざって歩いていると声をかけられた。
「ほら、近くの席に座ってたんだけど」
「ええと」
とっさに思い出すことが出来ない。
でも、近くに座っていたと言うんだからたぶんそうなんだろう。私は曖昧に笑って、覚えていないということを誤魔化す。
新生活が始まってからずっと、不安だったし緊張もしていた。
初めての一人暮らしでは早速ホームシックにかかっていたし、初めての大学生活についても、先程の説明会の内容はちんぷんかんぷんで、どうしたものかと途方に暮れていた。
引っ込み思案で人と関わるのが苦手な私としては、こんな風に話しかけてきてくれる子がいるのはとても有り難い。
「講義の選択は――だけど、――もだし、バイトだっ――だから、――は不安だし、」
嬉しくてうんうんと相づちを打つけれど、実のところ周囲のざわめきにかき消されて、所々何を言っているのか聞き取れていない。
何の話をしているのかわかっていないことがいつバレてしまうかとヒヤヒヤするが、その子は気付く様子もなくご機嫌で喋り続ける。
「私の出身地は――で――だから、海と山の――で、なのに――」
肝心の名前さえ聞き取れなかったのだけれど、それについてどう切り出せばいいのかもわからないし、その子は聞き直す隙もないくらいに延々と喋り続けている。こっちから名乗るタイミングすらなくて、相づちを打つのも間に合わないくらいに喋って喋って、しまいに私は、その子の隣でただ困惑するばかりになってしまった。
あまりにも一人で喋り続けるものだから、困ったを通り越してだんだん怖くなってくる。
あちこちから楽しそうにお喋りをする声がしていた。声ははしゃいでいたり、緊張していたり、とにかく相手に何かを伝えようとしている。時々弾けたような笑い声が響くと、しみじみ、ああ本当に大学生になっちゃったんだ、なんて思う。
けれど、なのに、どうして私だけこんな目にあっているのかわからない。隣を歩くその子が本当に私に話しかけているのか自信が無くなってきた。
試しにそっとその子から離れ、学食へ向かう一群からするりと抜けてみてはどうだろうか。その子はきっと困惑したように、どうしたのかと私に尋ねてくるはずだ。私はそれに対して、周りの声がうるさかったからと答えよう。ついでに私の名前を名乗って、もう一度名前を教えて欲しいとお願いしてみる。そうだ、そうしよう。会話を一度、仕切り直すんだ。
私はその思いつきを実行に移す。そっとその子から離れ、学食へ向かう一群からするりと抜けて……。
その子はあっという間に集団の流れに埋没して、見えなくなる。
学食へ向かう人の流れを少しの間一人で呆然と眺め名前も知らない同回生が戻ってこないことを確認すると、もう一度流れの中へ入る気力もなくなってしまった。
私はなんだか迷子にでもなってしまったような気分になる。
校内には学食の他にカフェテリアもあり、悩んだけれど、ひとまず今日のお昼は購買で買うことにする。
正直に言えば、高校までとは比べものにならない人の多さに圧倒されていた。カフェテリアも学食も、人で溢れかえっていて近づくのが怖いのだ。
だけど、人混みを避けて選んだつもりだった購買にも人だかりが出来上がっていた。何とか購入したサンドイッチと紙パック入りのカフェオレを手にラウンジへ行けば、こちらも予想以上に混んでいる。あれだけの学生が学食とカフェテリアに流れ込んでいたのだから、こっちは空いていると思ったのに。
混んでいるものは、もうどうしようもない。
私は腹をくくり、ラウンジをうろついてみる。どこかに一つくらい空いた席がないものかと目を皿にして探すけれど、どこもかしこも人だらけで空いた席はなかなか見つからない。
他に座って食事の出来るところなんてあっただろうか。必死になって記憶を辿ると、説明会でもらった校内地図に中庭があったような気がする。確か、ベンチもあるとかないとか言っていたような……。
ラウンジをあきらめかけたその時、ちらりと見えた窓際の席が空いているように見えた。ほっとして窓際の席に近づいたけれど、すぐにそれが二人がけの席で、もう既に一人座っている、ということに気が付く。
相席の気まずい空気の中でする食事と、四月のまだ若干肌寒い空の下でする食事を天秤にかけ、とっさに私は相席の方を選ぶ。ようやく見つけた席だし、早く食事も済ませてしまいたい。中庭のベンチだって、もう埋まってしまっているかもしれないし、下手をしたら中庭にベンチがあるというのが私の勘違いである可能性だってあるし。
もちろん私が勝手に相席を選んだところで、この席が空席で、一人で黙々と読書をしているこの人が許してくれなければどうしようもないのだけれど。
「あの、すみません」
この人とは詰まるところNのことなのだけど、その時の私はまだそんなことは知らない。
Nは読んでいた本をぱたんと伏せ、真っ直ぐに私のことを見る。あまりにも真っ直ぐに見られたものだから、一瞬怯んだが、声をかけてしまったからには引っ込みもつかない。おどおどとしながら、空席か、空席なら相席させてもらってもいいかという旨のことをもごもごと口にする。
「どうぞ」
一言だけ答え、Nは再び読書に戻ってしまった。
聞いているのかいないのかわからないけれど、とりあえず小さくお礼を言い、さっと座り、さっと食事を済ませ、もう一度小さくお礼を言って、さっと席を立つ。
ラウンジを出たところで、そこでようやくNのことを知った。
名も学部も知らない二回生の先輩、漫画研究会の人に教えてもらった。
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