3 #timestamp:432/10/02/ 09-32-43

 私はサンドイッチを齧りながらシートに乗り込むと、空いてる方の手で車のパネルを操作する。

 運転席…という表現が正確かはわからないけど、運転席、その座席前方のスクリーンには、職場への到着予定時刻、予定される交通ルート、そして想定される事故の発生率が表示された。


[Notice!]

 我々は市民の幸福のため最善を尽くし、目的地まで貴方を送り届けます。

 しかし、どんな出来事にも完全はなく、我々は100%の安全を保障することができません。

 その代わり、リスクを限りなく抑えることは可能です。我々はそのことに誇りを持っています。

 我々が提示したルートにおける事故発生確率は

《0.0021...%》

 です。

 このルートを承認しますか?

 > yes/no ?


 続けざまに、このルートを選択、決定した際のリスクに関する説明文が浮かび上がる。

 これはもはや一種の儀礼のようなもので、我々は市民の幸福に対して最大の考慮のもとサービスを提供しています。考え得るリスクを特定し、分析し、評価したうえで運用しています。といったような、リスクマネジメントを提示しているに過ぎない。

 私たち利用者はその”気遣い”に満足して、同意の上でサービスを受けるのだ。

 言ってしまえば、もはや形骸化してしまったものであって。

 書いてあることは『同意の上、次へのボタンをクリックしてください』となんら変わらない。

 …これはデッド・ジョークなので、ごく一部の変わり者にしか伝わらないだろうが。


 User]> yes_


 事故に関するデータをご覧になりたい方は次のファイルにアクセスしてください、という親切心を端に追いやって、私はリスクを承認する。

 私の意思表示を受け取るとすぐ、車外の景色は緩やかに流れ始めた。

 車が走行状態に入ったのを確認すると、私はシートに体を預けて残りの朝食を口に放る。

 車内モニタのチャンネルをパブリック・ショウに変更すると、浅葱色のスーツを着た司会者が、朝のニュースを報道している姿が映る。

 昔、それこそ前時と呼ばれる以前の時代では、スーツの色は黒が主流だったらしい。

 黒は死を連想する。

 そのため、スーツはおろか普段着にも黒を選ぶ市民は少ない。

 今となっては考えられない話だが、通勤列車という概念がまだ存在していた時代にあっては、黒一色のスーツの集団が、狭い車内にすし詰め状態で職場へと輸送されていたのだという。

 それはさぞかし異常な光景だったに違いない。

 そういう意味では、黒いスーツに対してある種の嫌悪感を抱くのは、今も昔もさして変わっていないのではないかとさえ思えるけれど。

 とかなんとか、そんな意味のないことをぼんやりと考えていると、PALSのプライベートチャンネルにコールが入った。

 咀嚼もそこそこに、麦のスポンジを珈琲で流し込む。


 calling!

 CALLER:新堂ティチ


「もしもし」

「ああ、おはようございます、主任。…お時間頂いても?」

「どうぞ、ちょうど朝食を終えたところ」

「おっと、タイミングが悪かったですかね。いや、よかったのかな」


 カタカタというスクリーンを指で叩く音と、神経質そうな声が耳元に響く。

 なるほど。始業時間前だからプライベートチャンネルを使ったの…。

 その勤勉さは彼らしいと言えば彼らしいが、始業時間前、規定時間外の業務は健康を害する。


 #reference

 paper[過重労働による健康障害及びそれらがもたらす幸福義務への抵触について/Michael Davis, 紫藤アマネ]


 つまるところ、幸福を損なう恐れがある。

 市民の義務を考えれば、立場的に私は彼を諫めなくてはならなかった。

 はあ、と小さく息を吐く。


「あの、新堂。貴方が仕事に対して人一倍熱心なのは、私もよく知っているけれど、規定時間外の業務は」

「ああ、そのですね。えっと、これは業務というよりは、若干プライベートな内容でして」

「はあ、職場から…」

 私も、そんなことで罰するつもりはこれっぽちもないけれど、一応、ていというものがあるのだ。

 特にこういう社会では。

 それは新堂も理解しているのだろう、私の警告を軽くあしらって、内容を進める。

「見て欲しいものがあるんです」

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