05本目 魔法と魔術と龍


遺体のない葬式を終えた後、アッシェと〝異形〟は例の本があったである洞窟に戻ってきていた。アッシェはそこを夜の拠点として、〝異形〟に知識を詰め込んでいる。〝異形〟の要望に応えるように一般常識も含んでいるが、以前と比べて明らかに魔法に関することが多い。

「つまり純粋な魔力を原魔力とでも表現すれば、大気中に存在し原魔力に近いものを自然魔力マナ。動物や魔獣、植物などに含まれて、その宿主の影響を受けて変質しているものを体内魔力オドと言います」

今、アッシェの食料調達を目的としてアラオザルを歩いているが、その間も彼の講義は止まらない。

アッシェの傷はだいぶ塞がり、歩みもしっかりとしてきている。未だに体調を整えるための魔法を使っているが、それがなくとも動ける程度には回復していた。

とはいえここは未開拓領域アラオザル。一瞬の油断で命を落とすかもしれない。食料調達と講義のどちらが主目的か解らない探索を続けながらも、アッシェは周囲に注意を払い続けていた。

だからこそ、それに気づけた。

「―――珍しいことが起きていますね」

なに?

アッシェが示した先、そこには魔獣が居た。灰色の毛並みから、ところどころ黄緑色の体毛が風にそよいでいる。旋狼ガルムという、狼に似た体躯で、基本的に狼と同じように群で生活する。

だがその群の仲間と思しき旋狼は力なく横たわり、ただ一匹四肢で立つ旋狼に腸を貪られていた。

「魔獣の同種喰い共食いです」

本来魔獣は同種を喰わない。そもそも同種で争うこと自体が少なく、縄張り争いなども威嚇で格付けを行うことが多い。

だが極々稀に同種喰いを起こす個体が見られる。そしてその個体は総じて強力かつ凶暴で、探索者が確認した場合は速やかな討伐、或いは確実な組合への通報が求められている。

そもそも何故、魔獣は魔獣を喰らうのか。肉を求めてか。縄張り争いの結果か。いいや違う。

一番の目的は【魔核コア】の摂取だ。

魔核は魔力の中枢。魔獣はそれを喰らい取り込むことで、己の魔法能力を向上させることができる。だがその幅は極めて微々たるもので、十数年魔核を集め続けなければ明確な差は出ないだろう。―――出てしまえば極めて深刻な事態となりえるが。

だがそれをより効率よく行う手段がある。それこそが、同種喰い。

同種の魔核を取り込むことで、爆発的な魔法能力の向上が見込める。

けれど通常魔獣はそれを行わない。『種の保存本能』が働いているのでは、というのが研究者の仮説だ。


だが稀に、その本能が外れている魔獣が現れる。

そう、ちょうど目の前の旋狼ガルムのように。


と、旋狼が顔をあげた。血まみれの鼻先を巡らせ、こちらに向ける。気づかれたようだ。

昨日までのように逃げるかと思えば、牙を剥き出しにした。どうやら興奮しているようだ。これまで〝異形〟(アッシェではない)に挑みかかってきたのは啄竜トリ頭しかいなかったというのに。


旋狼が咆える。緑色の毛束が揺らめく。その周囲に風が集い密度を高め、それによって光がねじ曲がっている。

亜竜ディノシアの身体強化とは異なり、外に変化を起こすそれを、人属であれば攻撃魔法と称する。それが旋狼の魔法だった。

[風槍]。人属の魔法ではそれに相当する。

魔力の消費こそ激しいものの、威力と貫通力に優れる魔法。

今代〝紅蓮〟マルグリッテの〈火熔咆ラヴァ・ハウル〉は、その火属性版たる[火槍]を元にした個人魔法式だった。

再度の旋狼の咆哮で、[風槍]が放たれた。圧縮され高密度の風の塊となった穂先が、猛烈な速度で標的へと向かう。


だが途上の物体全てを貫き粉砕する筈のその槍は、途中で解けて大気に消えた。


旋狼の表情をただ一言で表すなら、『唖然』だった。自分の放った魔法の制御が、それを遥かに上回る親和性を持った存在によって奪われたのだと気づいていない。

そして彼の目の前で[槍]から解かれた風はそのまま[鎚]の形に編み上げられ、調子に乗った駄犬の身に〝伏せ〟を文字通り叩きこんだのだった。


§


喧嘩を売ってはいけない相手風に対する親和性の高い〝異形〟に、最悪の方法風の魔法で挑んでしまった旋狼に憐憫の眼差しを向けながら、アッシェは講義を続けることにした。

哀れではあるが、ちょうどいい教材になったことであるし。

「―――そもそも【魔法】とは、言い換えれば『体内魔力オドを支払い望みをかなえてもらう方法』です。けれど逆に、体内魔力の親和性が一定のレベルを超えれば、まるで『自然魔力マナようになります」

その親和性が隔絶した二者が対峙した場合が―――今まさに行われた、〝異形〟と旋狼の魔法合戦だ。旋狼が風の攻撃魔法で〝異形〟に勝利する方法は、一切存在しなかった。

それほどまでに〝自然魔力に対する馴染みやすさ〟つまりは『体内魔力の親和性』が重要になる。

そして親和性が高ければ高いほど、魔法の完成度は高まっていく。故に人属の魔法は魔獣の魔法に劣る。威力も速度も精度も燃費も、あらゆる面での劣化版。

とはいえ、これほどまでに一方的な蹂躙が人属と魔獣の間で行われることはあり得ない。魔獣が如何に親和性に優れているとはいっても、魔法の制御を奪えるほど自然魔力を従えている魔獣はそうはいない。

そう殆どの魔獣は―――例外たる存在も、数少ないながら存在している。


「その頂点こそが、龍属ドラゴニア


発達した顎と牙、鋭い爪、全身を覆う鱗を持つその巨躯は亜竜ディノシアによく似ている。だが翼腕や腕鰭を含めた四足を基本とする亜竜に対して、龍属はを持っている。

更に身体強化以外にも、あらゆる魔法を使いこなす。特に『魔法の吐息ブレス』は種族の代名詞ともされ、古今東西あらゆる絵巻物や物語で登場する。やれ魔獣の一団を薙ぎ払った、やれ火の山を崩して地形を変えた、やれ嵐を砕き天候を変えた―――などなど。

更には500年という長い年月を生き、人語さえ理解し操り、人属を遥かに上回る知性を有する存在。

それが【ドラゴニア】。

かつて魔獣が世界の主だったとき降臨し、人属に魔法を授けたという神龍。竜はその末裔ともみなされ、崇拝の対象となっている。そのためかつて魔法を伝授した神龍の名前である『ドラゴニア』は、彼の眷属である竜という種族全体を指す言葉にもなった。


だがその種族の中に、とは一線を画す上位種が存在する。


長寿500年を竜というのであれば、それは永遠を生きる。

それこそが、【龍】。

竜と区別する場合は、〝古きものエルダー〟と呼ぶ。


この龍と竜を一つの種族としてみなした呼び名が【龍属ドラゴニア】である。ただしエルダードラゴニア以上に目撃数が少なく、一部の書籍では両者を混同してしまうため存在自体を知らぬ者も多い。そんな彼らは龍属ではなく属と称することもある。


とはいえその龍と竜を神聖視し崇める宗教は、その原型を含めれば約4,000年前、窟人ドワーフが残した最古の歴史書石板にも窺い知ることができる。そして今なお、〝龍言教〟という形で現存し続けている。

たとえ一生のうちに見ることがなくとも、龍という存在を知らずとも、そんな中で育ってきた人々は龍属に対して強い畏敬の念を抱いている。それがこの世の一般常識。

とはいえそんなことを知らぬ〝異形〟は、まるで赤子のようにより詳細な説明を求めた。

疑、龍、力〝龍〟はどのくらい強いの?

「そうですね…………では。かつて、千年前までこの大陸全土を統一し支配していた大魔帝国――ええと大きな国家人間の集団がありました。彼らは私よりも遥かに強力な魔法使いを、何十万何百万と擁していました。けれどその国家は滅びてしまいました」

それはかつての大陸覇権国家、イェルドラグス大魔帝国。

現在の王国も、東の帝国も。西の騎士国や共和国も、南国諸国も。それらすべての土地を治めていた大国家。

その国土全てが、国民全てが滅びたわけではない。まるで巨蛇に止めを刺すように、が斬り落とされたのだ。

「中枢たる王都と、それに準ずる大都市三つ…………何万もの魔法使いの軍隊がそこにはいたでしょう。しかしその抵抗は全て焼き尽くされ、人属は皆殺しに遭ったと言います。それを一夜にして為したのが―――」


―――たった一体のエルダー


アッシェは過去に師匠より聴かされた話を〝異形〟に伝える。

「より正確に言えば四つの都市の内二つを一体のエルダーが焼いた。そしてその一頭と、それを止めようとする複数のエルダーが争うそのによって残りの二都市と複数の町が焼け落ちたそうです」

それほどまでにエルダーと人属はかけ離れている。

いや、違うか。

「その下位とされる竜でさえ、王国全土の全力をかき集めて対抗しなければ容易く滅ぼされてしまうでしょう」

王国全土に散らばる騎士団も正規軍も傭兵も魔法使いも探索者も、全てを一つの意思の下に束ねて、膨大な屍の上にようやく倒せるかどうか。

故に龍属ドラゴニアは最強種族と見なされ、その中の上位種たるエルダーは神にも譬えられるのだ。

この世界を作ったという〝創造神〟に対して〝救済神〟などとも呼ばれるが―――いや、今は神学の授業ではない。

アッシェはズレつつあった話を修正し、語りだす。

「その龍の強みこそが、先ほど述べた体内魔力の親和性。そして彼らが用いる魔法は当然、その素質に見合った独自のとなっています」

同じ魔法を使っても圧倒的な差が出る。それどころかそもそも違うものを使えば、それはもはや比べることもできないほどに隔絶してしまう。

「その〈龍属の魔法〉を〈人属の魔法〉と区別するために、私はこう呼んでいます―――」


【魔術】、と。


ここまでで質問はありますか、というアッシェの問いに異形は大気を震わせた。

疑、人、未、不、死何故人間は滅ぼされてしまわない?

魔法能力も違う。そもそも使っているものからして異なっている。人属が龍属に対して、勝つどころか滅ぼされないように抗う術も持たぬように〝異形〟には思えた。

先ほどの大魔帝国の一件を踏まえれば、それは至極まっとうな意見だった。

それに対してアッシェは答える。

「龍属がその意思を持たないから、それに尽きます。彼らは基本的に干渉を嫌い、人の世に出ることを望みません。本来はとても穏やかな種族なのです」

千年前の大魔帝国を滅ぼした龍が異常なのですよ、とアッシェは続けた。

何故そこまで言い切れるのか。そんな疑問の雰囲気を翡翠の瞳から感じたアッシェは、その根拠を示した。


「私の魔法の師と呼べる方が―――エルダー、その中の御一……いえ、御一方なのです」


出会いは〝魔導士〟の称号を得る二か月ほど前。何の前触れもなく飛来した人語を使う水色の竜に連れられ、私はその龍に会った会わされた

最初こそ面食らったものの、から与えられた知識はアッシェにとってとても有意義なものだった。

「一定以上の力量を得た魔法使いの中から選んで教え込んでいるそうで、私はそのお眼鏡にかなったとのことでした」

この世の正確な歴史。魔獣の生態と由来。魔法の本当の来歴。過去存在した三種族それぞれの古都。そしてそれが滅んだ経緯。世の研究者や為政者、探索者たちが求めて止まぬ膨大な知識が、龍属の頭の中には存在した。

千年前のことも、四千年前のことも。人属にとっては記録が風化してしまうほどの古代であっても、彼らにとってはせいぜい親の世代はなしだ。

先ほどの大魔帝国の一件を断定的に話したのも、その経験あってのこと。

勿論が嘘を吐いている可能性はある。だが龍属かれらは嘘を吐くことを嫌い、それくらいならば沈黙を選ぶ。そして何より龍属が同胞のことで虚実を用いることは、やはり無いとアッシェには思えた。

それはともかく、とアッシェは再び脱線しかけた話を元に戻す。

ヌシ殿。魔の頂点たる龍に教えを受け、魔術と魔法の両方に触れた人間として述べます。貴方の体内魔力オドの親和性、特に風と土は、龍属にさえ匹敵するものとお見受けしました。おそらく貴方は、〈人間の魔法〉よりも〈魔術〉の方が適性が高い」

だからこそ、とアッシェは強い口調で断言した。

「貴方は魔術を修得すべきです」

何故ならば、魔術こそが魔法の完全体あるべきかたち

火魔法を極め、その上で魔術に触れた魔導士アッシェの結論がそれだった。

魔術を使いこなすだけの能力は、確実に〝異形〟にあるのだから。

「本格的なそれは龍属の下でしか学べませんが、それまでの繋ぎとして、私が教えられるだけ魔術を教えましょう。私はたった一つの魔術を使えるようになるまで、十余年かかりましたから」

そしてアッシェが教えられる魔術も、たった一つしかない。

しかしその一つで十分だとも思っていた。

少なくとも、自分が死ぬまでは。

頭に浮かんでしまった思考を振り払い、アッシェは講義をつづけた。

「貴方が最初に覚えた〈風の詞〉も元は魔術でしたが、アレは魔法式魔法にアレンジしたものです。ですがこれから教えるのは完全な龍の魔術。その名は―――」

森の中に魔導士の声が響く。


〝紅蓮〟と呼ばれ、魔導士の称号を得た男が、ただ修得するためだけに全力を注いだたった一つの魔術。と出会ってからのこのときに至るまでの時間の結晶を、しかしアッシェ・ゼトランスは一切の躊躇なく曝したのだった。



§


その日、陽が上っている内には結局、〝異形〟は魔術を使うことはできなかった。

だがアッシェは、時間はかかってもいつかできると確信している。魔法式魔法に変換されているとはいえ、元は魔術である〈風の詞〉を使用できているのがその根拠だ。

……とはいえ十余年を掛けた魔術をあっさり習得されても複雑な感情を抱くので、いくらか安堵のような感情を抱いているアッシェだった。

彼と〝異形〟は空が赤く染まり始めると森での探索を兼ねた講義を切り上げ、〝異形〟のである洞窟に戻ってきた。ここ数日の拠点である。

洞窟の隅に腰を下ろし、本日の晩餐である果実と肉と野草を取り出しながら、アッシェはを手元に取り寄せた。


そう、例の得体のしれない魔導書だ。


これに刻まれた魔法式が何であるのか、そもそもこの書物は何なのか。それを知らずに放っておくには危険すぎると判断して、アッシェは解読を続けていた。

あの〝異形〟までもがこの本を苦手としているようで、アッシェがこの本を手に取るとするすると距離を取る。そのまま遠くに行ってしまうのかと思えば、ある程度の距離を保って遠くからじっとアッシェの様子を観察するように瞳を向けてくる。

そのままアッシェが何事もなく静かに読んでいると、まるで安堵したかのようにその場を離れていくのが常だった。決して近寄ろうとはしない。

そんな〝異形〟の仕草を頭から追い出しながら、アッシェは魔導書の中身に目を落とした。

意外なことに、表題以外は普通に読むことができた。表題のそれとは違い、中の文章は自分のよく知る基本文字アルファベットと言語で書かれていた。例の不快感もない。

ひょっとして、と思って表題を読もうとしてみたが、あの時と全く同じ不快感に襲われた。三度目は決して試すまいと心に刻んだ。

そんな魔導書―――いや〝本〟の序文の内容は、『四大元素』に基づいた魔法体系を語っていた。

火、土、風、水。この四属性を基本属性と見なす『四大元素』説は珍しくない。

だがこの本の中では、通説に見られない、四大元素間の明確な優劣が決められていた。いや優劣ではなく、この場合というべきだろうか。

『水は火で消える』、それはごく当たり前のことだ。無論、少量の水であれば水が飛ぶこともあるが、それは大きさが違うため。同等の火と水があれば、必ず火が消える。

それが世の常識だが、この本ではそこの関係には一切触れられていない。

あるのは『火と土』『風と水』ののみ。

そしてその対立する二属性がぶつかれば、するとされている。―――訳が分からない。

それでもアッシェが読み進めるのは、こういった類の〝本〟に書かれた情報がある種の暗号になっている可能性が高いからだ。

四属性というのが何らかの比喩である可能性もある。四元素といいつつ、もっとも複雑な説を唱えている可能性もある。この本を最後まで精読したあとに、ようやく詳らかになるのかもしれない。

勿論完全なる出鱈目である可能性もあるが、正体不明の精密極まる魔法回路を刻むに選ばれた〝本〟だ。その内容にも相応の意味があると考えるのが自然だった。


そして本の後半には、図鑑のように絵が数行の解説付きで載っている。

ページの隅に〝神〟と書かれているところを見る。だが私が見たことも聴いたこともない。ひょっとすれば【大魔帝国】による【聖龍教会】設立以前の、失われてしまった神話の神々なのかもしれない。

私はひとまず、その挿絵をぱらぱらとみることにした。

蜘蛛を連想させるような神。巨大な渦のような神。無数の舌を突き出した翼をもった神。神聖さとそれ以上のおぞましさを感じさせる神々がそこにあった。


そんな中、とある一柱の神が目に留まった。

そこに描かれた神は、火の神であるとされていた。〝紅蓮〟の二つ名にふさわしい神であるかもしれない。

曰く、『大魚の口』に住んでいる。

曰く、怨敵と定めた敵がいる。

曰く、顕現する際は眷属を引き連れて現れる。


そしてその神の顕現した際の姿を―――〝〟という。


そして本を仕舞い、目を閉じて寝ようとする段になっても、アッシェはその描かれた神の姿を脳裏から消し去ることができなかった。





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