7本目 対価
【前話の粗筋】
・守り神の伝承が伝わる由緒正しき小さな村落がありました
・村は盗賊に襲われました
・母娘は森の中に逃げ込みました
・母は森の中の
・そして森の中で娘がであったのは、クマさんではなく異形でした
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前方に、動物が現れた。数は五。
その動物には見覚えがあった。コカカカカ、と声を上げ、あたりを走り回る動物だ。
彼らは大抵複数で行動し、その数は二〇を超えたこともあった。そして彼らは例外なく、私を
その爪や牙を私の
けれど私はその危険を除かざるをえない。あの炎から受けた危険と恐怖が、私にそうさせているのだと思う。
だから今では私は、〝コカカと声をあげる動物〟を見れば、即座に命を止めることにしている。元より私が目的としていたのは彼らではない。
だから私は思った。
〈潰れろ〉、と。
次の瞬間、他の四つから離れていたコカカが潰れた。
真上から振り下ろされた[風の槌]が、私の思いを叶えたのだった。
そして私は続けて願う。今度は〈貫け〉と。
その思いに応えたのは〝風に連なるものども〟ではなかった。
コカカの足下から勢いよく屹立したのは、
けれどそうならなかったのが
思いが叶わなかったことに、思考が揺らめいた。
けれど私は行動した。
自らの
そう、
そうして五つの動物は全て
そうして私は、それに目を止めた。
それが既に
残念だった。
4回目の、12人目の人間との遭遇を期待したが、それが果たされなかったことに。
│ここ《森》では人間と会うことは、あの〝コカカ〟会った回数よりも少ない。
私が望む、『人間と係わる』こと。それを果たしたかもしれない人間が、それを確かめるよりも早く
私はその感情を抱えたまま、その場を去ろうとした。
『…………………………い』
けれど私は、吸い寄せられるようにそれを
赤い。炎のように赤かった。
炎を連想した瞬間危険ではないか、と思ったが、それが
それでも私は恐る恐る触手を伸ばし、つつき、やがて持ち上げてみた。
それをずっと
『どうかたすけてください』
そう、呼ばれた気がした。
それは紛れもなく、人間の声だったと思う。
少なくとも〝コカカ〟のものではないし、木々の擦れる音でもない。
私はその主を探すため、視界を巡らせた。
〝人間だったもの〟―――違う。とうに
〝コカカ〟だったもの―――違う。全て
大樹―――違う。
大樹の根本―――見つけた。
そこに在る命に、私は気づいた。
私をじっと見つめている。けれどそれは身を翻し、暗闇の中に逃げ込んだ。
私はゆっくりと
みつけた。
触手に触れるぬくもりを感じた。久しぶりの感触だ。私はそれを引っ張り出した。抵抗はなかった。
引き抜かれた触手には、小さな人間が
「どうか、おねがいします」
その少女は
それは、
§
お父さんが自分たちを見送り、剣を担いで笑っているところも。
お母さんが自分を樹洞に隠し、笑顔で愛を囁いてくれたときも。死に行くその姿も。
そしてお母さんの仇を討ってくれた、かみさまの姿も。
けれど〝おはなし〟のとおり、かみさまは『一言ではいえないようなお姿』だった。正直に言って、とても怖い。恐ろしい。気持ち悪い。近寄りがたい。河原で大きな石をひっくり返して、その裏側を見てしまったときのような、そんな気持ち悪さが私の全身を駆け巡った。
だからかみさまに見られたと思ったとき、私は思わず樹洞の奥へと逃げ込んでしまった。そうすると私を追うようにかみさまが手を樹洞の中に入れてきた。
そうと気づいたとき、私の喉から勝手に絶叫が飛び出しそうになった。かみさまの手が私を捕まえたとき、蛇の形をした不快感が全身を這い回っていた。
それでも私は耐えた。
かみさまを見たときは、心を鎮めて、ありのままを受け入れなさい、と。
それでも穴から引きずり出され、巨大な翡翠の瞳の前に掲げられたとき、私は思った。
だめかもしれない。私はこれから死ぬのかもしれない。泣き出しそうだった。ないていたかもしれない。いろいろと湿っていた。
「どうか、おねがいします」
だから少女は、お願いした。ずっと閉ざしていた口を開いた。
最期になるかもしれない言葉で、せめてものお願いをした。
「かみさまに
お母さんを。私のために頑張ってくれたお母さんに、安らかな眠りをと。
幸い手は自由に動いた。だから私は
お母さんは言っていた。かみさまに渡せばお願いごとをきいてくれる、と。
だから私は、かみさまにお願いした。
けれどかみさまは、何も言ってはくれなかった。
私の頭の中は色んな考えが渦巻いていた。本当にかみさまは願いごとをきいてくれるのだろうか。怒ってしまうんじゃないか。せめてもの願いさえ届かずに、私は死んでしまうんじゃないか。
やがて私の手の中から、
受け取ってもらえた。
願いごとをきいてくれたんだ。そう思いついた私は、地面に降ろされていた。
涙が引っ込んだ私は、かみさまに地面がむき出しのところに穴を掘ってくれるように頼んだ。たくさんの手で掘ってくれるのかと思ったら、手も使わずに土がひとりでに動き、小山をこさえた穴ができていた。
すごい、さすがかみさまだ。
それから私はお母さんに近寄った。
お母さんは、とても痛そうだった。頑張ってくれたんだと思った。痛くても我慢したんだと思った。私のために。私のために、私をまもるために。
うじゅっ、てなった。顔が勝手に動き出した。目がぼやけて、喉が引きつりそうになった。
ダメ。かみさまの前ではしずかにしなきゃ。そう思って私はお母さんの傍でうずくまり、目をぎゅっと瞑った。声を出さないように両手を合わせて握りしめた。そうやって耐えた。
かみさまは静かに待っててくれた。
しばらくしてから、私はお母さんに向き合った。お母さんを運ぶために、持ち上げようとした。持ち上がらなかった。
くじけそうになったけど、諦めるわけにはいかない。けれど力を入れている間に、ふっと重さが消えた。
え? と思えばかみさまがたくさんの手でお母さんを支えてくれていた。
ありがとうございます、そう言ってかみさまに手伝ってもらいながらお母さんを運んだ。
穴の底にも、かみさまが入れてくれた。
私はずっとお母さんを握っていた。離したくない、離れたくない。もっとずっとお母さんと一緒に居たかった。
けれど、離れなきゃいけない。手紙を届けに行かなきゃいけない。
それが、お父さんとお母さんのお願いごとだから。
お母さんの足元に回り込んで、土の山に手を突っ込んだ。両手を合わせて土を掬う。そしてその土をお母さんに振りかける。足元の方から、さらさらと。
5回ほどお母さんと土の山を往復したら、突然山が揺れた。とっさに気づいた。
かみさまが動かしているのだと。
気づけば私は、ダメ!と叫びながら動き出した土の山に飛びかかっていた。そして私は顔まで土に突っ込んだ。
押さえ込もうとした山は幸いにも止まってくれたが、私は土まみれになっていた。前髪にふわふわの土がくっついている。
振り向けば、かみさまがじっと私を見つめていた。
私は血の気が引くのを感じた。
叫んでしまった。〝おはなし〟を、言いつけを破ってしまった。怒らせてしまったのではないか――私はいつの間にか消えてしまっていた恐怖が沸き上がるのを感じた。
けれど私は、ふと気づいた。
その瞳に、不思議そうな感情が湛えていることに。
だから少女は、語り掛けた。
「……じぶんの手で、土をかけるんです。少しずつ」
それは二か月ほど前。同じ村のおじいちゃんが亡くなったとき。私が初めて参加したそのお葬式で、お母さんが私に教えてくれたこと。
「送る人が、さよならをするために。時間をかけて、おわかれをするんです」
私はそう言って、もう一度土を掬って見せた。その一掬いの土をお母さんにかける。二か月前に、お母さんがしてくれたように。
そうすると、かみさまが動いた。たくさん手のあるうちの1本を土の山に伸ばして、器用に土を掬って見せた。その手に掬った土を、私の目の前に持ってくる。
私に伺っているようだった。顔色を窺うかのように、大きな瞳が私を見ている。
私は頷いてみせた。でもかみさまはそのまま動かなかったから、もう一度大きく頷いて見せた。ようやくかみさまはその土を、お母さんにかけてくれた。
私はもう一度頷いた。
そこから私とかみさまは、ただひたすらに土を掬い、かけていった。
会話はなく、ただしゃらりしゃらりと土が掛けられていく音がしていた。
かみさまがだんだん手をふやして十本ぐらい使い始めたとき、首を横に振って止めたけど、それ以外はなにもなかった。
やがて私がお母さんの顔に土をかけて、とうとうお母さんは見えなくなった。
悲しくて、寂しくて、それでもどうしようもないことがわかって、私はまたうじゅってなった。
そのまましばらく土を掛け続けた。
かみさまもなにも言わず、1本の手で土を掛け続けてくれた。
「……ありがとうございました、かみさま」
そう言えたのは、ずいぶんと時間が経ってからだったと思う。
私はかみさまに深く頭を下げた。
かみさまは、私のお願いを叶えてくれた。おかげでお母さんを静かに眠らせてあげることができた。そのことに対してどれだけ頭を下げ続ければいいのか解らないけど、気がすむまで続けようと思った。
そんな下げたままの私の頭に、こつんと何かが当たった。
思わず顔を上げてみれば、そこにはかみさまの手に乗せられた
お腹が空いてみえたのだろうか。そう言えば空腹を感じる。確かに感じる。意識したらどんどん強くなる。鳴るかもしれない、今はダメ、鳴っちゃダメ。
やさしいかみさま。けれどそれは、私がかみさまに捧げたもの。お母さんをうめてもらうお願いをした
だから受け取れない。優しいかみさまであっても、それはダメ。
「それは、かみさまのものです。お母さんを埋めてもらったお礼に、対価として、捧げたものです」
だから受け取れません、と言って首を横に振り、かみさまの手を押し戻した。かみさまの手は、かなりぶよぶよしていた。
しばらくかみさまは、押し戻された
だが
自分の失敗に気づいたからだ。それも、取り返しのつかないほどに。
私はお母さんに持たされた
けれど〝おはなし〟では、森から帰るためにこの
果たして私は、これからどうなるのだろうか。
お母さんに、手紙を届けるために町へ行くように頼まれた。それを果たさなければならない。しかし果たして、かみさまは私を帰してくれるのだろうか。帰してくれなかったらどうしよう。
けれどそんな混乱は、不意な浮遊感で中断させられた。
気づけば私は、かみさまに抱きかかえられていた。
ぶよぶよした手が私を包んでいる。私のお尻を支えてくれる手もぶよぶよしている。とにかく私はぶよぶよの中に埋もれていた。
少女はかみさまの頭の上に、寄りかかるように乗せられていた。4メートルにも及ぶその景色は、森の中とは言え私が見たこともないものだった。
混乱する私を他所に、森の景色が動いた。違う、私を抱えたかみさまが進み始めたのだ。かみさまは脚があるようには見えなかったのに、どうやって進んでいるんだろう。不思議だ。
いや、それよりも。かみさまは、私をどこかに連れていこうとしている。
樹洞から引きずり出された直後であれば、きっと私はもっと恐ろしいところに連れていかれると思っただろう。食べられるか殺されるか、あるいは何かもっとおぞましいことをされるのではないかと恐怖しただろう。
けれどいつの間にか嫌悪感と恐怖が消え失せていた少女は、かみさまを信じた。
きっと、送ってくれるのだろうと。
そう考えれば、かすかに伝わる振動が私にまどろみを
ぶよぶよで、意外とひんやりとするかみさまの手は、私を柔らかく支えてくれている。落ちる心配はない。
昨夜盗賊の襲撃からかみさまに出会うまで、一度仮眠を挟んだとはいえ凸凹の森を走り続けた少女には、その誘惑はとても抗えるようなものではなかった。
だんだんと瞼が下りていく。やがて、閉じきる―――
「か、かみさま!そっちは反対です!あっちです!」
寸前、大樹の側をかみさまが通ろうとしたことに気づいて慌てた。
かみさまの目の前で首を振ったり指さしたりして、ようやくかみさまは正しい方向に進んでくれた。
§
〝私〟は森を歩いていく。たくさんの
そんな少女を支える
それは赤い果実。少女が
〝私〟は思い返す。
少女は言っていた。
そこから〝私〟は理解し、推測する。
この
そう結論付けたから、私は少女を抱き上げて歩み始めた。
少女が一度
だからきっと、これでいいのだろう。
あの声が望んだ行為は、これで。
翡翠の瞳には、二つの紅の果実が映っていた。
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【添え書き】
もうしばらく、〝異形〟視点の場合は『独特の地の文』が続きます。
これは〝異形〟が『人間の特定用語を認識できていない』から起こるものなのですが……表現が難しい。
とはいえ今回の話数で『独特の地の文』の表現は完成したと思います。時期を見て既に投稿した話数の地の文も回収していくと思います。
なおあと4話ほどで『独特の地の文』は必要なくなると思います。
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