7本目 対価

【前話の粗筋】

・守り神の伝承が伝わる由緒正しき小さな村落がありました

・村は盗賊に襲われました

・母娘は森の中に逃げ込みました

・母は森の中の小型亜竜モンスターから、身を挺して娘を護りました

・そして森の中で娘がであったのは、クマさんではなく異形でした


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前方に、動物が現れた。数は五。四匹四つが何かに喰らいつき、それを一匹一つが眺めている。

その動物には見覚えがあった。コカカカカ、と声を上げ、あたりを走り回る動物だ。

彼らは大抵複数で行動し、その数は二〇を超えたこともあった。そして彼らは例外なく、私を攻撃してくる危険に曝す

その爪や牙を私の触手に突き立ててくる。その時感じる危険はとても少ない。あの男が出合い頭に放ってきた炎とは比べるまでもない。

けれど私はその危険を除かざるをえない。あの炎から受けた危険と恐怖が、私にそうさせているのだと思う。


だから今では私は、〝コカカと声をあげる動物〟を見れば、即座に命を止めることにしている。元より私が目的としていたのは彼らではない。


だから私は思った。

〈潰れろ〉、と。

次の瞬間、他の四つから離れていたコカカが潰れた。

真上から振り下ろされた[風の槌]が、私の思いを叶えたのだった。


そして私は続けて願う。今度は〈貫け〉と。

その思いに応えたのは〝風に連なるものども〟ではなかった。

コカカの足下から勢いよく屹立したのは、硬くとがった岩〝土に眠るものども〟。それらは四匹四つのうち三匹三つのコカカの鱗を揃えた体表テカテカと光る肌を容易く砕いて突き破り、中身である心臓脈打つ臓物を破壊した。

けれどそうならなかったのが一匹一つだけいた。彼は大きく吹き飛ばされ大地に叩きつけられたが、命は強く脈打ち続けていた。


思いが叶わなかったことに、思考が揺らめいた。


けれど私は行動した。

自らの触手を絡める。複数の触手が寄り合い編みあげるその形は、私の思いに応えた[風の槌]と同じ。

そう、触手で編まれた槌を、私はコカカに振り下ろした。


そうして五つの動物は全て息絶え命を止め、動物となった。


そうして私は、に目を止めた。

それが既に死んで命を止めてしまった、人間だったものであることを私は認識した。


残念だった。


4回目の、12人目の人間との遭遇を期待したが、それが果たされなかったことに。

私に対して攻撃する私を危険に曝す以外の行動をする人間に会えなかったことに。


│ここ《森》では人間と会うことは、あの〝コカカ〟会った回数よりも少ない。

私が望む、『人間と係わる』こと。それを果たした人間が、それを確かめるよりも早く死んで命を止めてしまった。


私はその感情を抱えたまま、その場を去ろうとした。


『…………………………い』


けれど私は、吸い寄せられるようにそれを見やっ視界に映した。


赤い。炎のように赤かった。

炎を連想した瞬間危険ではないか、と思ったが、それが動物ではない植物であると解った。動きはすまい。攻撃危険もないだろう。

それでも私は恐る恐る触手を伸ばし、つつき、やがて持ち上げてみた。

それをずっと見つめ視界に映していると


『どうかたすけてください』


そう、呼ばれた気がした。

それは紛れもなく、人間の声だったと思う。

少なくとも〝コカカ〟のものではないし、木々の擦れる音でもない。


私はその主を探すため、視界を巡らせた。

〝人間だったもの〟―――違う。とうに息絶え命は止まっている。

〝コカカ〟だったもの―――違う。全て原形をとどめていないぐちゃぐちゃだ

大樹―――違う。植物動物ではないものは動きもしなければ喋りもしない。


大樹の根本―――見つけた。


そこに在る命に、私は気づいた。

私をじっと見つめている。けれどそれは身を翻し、暗闇の中に逃げ込んだ。

私はゆっくりと触手を伸ばし、大樹の根本の穴へと差し入れていく。


みつけた。

触手に触れるぬくもりを感じた。久しぶりの感触だ。私はそれを引っ張り出した。抵抗はなかった。

引き抜かれた触手には、小さな人間が巻き取られていたしがみついていた

リリア最初に見た少女より少し大きい少女若い個体。黒い髪が背中ほどまで伸びている。瞳の色は……茶色だった。


「どうか、おねがいします」


その少女は語り掛けた危険ではなかった

攻撃する危険に曝すのではなく。


それは、30日明暗が30回繰り返されるほど彷徨った私にとって、ようやく巡り合えた存在だった。


§


少女フェアはずっと見ていた。


お父さんが自分たちを見送り、剣を担いで笑っているところも。

お母さんが自分を樹洞に隠し、笑顔で愛を囁いてくれたときも。死に行くその姿も。


そしてお母さんの仇を討ってくれた、かみさまの姿も。


けれど〝おはなし〟のとおり、かみさまは『一言ではいえないようなお姿』だった。正直に言って、とても怖い。恐ろしい。気持ち悪い。近寄りがたい。河原で大きな石をひっくり返して、その裏側を見てしまったときのような、そんな気持ち悪さが私の全身を駆け巡った。

だからかみさまに見られたと思ったとき、私は思わず樹洞の奥へと逃げ込んでしまった。そうすると私を追うようにかみさまが手を樹洞の中に入れてきた。

そうと気づいたとき、私の喉から勝手に絶叫が飛び出しそうになった。かみさまの手が私を捕まえたとき、蛇の形をした不快感が全身を這い回っていた。

それでも私は耐えた。

〝おはなし〟のお母さんに言われたとおりに。

かみさまを見たときは、心を鎮めて、ありのままを受け入れなさい、と。

それでも穴から引きずり出され、巨大な翡翠の瞳の前に掲げられたとき、私は思った。

だめかもしれない。私はこれから死ぬのかもしれない。泣き出しそうだった。ないていたかもしれない。いろいろと湿っていた。

「どうか、おねがいします」

だから少女は、お願いした。ずっと閉ざしていた口を開いた。

最期になるかもしれない言葉で、せめてものお願いをした。


「かみさまに林檎アバルを捧げます。これでどうかお母さんを……うめてあげてください」


お母さんを。私のために頑張ってくれたお母さんに、安らかな眠りをと。

幸い手は自由に動いた。だから私は林檎アバルを取り出す。それをかみさまに差し出しながら、頭を深く下げた。

お母さんは言っていた。かみさまに渡せばお願いごとをきいてくれる、と。

だから私は、かみさまにお願いした。

けれどかみさまは、何も言ってはくれなかった。

私の頭の中は色んな考えが渦巻いていた。本当にかみさまは願いごとをきいてくれるのだろうか。怒ってしまうんじゃないか。せめてもの願いさえ届かずに、私は死んでしまうんじゃないか。

やがて私の手の中から、林檎アバルの感触が消えた。顔をあげればかみさまがたくさんの手で抱えていた。

受け取ってもらえた。

願いごとをきいてくれたんだ。そう思いついた私は、地面に降ろされていた。


涙が引っ込んだ私は、かみさまに地面がむき出しのところに穴を掘ってくれるように頼んだ。たくさんの手で掘ってくれるのかと思ったら、手も使わずに土がひとりでに動き、小山をこさえた穴ができていた。


すごい、さすがかみさまだ。


それから私はお母さんに近寄った。

お母さんは、とても痛そうだった。頑張ってくれたんだと思った。痛くても我慢したんだと思った。私のために。私のために、私をまもるために。

うじゅっ、てなった。顔が勝手に動き出した。目がぼやけて、喉が引きつりそうになった。

ダメ。かみさまの前ではしずかにしなきゃ。そう思って私はお母さんの傍でうずくまり、目をぎゅっと瞑った。声を出さないように両手を合わせて握りしめた。そうやって耐えた。


かみさまは静かに待っててくれた。


しばらくしてから、私はお母さんに向き合った。お母さんを運ぶために、持ち上げようとした。持ち上がらなかった。

くじけそうになったけど、諦めるわけにはいかない。けれど力を入れている間に、ふっと重さが消えた。


え? と思えばかみさまがたくさんの手でお母さんを支えてくれていた。


ありがとうございます、そう言ってかみさまに手伝ってもらいながらお母さんを運んだ。

穴の底にも、かみさまが入れてくれた。

私はずっとお母さんを握っていた。離したくない、離れたくない。もっとずっとお母さんと一緒に居たかった。

けれど、離れなきゃいけない。手紙を届けに行かなきゃいけない。


それが、お父さんとお母さんのお願いごとだから。


お母さんの足元に回り込んで、土の山に手を突っ込んだ。両手を合わせて土を掬う。そしてその土をお母さんに振りかける。足元の方から、さらさらと。


5回ほどお母さんと土の山を往復したら、突然山が揺れた。とっさに気づいた。

かみさまが動かしているのだと。


気づけば私は、ダメ!と叫びながら動き出した土の山に飛びかかっていた。そして私は顔まで土に突っ込んだ。

押さえ込もうとした山は幸いにも止まってくれたが、私は土まみれになっていた。前髪にふわふわの土がくっついている。

振り向けば、かみさまがじっと私を見つめていた。


私は血の気が引くのを感じた。

叫んでしまった。〝おはなし〟を、言いつけを破ってしまった。怒らせてしまったのではないか――私はいつの間にか消えてしまっていた恐怖が沸き上がるのを感じた。

けれど私は、ふと気づいた。

その瞳に、不思議そうな感情が湛えていることに。


だから少女は、


「……じぶんの手で、土をかけるんです。少しずつ」

それは二か月ほど前。同じ村のおじいちゃんが亡くなったとき。私が初めて参加したそのお葬式で、お母さんが私に教えてくれたこと。

「送る人が、さよならをするために。時間をかけて、おわかれをするんです」

私はそう言って、もう一度土を掬って見せた。その一掬いの土をお母さんにかける。二か月前に、お母さんがしてくれたように。

そうすると、かみさまが動いた。たくさん手のあるうちの1本を土の山に伸ばして、器用に土を掬って見せた。その手に掬った土を、私の目の前に持ってくる。

私に伺っているようだった。顔色を窺うかのように、大きな瞳が私を見ている。

私は頷いてみせた。でもかみさまはそのまま動かなかったから、もう一度大きく頷いて見せた。ようやくかみさまはその土を、お母さんにかけてくれた。

私はもう一度頷いた。


そこから私とかみさまは、ただひたすらに土を掬い、かけていった。

会話はなく、ただしゃらりしゃらりと土が掛けられていく音がしていた。


かみさまがだんだん手をふやして十本ぐらい使い始めたとき、首を横に振って止めたけど、それ以外はなにもなかった。


やがて私がお母さんの顔に土をかけて、とうとうお母さんは見えなくなった。

悲しくて、寂しくて、それでもどうしようもないことがわかって、私はまたうじゅってなった。

そのまましばらく土を掛け続けた。

かみさまもなにも言わず、1本の手で土を掛け続けてくれた。


「……ありがとうございました、かみさま」


そう言えたのは、ずいぶんと時間が経ってからだったと思う。

私はかみさまに深く頭を下げた。

かみさまは、私のお願いを叶えてくれた。おかげでお母さんを静かに眠らせてあげることができた。そのことに対してどれだけ頭を下げ続ければいいのか解らないけど、気がすむまで続けようと思った。


そんな下げたままの私の頭に、こつんと何かが当たった。


思わず顔を上げてみれば、そこにはかみさまの手に乗せられた林檎アバルがあった。

お腹が空いてみえたのだろうか。そう言えば空腹を感じる。確かに感じる。意識したらどんどん強くなる。鳴るかもしれない、今はダメ、鳴っちゃダメ。

やさしいかみさま。けれどそれは、私がかみさまに捧げたもの。お母さんをうめてもらうお願いをした林檎アバル


だから受け取れない。優しいかみさまであっても、それはダメ。


「それは、かみさまのものです。お母さんを埋めてもらったお礼に、対価として、捧げたものです」

だから受け取れません、と言って首を横に振り、かみさまの手を押し戻した。かみさまの手は、かなりぶよぶよしていた。

しばらくかみさまは、押し戻された林檎アバルを矯めつ眇めつ見ていたようだった。


だが林檎アバルを押し戻した私は、かみさまの様子に気づかないほど狼狽えていた。

自分の失敗に気づいたからだ。それも、取り返しのつかないほどに。


私はお母さんに持たされた林檎アバルでかみさまにお願いをした。そう、たった一個の林檎アバルで。

けれど〝おはなし〟では、森から帰るためにこの林檎アバルをかみさまに渡していた。


果たして私は、これからどうなるのだろうか。

お母さんに、手紙を届けるために町へ行くように頼まれた。それを果たさなければならない。しかし果たして、かみさまは私を帰してくれるのだろうか。帰してくれなかったらどうしよう。


けれどそんな混乱は、不意な浮遊感で中断させられた。

気づけば私は、かみさまに抱きかかえられていた。

ぶよぶよした手が私を包んでいる。私のお尻を支えてくれる手もぶよぶよしている。とにかく私はぶよぶよの中に埋もれていた。

少女はかみさまの頭の上に、寄りかかるように乗せられていた。4メートルにも及ぶその景色は、森の中とは言え私が見たこともないものだった。


混乱する私を他所に、森の景色が動いた。違う、私を抱えたかみさまが進み始めたのだ。かみさまは脚があるようには見えなかったのに、どうやって進んでいるんだろう。不思議だ。

いや、それよりも。かみさまは、私をどこかに連れていこうとしている。


樹洞から引きずり出された直後であれば、きっと私はもっと恐ろしいところに連れていかれると思っただろう。食べられるか殺されるか、あるいは何かもっとおぞましいことをされるのではないかと恐怖しただろう。

けれどいつの間にか嫌悪感と恐怖が消え失せていた少女は、かみさまを信じた。


きっと、送ってくれるのだろうと。


林檎アバルは一個で足りたのかもしれない。ひょっとしたら、かみさまのサービスなのかもしれない。

そう考えれば、かすかに伝わる振動が私にまどろみをもたらした。

ぶよぶよで、意外とひんやりとするかみさまの手は、私を柔らかく支えてくれている。落ちる心配はない。

昨夜盗賊の襲撃からかみさまに出会うまで、一度仮眠を挟んだとはいえ凸凹の森を走り続けた少女には、その誘惑はとても抗えるようなものではなかった。

だんだんと瞼が下りていく。やがて、閉じきる―――


「か、かみさま!そっちは反対です!あっちです!」


寸前、大樹の側をかみさまが通ろうとしたことに気づいて慌てた。

かみさまの目の前で首を振ったり指さしたりして、ようやくかみさまは正しい方向に進んでくれた。


§


〝私〟は森を歩いていく。たくさんの触手で、上に乗せている少女若い雌の個体を支えながら。少女は静かにしている。力が抜け、くたりとしたときはどうしたものかと思ったが、生きて命が続いていることに気づき安堵する。

そんな少女を支える触手とは別の触手で、私はそれを持ち、視界に映す見やる

それは赤い果実。少女が林檎アバルと呼んだものだ。


〝私〟は思い返す。

少女は言っていた。林檎アバルは『対価』であると。『うめる』の対価であると。


そこから〝私〟は理解し、推測する。

この林檎アバルを貰うということは、何かしらの行動を対価として求められているのではないか、と。


そう結論付けたから、私は少女を抱き上げて歩み始めた。

少女が一度ダメだしした首を横に振ったときは焦ったが、その後指されるがままに進みなおせばそれ以降は否定首を横に振ることもない。


だからきっと、これでいいのだろう。

が望んだ行為は、これで。


翡翠の瞳には、二つの紅の果実が映っていた。



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【添え書き】

もうしばらく、〝異形〟視点の場合は『独特の地の文』が続きます。

これは〝異形〟が『人間の特定用語を認識できていない』から起こるものなのですが……表現が難しい。


とはいえ今回の話数で『独特の地の文』の表現は完成したと思います。時期を見て既に投稿した話数の地の文も回収していくと思います。

なおあと4話ほどで『独特の地の文』は必要なくなると思います。

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