サンドウィン内乱 05


広い草原の一角、小高い丘となっていたその場所に、巨大な炎獄ムスペルが出現していた。

巨大な炎が奔流となって空を切り裂き、撒き散らされた炎弾が大地を焦がす。

それは周囲で戦う両軍の部隊を置き去りにして、たった二人の魔法使いが作り上げた戦場だった。

「〈大炎球フォーコスペーラ〉」

灰色のローブを纏った白髪交じりの黒髪の男が唱える。

既に魔法と剣の応酬は数合に及んでいる。無詠唱による秘匿性を捨て、補助言語を用いた速度と威力重視の乱打戦へと切り替わっていた。

先代紅蓮アッシェが掌を掲げれば巨大な[火球]、それが四個、彼の周囲に生じた。それぞれが瞬時に加速し、敵めがけて飛翔する。

「〈火輝昇柱フラウロス〉!」

それを受け止めるのは、瞬時に形成された分厚い[火壁]。本来であれば敵を足下から呑み込み骨まで焼き尽くすというその炎は、膨大な魔力によって維持され四個全ての[火球]を受け止める。

熟達した魔法使い同士の、特に同属性の戦いは、ときに盤上遊戯の陣取り戦に譬えられる。魔法とは体内魔力オドを起点に自然魔力マナに命じ、魔法現象奇跡を引き起こすための方法だ。つまりは、『どれだけ空気中に揺蕩う自然魔力マナを自分に従えることができるか』。不意打ちや戦術を排除すれば、それのみが魔法使いの明暗を分ける。

――その優劣を最小化する方法こそが〟であるが。

ともかく自然魔力を従えるために、魔法使いはいくつかの方法をとる。

それは単純なものであれば注ぎ込むオド量の増加から、複雑なものであれば[一般魔法式テンプレート]の修正による〈個人魔法式〉への変換や、そもそもの己の体内魔力の調整・改造にまで及ぶ。


ともかく今行われている新旧〝紅蓮〟の戦闘とは、師弟関係にある熟練魔法使いであるがゆえに、マナの支配戦の様相を呈していた。

そして今も二人が放った魔法が衝突し、互いの制御を奪おうとする。それが片方に傾けば、片方の魔法を構成とする火のマナはもう片方に奪われる。

けれど今起こったのは、またしても相殺だった。それは互いの制御力がほぼ同格だということ。制御を失った魔力は属性を失いマナへと戻っていく。


そしてその隙に、マルグリッテは駆けた。


今の今まで貯めていた身体強化の魔法で、消えて行く火の粉を潜りながら先代アッシェへと駆ける。彼が咄嗟に放った魔法を躱し、剣を振った。

振られた刃は皮と肉を斬り裂いた。……先代が乗っていた馬を、であるが。

深手を負った馬は崩れ落ちる。先代は手綱を手放し飛び降りる。

着地の瞬間を狙って駆け出したマルグリッテだったが、彼女に向けて先代は補助言語を唱える。

「〈榴炎子メラーラロッソ〉!」

また先代の頭上に[火球]が出現する。マルグリッテは躱して斬りかかろうと構えて、ふと気づく。補助言語が先ほどと異なっていることに。

突進しようとしていた身体を急制動、後へと跳ぶ。

次の瞬間、無数の小ぶりな[火球]が降り注いだ。

二度目だ。私が[火槍]で迎撃して、馬の脚を焼かれた魔法。あの経験があったからこそ、今度は回避できた。

しかし私が崩れた姿勢を立て直す間に、先代は片手剣ショートソードを引き抜いた。私は後退を強いられたとはいえ、互いの距離は既に剣の間合い。魔法合戦は成り立たない。

それを理解していたからこそ私たちはほぼ同時に踏み込み、剣を合わせた。

互いに火魔法で筋力を強化した上で打ち込んでいる。年齢不相応の剣が唸りを上げ、ぶつかり合う。

鍔迫り合いのような形となり、互いの剣を押し込もうとする。

「三十代子持ちのすることではないでしょう……」

「五十代初老に言われたくありません……!」

目の前で呟かれた先代アッシェの言葉に、マルグリッテは思わず食って掛かった。四肢に力が籠るが、先代の剣は全く揺るがない。それどころか少しでも気を緩めれば押し返されそうになっている。

「……何故、ですかっ」

それは意図してのことではない。思わず漏れた言葉だった。

けれど先代は律儀に答えた。

「―――せざるを得なかっただけです。この場に居る、大多数と同じようにね」

まさか答えが返ってくるとは思わなかった。それ故か、剣の噛み合わせが外れる。咄嗟に放った斬撃は先代の剣によって弾かれる。力ずくで剣を引き戻し、目の前に掲げる。それで先代が振り下ろした剣を受け止める。

再び鍔迫り合いの形になる。その格好で先代が口を開いた。

「魔導士などと呼ばれても、そう同じです。私は……私の村を、護るためです」

「……っ」

今回のサンドウィン内乱。それは民が望んで蜂起したものではない。

帝国によって唆されたサンドウィン家が暴走したのが実態だ。そして領民は、それに巻き込まれた形となっている。

なのにサンドウィン家は領民を徴兵し、今回の野戦に臨んでいる。そこに金銭のやり取り以外に、私設軍と義勇軍帝国軍の武力を笠に着たであろうことは明白だ。

そしてマルグリッテは彼が住む村を知っている。王国から男爵位とともに与えられた所領だ。果実が名産の、二百人未満の村。村としては大きな規模だが、軍事力を向けられれば蹂躙されるしかない。

「ですが、師匠ならば……っ」

「弟子に言わねばならぬのは情けないですが……これでも五十の初老なのです」

大魔導士は言い辛そうに、それでも語った。

「確かに、魔法騎士の10人そこらなら軽く捻りましょう。集団で来るなら小隊丸ごと遠距離魔法で丸焼きにしましょう。けれど……不眠不休で続けられれば、いつか破綻します。そしてそれが訪れるのは、昔より確実に早い」

マルグリッテは少なからずショックだった。

自分の師匠、彼女が知る限り最強の魔法師。彼が吐露する老いというものが。

だからマルグリッテはその言葉から目を逸らすために、他の材料を探した。

「……新しい弟子を取ったといっていたではないですか。彼はどうしたのです?」

引退した彼を訪ねた際、紹介された少年が居たはずだ。

それに対してアッシェは、痛いところを突かれたとでも言いたげに苦渋の表情を浮かべた。

「……もっていかれました」

「人質ですか? 攫われた?」

「ああ、いえ、そうではなく……なんというか、美人で腕が立つ魔法騎士が居まして」

「……まさか」

「情けない限りですが、まぁ。確かに容貌は絶世の美女そのものでしたから、若い彼にはひとたまりも無かったのでしょう」

「なんというか……」

正直力が抜けかけた。けれど思い直して鍔迫り合いに力を籠めなおす。

「それでその人は、今どこに?」

「三年前、魔法騎士隊と行動を共にするといって……その直後、死亡したと聴きました」

三年前と言えば、内乱が始まったばかりの時期だ。いつから弟子に対する調略が始まっていたのか知らないが、それでは翻意を説得するような時間もなかっただろう。

「……では師匠は今、あの村のために戦っているのですね」

「ええそうです。私が戦わなければ、私を監視している反乱兵帝国兵が即座に[通信]を放つでしょう。村を襲うための兵士たちに」

彼の剣から伝わる握力が増した気がした。

「ですから私は、村を焼かれないために、彼ら帝国兵から受けた『魔法部隊の掩護』という指示を護らなければならない」

「私と師匠二人がかりでなら、即座に殲滅できるでしょう、それに……っ!」

「……確かにできるかもしれないし、彼らが誠実であるとは思っていません。ですが、それでも私は……」

情けないことですがね、と先代は苦々しく呟いた。

「そういうわけなので私は、少なくとも戦って見せる必要があります」

「っ!」

目の前で生じる魔力オドとマナの揺らぎ。それを感じ取った瞬間私は鍔迫り合いから剣を引き抜き後ろに下がる。

先代の剣に纏わりついた魔力は炎へと姿を変える。火属性の[付与]が与えられた武具は鋼鉄の鎧でさえ溶断する。噛みあったままでは私の剣もあっさりと焼き斬られていただろう。

マルグリッテも剣に炎を纏わせ、振るわれる炎剣を受け止めた。それぞれの剣が纏う魔法が対する魔法と干渉し、散らしていく。だからこそ打ち合うことができている。

その速度は身体強化を施した熟練魔法師のそれであった。けれど先代師匠のそれとすれば、鋭さが全くなかった。

マルグリッテは気づく。さきほど先代が『居てくれて助かった』と言ったのは、おそらく心からの本心だと。

もし先代〝紅蓮〟が王国兵部隊に突入すれば、それを壊乱させるに十分だ。まともな指揮官が居るなら後退を成功させるだろうが、それでも足止めのための犠牲が前提だ。

王国兵同国人を殺したくない、おそらくそれも先代の本心だ。だからこそ、監視に十分に戦闘をしていても死なないマルグリッテが居たことに安堵したのだろう。


けれど―――それは先代の都合だ。


マルグリッテは決めてきた。

自分のために。娘のために。

兄弟姉妹や祖母のために。

そして何よりサンドウィン領私を育てた土地の領民のために。

一刻も早くこの内乱を収めると決めてきた。

こうしている間にも、大切な民たちが望んでも居ない無意味な死を迎えていく。その惨劇を止めるために。

そうたとえ、見知った者が立ち塞がったとしても。

人が死に行くのを止めるために、自らの手で殺すことを覚悟してここにいる。

ならば―――


マルグリッテは側面から迫る剣に対し、迎えるように剣を振るった。刃と刃が真正面からぶつかり合う、その寸前、掛けていた[付加]を解く。その瞬間溶けていくマナ、それを再度オドによって制御をかける。再掌握、再構成。足りない制御は補助言語を用いる。発動。

「〈爆朧鳴バ=ルナ〉!」

「ぐっ!?」

マルグリッテの剣の上で炎の爆発が起こる。撒き散らされる炎と閃光と衝撃は、迫る剣と先代へ叩きつけられる。再利用によりマナの揺らぎを感知できず、予期できなかった衝撃に先代は呻く。

その隙にマルグリッテは蹴りを放ち、反動を利用して後退。先代は腕で防いだが、もともとダメージは期待していない。むしろ足場としてしっかり支えて好都合。

そして衝撃で態勢を崩した先代に対してマルグリッテは手を緩めず畳みかける。

「〈火熔咆ラヴァ・ハウル〉」

焼き尽くさんと飛翔する柱のような[炎槍]。彼我の距離は三メートルもない。発動の二秒後には着弾する。

それを小さな炎の盾を作り上げ、防いでのけるのが先代〝紅蓮〟。その構成と発動速度のみならず、マルグリッテの狙いを彼女の目線だけで看破し対応してのけた。その練度には戦慄を禁じ得ない。

だがマルグリッテは決めている。畳みかけると。

「〈七辣熔咆ナナ・ハウレス〉!」

連続発動。先代が防いだのを見てから構成したのではない。先代が防ぎきることを確信していたかのように、彼女は七条の[炎槍]を放つ。

だがそれは先代そのものを目指さず、彼の周囲の地面に突き立った。着弾と同時に熱波が撒き散らされる。高熱が立ち込め、噴き上げられた土砂が視界を覆う。

その時には最後の魔法の発動が終わっている。〈舞振演法ヴィヘヴィア〉によって筋力・瞬発力ともに強化された脚は、私の身体を前へと押し出す。その加速は一瞬で終った。私は駆け抜けながら、その最高速度を乗せて先代が居た場所を剣で薙いだ。

通り過ぎた私は反転し、先代が居た場所へ向けて剣を構えなおした。

「ぐぅっ……」

煙が晴れれば、先代は血が流れる左腕を右手で押さえていた。食いしばった口の隙間から苦鳴が漏れ、表情は歪んでいる。

マルグリッテの剣は先代の左腕を深く斬り裂き、彼の剣を落とさせていた。

しかし腕ごと胴を薙ぐはずだった一撃がその程度で済んだのは、先代が火属性の[付与]を間に合わせたからだ。炎剣で胴体を庇い、マルグリッテの剣先を斬り飛ばしたからこそ、彼は未だに立って居られている。

もしも先代の[付与]が間に合わなかったら、あるいはマルグリッテが[付与]する余裕があったのならば―――剣は先代の胴を腕ごと両断し、その臓物は草原の栄養となっていただろう。

「っ……。最後は〈紅蓮〉が来るかと思いましたが……外しました」

「貴方は魔法を消す何かを持っている。なら、消せない剣の方が確実でしょうから」

だからマルグリッテは剣を選んだ。彼女の殺意を完遂するために。

先代は腕を斬られた激痛に苛まれ、腕からは血液が止めどなく流れ出ている。指先の感覚もあるかどうか。

「それでも……!」

先代は戦意を保っていた。遠のく意識に噛みつき、マルグリッテを睨みつけて己を鼓舞する。感覚も怪しい指先に、魔力を集めて魔法発動を用意する。

彼は戦おうとしていた。自らの目的のために。彼の村とその村民を護るために。

けれど。

「もう、終わりです」

もはやマルグリッテには、彼と戦う理由は存在しなかった。

「先ほど土煙を上げて視界を奪った目的は二つ。一つは私の攻撃のため、そしてもう一つは……」

「……!」

マルグリッテの言葉と態度を理解した先代はマルグリッテの視線を追った。自分の背後、そこに在るのは―――

「魔法部隊が……っ!」

王国騎兵による反乱軍後衛に対する騎馬突撃の光景。

その先頭には複数の貴族家の家紋とともに、リモニウム伯爵家の旗が翻っていた。

王国軍と合流したリモニウム魔法騎兵が成功させた突撃だった。既に反乱軍騎兵は壊滅させられており、騎兵部隊の戦力も増援により十分。彼らの衝撃力を阻むものはもはや何もなかった。

「おそらく左翼も成功している頃合でしょう。ならば……」

マルグリッテは反乱軍の後方を見やる。小高い丘となっているその場所からは、敵軍を飛び越してその様子を見ることができた。

「やはり。後方から離脱しつつ一団がありますね。おそらく、義勇兵帝国兵の一団でしょう」

「そうですか……ならその一団が……」

離脱するまで、と続けようとした先代の言葉をマルグリッテは遮る。

「その必要はありません。彼らにを許すつもりなど、我々にはないのですから」

先代の懸念はマルグリッテや、他の王国貴族連合軍の指揮官のそれと同じものだ。戦場から離脱し、逃亡兵と化した傭兵たちが野盗と化す。そもそもそれが義勇兵帝国兵であって、組織化されて略奪や破壊行為を行うのであれば、サンドウィン領に深刻な被害が予想される。

そのために必要な手は打った。領内の要衝に送った騎士たちは勿論、それ以外にも重要な手を。


小川を越え、リモニウム領の内部の方向へと戦場を離脱しようとする反乱軍。

だがその両脇の森から飛び出し、彼らに襲い掛かる集団があった。


彼らは金属鎧を纏った騎士ではない。傭兵団のような揃いの服装もしていない。であるのに彼らは傭兵団のように連携し、騎士たちを圧倒している。

不揃いな服装や防具―――しかし共通するものがあった。銀や銅、ときどき金と色合いは三種類あるが、みな同じ意匠の『羽筆』の徽章を付けている。

王国では子どもでも知っているだろう。その金属に彫られた羽筆が、大鷲オオワシのものであることを。

「彼らは―――」

「ええ。探索者イグルスです」


百二十年前、〝賢王〟によって設立された王族直営組織を前身とする【探索者組合】。未開拓領域の探索と加害動物モンスター討伐を主として行う半公的機関。

そこに属し、実働を担う者達―――それが【探索者イグルス】。

なるほど、彼らならば魔獣棲息域を突破することも可能だ。加害動物モンスター討伐で鍛えたその腕前ならば、騎士たちとも渡り合える。

だが彼らがここに居るには1つの大きな問題があることを、かつて探索者として活動した先代〝紅蓮〟アッシェ・ゼトランスは知っていた。

「組合条項はどうしたんだ……『徴用の禁止』『戦場への不介入』は?」

かつて〝賢王〟は探索者組合の前身組織を作る際、貴族の干渉や支配を遮るためにその存在を王国憲章にまで追加した。その権利を護るため、自らを律する〝制限〟も同時に掲げた。

だからこそ先代は、領内の探索者への助力を乞わなかった。

「確かにそれらは組合の持つ基本原則ですが……まず、あの場所は戦場ではありません。通例通り開戦前に行われた会談で戦闘場所と戦闘開始時刻について取り決めがなされましたが……その際にきちんと記録してあります。小川を越えたあの場所は戦場ではありません」

その言い様に先代は口元を緩めた。会談の中で相手サンドウィン側から明確な否定の言質を引き出し、記録にまで残したのだろう。

マルグリッテは続ける。

「それに彼らが受けた依頼は『王国軍の援護』でもなければ『戦場への介入』でもありません。『誘拐・傷害・窃盗・殺人・婦女暴行容疑者の逮捕』もしくは『不法入国者の取締』。依頼者は、実際にサンドウィン領で被害に遭った者」

ちなみにマルグリッテとその娘リリアーナは『誘拐未遂・傷害の被害者』であり、当然その加害者は『不法入国者』である疑いがかけられている。

「そもそもその条文は『探索者の強制徴用』を禁止するためのものです。『故に一切の問題なし』―――それが組合理事とその法務団のお墨付きです」

「……王都公爵家当主でもある理事かね?」

先代は今度こそはっきりと笑みを浮かべた。ハッキリとコネを使ったと言いながら、やや強引ではあるもの依頼の正当性を証明した弟子を称賛するために。それは決して、自分ではできなかったことだから。

「……ですから、師匠。もう問題はないですよね?」

マルグリッテはそう訊ねる。手には相変わらず剣を持ち、さざめくオドは即座に魔法を発動させうるだろう。彼女は一切の油断をせず、先代師匠を見つめながら答えを待った。

既に敵魔法部隊は壊乱。司令部も離脱を試みて、そこを探索者によって捕縛されている状況だ。これ以上義勇軍帝国兵のために戦って見せたとて、それを発信する者もいない。

もはやこの戦場で戦う意味はない。マルグリッテはそう考えた。

そして先代もまた、同じ結論に至った。

だからマルグリッテの赤い瞳を見返しながら答える。

「……お願いがある」

「聴きましょう」

間髪入れずに頷くマルグリッテ。

「私の村に、兵を向かわせてほしい。少しでも速い方がいい」

「解りました、先発をリモニウム家から向かわせます。衛生兵もつけましょう」

マルグリッテはこの後も戦闘の後始末があるため、即座にこの戦場を離れることができない。だからリモニウム家の魔法騎馬隊を向かわせると言ったのだが、それは彼女の貴重な手札だった。切り札と言ってもいい。

それでも彼女は即座に頷いた。

先代は嗤った。マルグリッテの素直さを、ではない。不甲斐ない自分を、だ。

「お願いはそれだけだ。哀れな師匠から、優秀な弟子に頼むべきことはそれだけだ。あとはすべて……私の悔恨だけだよ」

「……」

その言葉をマルグリッテは完全には理解できない。けれどどこか嫌な感覚を覚えたのだろう。それを問い詰めるために、言葉を紡ごうとする。

けれどそれは妨げられた。突然の乱入者によって、あったかもしれない可能性は永遠に失われた。

「リモニウム夫人殿、助太刀いたそう!」

そう叫んだのは、マルグリッテと先代が対峙する丘へと騎兵を率いて駆けてきた騎士。騎士というにはその体躯は肥え、彼の武具は華美な装飾に覆われている。

「ジムゾグ子爵!? なにを――」

「そこな賊よ、直れ!私がそっ首撥ねてくれるわ!」

彼はマルグリッテに声を掛けながらも、一切彼女の反応に頓着せず、宝石が付いた剣を先代へと向けた。

その光景は、戦場ではありふれた手柄争いのひとつだった。とはいえ、最も醜悪な部類であることは間違いないが。

ジムゾグ子爵肥えた豚の目的は、手柄首。無力化された先代〝紅蓮〟を殺し、その手柄を掠め取ること。マルグリッテの言い訳は、捕縛後に逆襲を企てていたため、と押し切ることも完全に不可能ではないだろう。

たとえ最終的に糾弾される立場に陥ったとしても、誤解だったと謝罪すれば、最悪の事態にはならない。魔導士先代〝紅蓮〟の手柄首の価値と比べれば、リターンが大きくリスクの小さい、比較的悪くない手段だった。

そしてとてもよい手段であった。そう、先代にとって、とても都合のよい。

「すまないな、我が弟子マルグリッテよ。……だ」

その言葉はマルグリッテの耳に届いた。

けれどそれを理解したマルグリッテが動くよりも、ジムゾグ子爵の剣が先代に届くよりも、その魔法が発動する方が早かった。

確かに先代はマルグリッテとの戦闘で疲弊し、左腕に深手を受け剣を落としている。その顔色も悪い。

だが彼は先代〝紅蓮〟。魔力残量がいくら乏しかろうとも、その魔力親和性と制御能力は、一般の魔法兵とは比べ物にならない。

「〈炎嘯瀑カスカタフォーコ〉」

たった一言添えられた補助言語によって、放たれた魔力は、その周囲全てへ襲い掛かる炎の津波と化した。その重傷から油断していたジムゾグ子爵とその配下の兵全て、呑み込まれれば全て骨までも灰となっただろう。

「っ、〈火熔咆ラヴァ・ハウル〉!」

マルグリッテが咄嗟に魔法を放ち、彼らを庇わなければ。

周囲一帯を焼き尽くす炎の瀑布は、マルグリッテが応じるように放った一条の炎によって掻き分けられる。

それでも掻き消せなかった炎が彼女たちを覆う。ジムゾグ子爵やその配下の兵たちは手足を焼かれる。マルグリッテ自身は深い火傷を負うほどではないが、その熱波と爆炎によって視界を奪われた。

そう、全ての注意が、先代〝紅蓮〟から強制的に外された。

視界を塞ぎ、攻撃によって足止めする。それは彼女が先代に対して先ほど行ったことと全く同じだ。

その数瞬こそが、決定的。


爆炎が晴れ、視界が戻る。しかし先ほどまであった先代の姿は、その場にはなかった。

そして彼らは気づく。煙は晴れたのに、光が差さないことに。自分たちに影が落ちていることに。見上げればそう、巨大な翼膜が彼女を太陽の光から隠していた。

彼らは理解する。自分たちが今、何者の陰の下にいるのかを。

長い首と胴体を持ち、その名の由来ともなっている巨大な翼膜を空に広げる巨体。頭部から尾までは4メートルほどの大きさで、その体躯全てを覆う鱗。

翼膜を備えた両腕はよって太く発達している。それ以上に太い後脚は金属鎧さえ貫く鋭く巨大な鉤爪を備えている。


―――翼竜ワイバーン


魔法ブレスこそ吐かないものの、人属ヒトが行使する身体強化と同様の魔法を行使することができる。それによって得た筋力で飛翔が可能。

亜竜ディノシアの中で唯一空を飛ぶことが可能で、遭遇可能性を鑑みて最悪とも呼ばれる加害動物モンスター

それが今、マルグリッテたちの頭上に在った。


とはいえ今目の前の状況を見れば、理解は容易かった。包囲していたマルグリッテ達を尻目に、翼竜は先代アッシェを背に乗せ上昇していく。

あの翼竜は先代によって使役されており、その目的はこの戦場からの離脱であると。

「……っ、撃て!撃ち落とせ!」

マルグリッテは咆えた。我に返った周囲のジムゾグ子爵の兵たちが、それぞれの攻撃手段を取る。だが彼らが放ったそのほとんどは用をなさなかった。

剣や槍は言わずもがな、投槍や弓は届かず、仮に当たったとしても鱗を貫くほどの速度と威力がない。そして数少ない有効打となりえる魔法も、その場においては無意味だった。

翼膜さえ破けば、亜竜である翼竜は飛べない。しかしその翼竜がそれを理解しているかのように魔法を躱し、避けきれない場合は身体で翼膜を庇った。炎の魔法は鱗を吹き飛ばす、が一撃で彼を地に墜とすには威力不足だ。

しかしそれで十分。回避、或いは庇うことで翼竜は体勢を崩し、それ以上の回避はもはやできない。あとは頑強な鱗の守護を突破できるほどの威力で攻撃すればいい。

それができるのは魔法兵小隊規模の合同魔法級―――であるが、その威力を為せる個人がその場には居た。

「〈七辣熔咆ナナ・ハウレス〉!」

そう、マルグリッテ・リモニウムは詠唱した。

十分な距離、必中の機会、過剰な投射火力密度。

人一人呑み込むには十分な炎が七本迸る。疲弊したマルグリッテが最後とばかりに注ぎ込んだ膨大な魔力によって強化されたそれぞれは、翼竜の鱗を焼き貫くには十分な威力をもって放たれた。


しかしその七条の炎、全てが掻き消えた。


防がれたのではなく、打ち消されたのでもなく―――魔法は制御を失い、その内包した魔力を霧散させ掻き消えた。

「くっ……」

マルグリッテは悟る。

先ほどの戦闘中、先代が〝魔法を消す〟術を使わなかった理由を。使役していた翼竜を戦闘に参加させなかった理由を。

先代はこの瞬間を、戦場から離脱する方法を考えていた。だからこそ秘術も、翼竜も隠していた。

そしてその切り札全てを投入したこの全力の逃亡。気づけなかった時点で、彼を止めることは誰にもできなかった。



§


―――かくして、サンドウィン領境界における野戦にて王国貴族連合軍は勝利を収めた。サンドウィン側は主力を撃破され一貴族領を統治する能力を喪失。サンドウィン伯爵家四男の身柄も確保され、サンドウィン領の封鎖は実質解かれた。

更に探索者イグルスの協力もあり、各市街村落の治安維持も比較的良好に推移―――多少の死傷者や十数件に上る事件事故が発生したが、逃亡兵も抑え込めたといっていい。

かくして反乱軍は撃破され、王国暦998年から1,001年まで、約4年にも及んだサンドウィン領の反乱は鎮圧された。

ただし関連貴族の処罰や褒賞の調整で手間取り、王国によって正式な終結宣言が出されたのは、新年1,002年を迎えてのことだった。


マルグリッテ・リモニウムは反乱軍主力を撃破した野戦において、新魔法を用いる敵魔法部隊への一番槍を果たしたこと、敵軍にいた大魔導士先代〝紅蓮〟を足止めしたこと、そしてジムゾグ子爵らの命を救ったこと等が評価された。

この功績もあって、サンドウィン家の血縁者で、今回の反乱と無関係とみなされた者たちが連座処分を受けることはなかった。


なお、翼竜によって戦場を離脱した先代〝紅蓮〟アッシェ・ゼトランスであるが……

聴取を含む調査の結果、その後彼は翼竜によって彼の住居があった村落〝ゼトランス〟へと向かったことが判明。村民の証言によれば、彼は到着次第、駐留していた反乱軍帝国兵10名を皆殺しにしたという。

更にその連絡を受けて村に接近した、魔法兵を含む反乱軍帝国兵70名規模と戦闘、これを撃破。なおこの後到着した王国騎士が翼竜の死骸を確認しており、この戦闘で翼竜は戦死したとみられている。

なお、王国騎士はアッシェ・ゼトランス本人もしくはその遺体を見つけることはできなかった。住人たちもその行方を知らず、彼の指示に従って避難していたら、いつの間にか居なくなっていたと口を揃える。


その後の調査にも関わらずアッシェの行方は杳として知れず、遺体も見つかることはなかった。最終的に、公式にはアッシェ・ゼトランスは死亡したと見做された。

なお罰則についてだが、反乱の咎がサンドウィン家に集中したことで、参戦したアッシェへの処罰は与えられた男爵位の剥奪のみとされた。(死亡したと見做されて後継者もいないので断絶となるのは当然のことであり、実情は赦免に等しい。)


これ以降、ゼトランスの名は村の名として残されるのみであった。元々平民であったアッシェに与えられた貴族としての新興の家名であり、他に名乗る縁者もいない。それから8年の間、〝ゼトランス〟の名が王国の公式文章に載ることはなかった。


(サンドウィン内乱、終了)


=======================

【添え書き】

作中世界をざっくりと紹介するための外伝計5話でした。

一番伝えたかったことは、『魔法』。

次いで『龍言教』『竜と龍ドラゴニア』『亜竜ディノシア』。

あとは世界設定フレーバーとしての『探索者イグルス』『大魔帝国』『王国』『帝国』。

こんな世界観だってことがひとまずぼんやりでも伝えられていれば幸いです。


次回から主人公(触手)に戻ります。

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