1本目 まもりがみさま(修正)
〝私〟は、私の
私の手は
そのことに
それこそが、最大の
私は自分の手が
ならば、私の手はどんな形であるのが
それが解らない。動揺を感じる原因が解らない。
そのどうしようもない違和感に、私は身動き一つ出来なくなっていた。
そのまま放置されていたら、私が動き出すまでどれだけ時間がかかっていたか解らない。だから私は、このとき声をかけてくれた彼女に深い感謝をしている。
「―――アラオザル大森林の守り神様!」
幼女のすぐ横で、両膝と両の掌を地面に押し付けた若い女性。
「悪漢に襲われていた私たちをお救い頂けたことは深く感謝いたします!しかしどうか、更なるご寛恕を!私の娘は4歳です!私の、このマルグリッテの命で、どうか御怒りを御鎮め下さい!」
私はマルグリッテの
どうやらここは、
だがその周囲は、ひどく荒れていた。無数の木片や土塊が散らばり、その近くにはたくさんの人間だったものの欠片が散らばっている。
それは切り飛ばされた手足であったり潰された頭や胴で有ったり―――少なくとも
マルグリッテの
まったくもって覚えていないが、そうなのだろう。
―――では、この
する理由はない。そもそも覚えていない。少なくともこの少女
それを
けれど、伝える術が私にはなかった。
目の前の人間のように、
そして、
が、
だから私は、
少女に纏わりついていた緑色の
脛に、足首に、二の腕に―――彼女から外した触手は、何故だか冷たさを感じていた。
その冷たさに、私は理解した。私は少女を離したくなかったのだと。
それが何故かは、相変わらず解らない。
けれどもう、触れることはできない。
全ての触手が離れて、マルグリッテが心底安堵した表情を見せたからだ。
できれば伝えたかった。
もともと傷つけるつもりも、怖がらせるつもりもなかったことを。
けれど、その術がない。声がない。奇妙な唸り声が小さく漏れただけだった。
だから私はその場を去ることにした。
最後に、少女の瞳をじっと見つめた。
その瞳は、綺麗に澄み切った碧だった。
ここまでだ。
私は母娘
幸いに違和感だらけのこの身体は、私の意思に従ってくれるようだった。
§
去りゆく悍ましく巨大な【
これでも私はそれなりの魔法騎士だ。様々なモンスターも狩った。雑兵の十や二十なら薙ぎ払える。だから襲撃者から娘を護るため、娘と2人だけで街道を抜けようとしていた。
実際追手の二十かそこらの魔法騎士を相手にしていたが、問題なく振り切れるはずだった。
―――けれど、〝あれ〟はダメだ
木々を突き破って街道に飛び出した〝あれ〟―――巨大な
咄嗟に数人の騎士が炎の魔法を放ったが、しかし緑の肌に焦げ目さえ残さなかった。
唖然とした騎士、立ち竦んだ騎士、或いは逃げようとした騎士―――しかし触手は、その全てを等しく扱った。
魔力を滾らせた瞬間に、既に行使は始まっていた。
大地が波打ち、裂けた。割れた岩石が牙と化し、その上に立つ騎士たちを穿つ。おそらく高位の土魔法、それが直線状に放たれた後には、騎士だったものが地に飲み込まれるように散らばるだけだった。
その瞬間、逃走は無意味だと悟った。一切の詠唱も溜めもなしに放たれる、防御不能な数百メートルの破壊。背負った娘ごと殺されるのがオチだと。
だから私は、せめて娘の命と純潔を護ろうとした。
そして稀に魔獣にみられる知性に期待して、私は宗教の拝礼に用いられる最上位の座礼を敢行した。魔獣が礼儀を解するかは別として、請願として騒ぎ立てれば自分が先に標的になるだろうと。
〝あれ〟が真っ先に娘へと触手を伸ばした時は、自制するので必死だったが。
「リリアーナ!」
完全に気配が消えたあと、私は傍に立つ娘の名を呼んだ。
あの触手が体に触れたときも、娘は何も喋らなかった。娘が我慢したからこそ、私も耐えられた。わずかな身じろぎだけで抑えた娘を、私は思いっきり抱きしめた。
最近言葉が増えてきた娘が、この段になっても何も言わない。泣きもしない。
「大丈夫よ、もう大丈夫、だから……」
恐怖のあまり声を失ってしまったのか。まさか精神が壊れてしまったのではないか。不安になりながら、マルグリッテは娘をかき抱いた。
しかしそんな彼女に最初に聞こえた娘の声は、嗚咽でも恐怖でもなかった。
「―――こはくが、きれいだった」
「……え?」
思わず、といったようにマルグリッテは声を漏らした。
それを相槌と受け取ったのか、娘は続けた。
「みどりは……ちょっとびっくりした」
マルグリッテは抱きしめていた娘を放し、その瞳を覗き込んだ。
ひとまず声をなくしたわけではないようだが、自分をまさぐっていた触手に対する恐怖があるのではないか。
「痛いところとかは、ない?」
「ぶよぶよしてた。あったかい、ような、つめたいような、ふしぎだった」
娘は答えた。マルグリッテは少し、悩んだ。
娘の口数が、家で見せていた、言葉を覚えたての年頃のものに戻ってきているように感じた。
質問を止めてしまったマルグリッテに、逆に娘は質問した。
「あれが、まもりがみさま?」
それに対してマルグリッテは即座に答えを返せなかった。
ここアラオザル大森林は、外縁だけで数百キロに及ぶ広大な森林だ。連峰のような険阻な森にそこに巣食う多種多様なモンスター、これらによって深層の開拓は手付かずといっていい。この国土に残る数少ない未踏破領域の1つ。
だから、何が居てもおかしくはない。けれど過去に幾度か調査隊が踏み入れ、ごく浅い外縁では街道や伐採所まである。にもかかわらず、〝アラオザル大森林の守り神〟という存在は耳にしたことがなかった。
だからあれは守り神などではなく巨大で特異なモンスターであると、冷静な自分が言う。けれど注意を引くためためとはいえ、私はあれを〝守り神〟と呼んだ。そして思惑は解らないが、いかなる対価も取らずに去っていった。
いかに醜悪であろうとも女性の敵ともいうべき触手であろうとも、あれをモンスターと言い捨てることは、今のマルグリッテにはできなかった。
「まもりがみさまは、みどりで、ぶよぶよしてて、こはくいろ?」
「……ええ。きっと、そう」
だからマルグリッテは頷いた。実態はともかく、一度は神と呼んだ存在をモンスターと吐き捨てる親の姿を見せたくはなかったから。
けれど、あの触手の姿は忘れてほしかった。やがてその性質を知識として知るにしても―――あの緑の触手の塊の姿は、記憶を遡ってトラウマになるかもしれない。
だから4歳という幼さに望みを託して彼女は呟いた。
「でもね、緑は忘れていいわ。琥珀色だけ覚えて起きなさい」
「……ん。わかった」
律儀に頷く娘を、マルグリッテは背負った。
〝守り神〟は去ったとはいえここはアラオザル大森林。いつモンスターが出るとも限らない。そして何より国内は内戦の火種がくすぶる状態、いつ再び追手がくるかもわからない。
娘を背負い、周囲を警戒するマルグリッテ。
或いは、〝守り神〟に対して最上位の座礼を取っていたマルグリッテ。
彼女は、娘との微妙な食い違いに気づいていなかった。
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【添え書き】
(2017/12/22)修正
〝私〟が地の文である場合、いくつかの単語や表現を使用しないよう制限を掛けています。『感情表現』『慣用句』、あといくつかの単語がそれにあたります。
ただそれだと面妖な表現になってしまっていたため、修正を入れました。
排除しきれない単語に対して、ルビを振ることで対応しています。
ex.) 【
ルビが〝制限を掛けた表現〟です。
(2017/12/25)修正
触手を持つ魔獣の種族名【
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