どんぶりコロコロどんぶりこ

山本 ヨウジ

第1話 おとうさんにしかられた

 彼女は亜美ちゃん。かけっこが大好きな小学3年生の女の子です。

 亜美ちゃんは、今まで一度もお父さんに叱られたことがありません。

 亜美ちゃんが、どんなイタズラをしてもお父さんはいつもニコニコ笑っています。


「たまにはちゃんと叱ってくださいな」


 お母さんがお願いしても――


「いいじゃないか元気なんだから」と笑っています。


 実は、お父さんが亜美ちゃんを叱らないのには理由がありました。

 それは亜美ちゃんが産まれた時の事です。

 亜美ちゃんはとっても小さな赤ちゃんでした。

 お医者さんは、お父さんに申し訳なさそうに言いました。


「もしかしたら大きく元気な子には育たないかもしれません」


 お父さんは、がんばって亜美ちゃんを産んでくれたお母さんにそんな報告はできません。


「ありがとうお母さん。真っ赤なホッペの天使のように可愛い女の子を授かったよ」


 お父さんは、お母さんの手を優しく握って言いました。

 その時お父さんは心の中で神様にお願いをしたのです。


「この子を元気にしてください……願いを叶えてもらえたなら、僕はこの子を絶対に叱りません。絶対に守ります」


 お父さんは、あの時の亜美ちゃんを思い出すと、ちょっとだけ切なくなります。

 だから、今の元気な亜美ちゃんを見ていると嬉しくてたまりません。

 神様に感謝の気持ちでいっぱいになるのです。


 ある日の事です。

 亜美ちゃんが学校から帰ってみると、お父さんの横でお母さんが泣いていました。


「どうしたの? お母さん……お父さん」


 お父さんは、亜美ちゃんの手を取ると優しく引き寄せました。

 そして高く抱き上げたのです。


「亜美ちゃん……お父さんね……ガンって病気になっちゃったんだよ」


 亜美ちゃんはガンという病気を知っていました。

 大好きだった、おばあちゃんがいなくなったのはガンのせいだったからです。


「病気は……治るんでしょ?」


 亜美ちゃんの小さな胸は苦しくて張り裂けそうです。


「胸やお腹とか体中にいっぱい……ガンができちゃって……もう治らないんだ」


「お父さんも、おばあちゃんの所に逝っちゃうの?」


 亜美ちゃんの瞳から涙があふれました。


「運動会や入学式。そして亜美ちゃんが嫁ぐ日の姿を、もっと……もっといっぱい見たかった……でも、できなくなっちゃったんだ」


 お父さんの瞳からも涙があふれました。


 亜美ちゃんは、お父さんに強くしがみつき声を出して泣きました。


「お父さんいなくなっても、亜美ちゃんならお母さんを助けてあげられるよね?」


「嫌だ……アミちゃんもお父さんと一緒に逝く……絶対に離れない……」


《パチッ》小さな音が部屋に流れました。


 それは、お父さんが亜美ちゃんのホッペを軽く優しく、でも初めて叩いた音でした。

 亜美ちゃんは、お父さんがいなくなってしまうと思うと、寂しくて悲しくて、ついお父さんを困らせる事を言ってしまったのです。

 亜美ちゃんはビックリしてお父さんを見上げました。

 お父さんは亜美ちゃんを叩いた掌をギュッと握りしめると、悲しそうな目で亜美ちゃんを見つめています。


「亜美ちゃんは、お父さんの宝物だけど、お母さんにも大切な宝物なんだよ。その亜美ちゃんまでいなくなってしまったら、お母さんはどんなに悲しむだろう。空の上からお母さんが泣いている姿を二人で見続けるの……そんなの悲しくてできないよね」


 亜美ちゃんは小さくうなずきました。


「お父さんは、亜美ちゃんと、お母さんが笑っている姿を眺めている時が一番幸せなんだ」


 亜美ちゃんは、少しだけ赤く温かくなったホッペを手で押さえました。

 そしてお父さんの胸の中でいつまでも、いつまでも泣き続けました。


 一つの季節が過ぎました。


「お母さん! いってきまーす」


 今日から四年生になる亜美ちゃんがランドセルを背負って、お家の玄関から飛び出してきました。

 まだちょっぴり寂しそうです。


「亜美ちゃん。お父さんに『行ってきます』は言ったの?」


 お母さんが玄関まで追いかけてきました。


「あっ。忘れていた」


 家の中にかけ戻ると、お父さんが眠っている【お仏壇】の前に立ちました。

 そして、パチッてホッペを軽く叩くと手を頬に添えてお祈りをしました。

 亜美ちゃんは泣きたい時、寂しい時、ホッペを軽く叩いて元気を取り戻します。

お父さんの温もりがてのひらから伝わってくるからです。


「いってきます。お父さん」


(いってらっしゃい。亜美ちゃん)


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