4-8 負けるつもりはない


 負けるつもりはない。もちろん、万にひとつの勝算もなかったが。

『魔法少女彼刀かたなたゆゆきちゃん』はおれを標的とした。Qもボルバも魔法を使えないし、使えても危険を冒してまでおれに肩入れすることはないだろう。ロードシップにはさらにおれを助ける義理がなく、女医も同様だ。そもそも女医には戦闘能力と呼べるものじたいがないが。

 おれはなんでそこまでして、やつを挑発したか。

 理由はかんたんだった。

 これは挑発でもなんでもないのだ。

 やつはその場に落ちていたアサルトライフルを拾うと、物質変換魔法で杖へと変化させ、かまえた。どうやら集中力を高めるのか、あるとないとでは魔法の効果にちがいがあるようだ。

「阿井さん」

 やつがつぶやくと、杖の先端が輝いた。衝撃がおれの真横を駆けぬけ、背後の壁を穿つ音が響いてきた。

 あいかわらずの威嚇だ。勝負になると思われていない。

「ぼくはなにも思いあがってるわけじゃない。いまのあなたがそうであるように、ぼくだって護るために戦ってる。平穏な日々とか、そういったものを」

 おれは静かに間合いを測りながら、あいつが話すことの意味を考えていた。

「そこの男のひとも言っていたよ。自由とはなにか。どうやったら救われることになるのか。ぼくも同感だ」

「そりゃそうだろ」

 ――ボルバとおまえは同類だ。

 おれが考える平穏さなど、しょせん刹那的で近視眼な現状維持だが、ボルバたちはちがう。現状をまったく平穏無事ととらえてなどいない。あたりまえだ。現にいま、苦しんでいるやつらがいるのだから。

 おれが考えないようにしていることだ。

 そもそも、おれが団にいたのは、まっとうな仕事では使うことのできない得意の魔法強化を活かし、糊口をしのぐためでしかない。

 極論、いつものスナックで飲む時間があればそれでいい――いや、それすらどうでもいいのかもしれない。胸の悪くなる想像だが、仮におれのしたことがめぐりめぐってあのスナックが消えてなくなりでもしたとしよう。そうして自業自得が原因で、おれのけちでささやかな日々が奪われる日が来るとしても、そうなったときにおれはおそらく考えるだろう。

 おれにはどうにもできなかった。事故みたいなものだ、なくなったって、おれが死ぬわけじゃない、とでも。

 そういう意味で、やはりおれは主人公にも極悪人にもなれないだろう。ただ、そのへんの脇役のまま思慮を欠いた選択をくりかえし、すこしずつ死んでいくだけだ。

 だが。


 そういう人間にしかくだせない判断があり、それで世界は回っている。


 おれは手にしていたアサルトライフルをだめもとで数発撃ちこんだが、やつに命中するどころか、弾丸が届きもしなかった。神前もこんな装備でよくこいつら全員を制圧できると思ったものだ。

 やつの杖が閃き、おれの手からライフルが落ちる。やや遅れて、空中に血がほとばしった。切断されたわけではないが、おれの下腕に広範囲に渡って深々と鋭利な切り傷が刻まれている。しばらく右腕は使いものにならなそうだ。

「あなたはそうじゃないとでも言うの。なにが救いになるのか、考えたこともないというの」

「考えることが、結論を出すことにつながらない人間もいるって話だ。おれは救いたいんじゃない。救われたいわけでもない。Qのやつがおれになにかの益をもたらすとも思えねえ」

 Qはただ、きょとんとおれたちの会話を眺めていた。見守るでもなく。なんの疑問もない瞳のままで。

「おれがいまおまえと戦う理由は、さっき言ったことでほんとうにぜんぶなんだよ」

 主義や主張や利害ではなく、ただ、気にくわない。

『Qがぼくたちの手に負えない』

 ほんとうにそれが気にくわないだけの、反骨心だ。おれだっていい歳なりの分別を持つべきかもしれないが、それをほかならぬおれに期待するほうがまちがっている。


「つまり、だ」


 ロードシップが口を挟む。

「おまえさんはあの小娘にぞっこんってことだ」

「わからん」

 それはほんとうにわからん。見透かしたようなロードシップが知ったふうに言ったところで、そうだったのか、という天啓に打たれた感覚などもない。おれがその可能性をいちども考えたことがないとでも思ったのか。

「わからんが、そこは重要じゃないんだろうよ」


「そんなことは重要ではない」

 師匠もおれを殺しそこねながら、たびたび言っていた。たいがいにしてほしいものだ。

「魔法使いにとって重要なことは、どんな魔法適正があるか、それだけじゃ。それを把握することで、身の丈をよく知り、あきらめたり挑んだりすることじゃ」

 あきらめのよさだけは人後に落ちないつもりだ、とおれは言った。

「じゃから才能がないと言っておる。ぬしはどこまでいっても、あたりまえのやつなのじゃ。あきらめるぶん、挑まんじゃろう。ふつうの人間は、必ずどちらかじゃ。あきらめるものは挑まぬし、挑むものはあきらめかたを学ばん。両方できるやつはなかなかおらん」

 なるほど、難しいな、とおれは苦笑しただけだった。

「かつて悪魔と契約したものたちとて、たいていは追いつめられてせっぱつまったところをつけこまれた産物じゃ。現在でこそ体系化されている魔法技術じゃが、大半はかつての魔人や魔女の手に入れた力の切れ端を活用しているだけのもので、擬似的な契約を呪文によって成立させておる。なるほど、身体負荷は減りはしたじゃろうよ。その代償に大幅な弱体化を余儀なくされたがな。

 ……それで、よかったのかもしれないけど」

 師匠は自嘲したようにみずからの身体を見おろし、おれはそれに対して、なにも言わなかった。

 より、ひとつ思いついたことがあったからだ。


 時間稼ぎの会話のつもりはなかったが、死角に隠した左手でこっそり陣を描いていたおれの魔法が、発動準備を完了した。

 師匠のことだから、おれの魔法循環を高めたときには忘れていただろう。いくつかの可能性。おれが、かつて師匠から盗んだ『おれに使えない魔法』を後生大事にとっておいた可能性を。

 これが発動すれば、おれはもうあともどりできまい。ここにいる連中とは、おそらく、さよならだ。

 上等だ。

 天使がいるなら、悪魔もいる。

 魔法少女にたちむかう力を得る方法があるとすれば、おれも同格の存在になるということだ。

 魔人に。

 あらゆる魔法に触れ、魔法循環を高めたことで器としての容積を高めたいまの状態なら、やる気も才能も乏しいおれでも、届くだろう。届かねば、ここで死ぬまでだ。

 おれはいま、それなりに感情的になっている。やれるはず。


 あばよ。


 そう念じて悪魔召喚を起動する瞬間、隠していたおれの左手首をつかむ、ちいさな手があった。

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