3-4 意識も感覚もずたずただ

 意識も感覚もずたずただ。現実認識と記憶の区別さえあいまいになっているので、アパートで倒れているはずのおれのなかでいま、墓場で師匠とかわした会話がリアルタイムのように再生されていた。

「わしには魔法……つか呪いをかけるまではできるが幽体ゆえ字は書けん。帰ったら呪符はぬしがちゃんとつくるんじゃぞ? 呪い損になる」

「わかった、わかったよ。まったく信用ない話だ」

 ふと気になって、おれは話題をそらすついでに訊ねた。

「ところで、魔法と呪いってけっきょくなにがちがうんだ」

「はあ」

 ふさふさの9尾を揺らしながらおれの身体の各所に術を施していた師匠は、そんなことも知らんのかとばかりに嘆息し、

「呪いはいわゆる魔法ということになっておるが、魔法がすべて呪いとはかぎらん。魔法の力は悪魔との契約。しかし一概に悪魔と呼ばれている連中も由来はばらばらで、土着のものもいれば本物の魔界や黄泉からおとなう輩もおる」

「ぜんぜん知らなかった」

「すこしはおのれの無学を恥じ入れ」

 師匠は鼻を鳴らすと、ひきつづき施術を行っていく。なにをされているのかまったくわからない。呪符とやらを使えばちがってくるのだろうか。

「待てよ……そうすると、天使もそうなのか。おれらが戦った天使は、第4位の階級を名乗ってたんだが」

「どうじゃろうな。天使の解釈とて、いろんな宗教で流布されるうちにぐっだぐだじゃぞ。そいつの階級が自称か他称か知らんが、長い神罰戦役を経てなお規模も実態もわからなんだ勢力のことなんか考えても始まるまいて」

「あいつもか?」

 おれはQを示した。レインコート姿の自称魔法少女は、あいかわらずしゃがんだままかたつむりの這う姿を眺めている。愉しいのか、それともひまだからしかたなくやっているのか、その表情からうかがい知ることはできなかった。

「あいつって?」

 そういえば言っていなかった。

「ここだけの話にしてほしいんだが、天使らしいんだよ」

「なわけねーじゃろ。ぬしゃあ、わしをなんじゃと思っちょる。幽霊の近くに天使なんか来られたら一瞬で退散してしまうわ」

 まじかよ。こんどロードシップも連れてきてみよう。

「なんかひどいこと考えとらん?」

「気のせいだ。しかしじゃあ、Qのあの羽は……」

「どの羽か知らんけどハーピィやらサイレンやら、翼人の獣魔なんぞ珍しくもない。そもそも魔法少女なんじゃろ? なんで天使が魔法を使うんじゃ」

 そこはおれもひっかかっていた。天使は光で雑駁に人類を裁いて捌くのが身上だ。やつらにとって人類は等しく審判の光に灼きつくされる運命なのだから、いちいちおもちゃみたいな矢でマジック・ミサイルを撃ったりすることはない。

「ほいよ、施術終了。呪符の書きかたはいまから口頭で教えるからちゃんと記憶しとくんじゃぞ」

 まさに、こういう手続こそが魔法だ。それによって人間の機微に沿っためんどうな被害と恩恵をもたらすのは、悪魔のやりかただ。

 それとも、そういうことも天使や悪魔の長い歴史のなかで、入り混じっていったのだろうか。

 あるいはやはり、Qが天使でも悪魔でもなく、ただの魔人にすぎないのか。だとしたら、なぜロードシップはかのじょを追ってきたのか。

「ねえ、きちんと聴いてる?」

「だんだん飽きてきて、様式美とやらが崩れてるのは聴こえてるよ」

「ぬしゃーっ」

 師匠の尖った耳が鬼の角のように映った。


「おはようだんいん」

 現実のような追憶から帰還したおれの額に、濡らして絞ったハンカチが載せられていた。Qなりに看病してくれていたらしい。

「どのくらい眠ってた」

「しばらく」

「よくわかってないってことだな」

 身を起こしたかったが、いま起きるとまた神経がびっくりしそうなので、もうしばらく横にさせてもらおうと思った。

 よくわかってないことだらけだ。

「お、どうした。てれるひひひ」

 おれがじっとQを見つめていたことに気づいて、かのじょは頬を両手でさすった。


『回収に来た。目が醒めたら天界だ』


 ロードシップは、たしかに言った。本来なら永遠にこの世のだれともなんでもない存在だ、とも。

 天界とやらがなにかの異称でないのなら、天使でもないあの小娘がどうして天界へ回収されなければならないのか、もっと真剣に考えたほうがいいかもしれない。

「おのれの無学を恥じ入れ、か」

 そのとおりかもなあ、と一瞬だけ殊勝な気分になったところに、ノックの音がこだました。

「わたしだ、阿井」

 よく聴き慣れた声だった。

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