悪魔のワイン

T_K

終わりはいつも静かに

「何かが足りない、何が、何が足りないんだ!」



男はワインを飲み干し、机に突っ伏していた。


机の上には幾多のグラスが並んでいる。



「味も香りも、十分満足出来るレベルにはなっているが、どこか決め手に欠ける」



部屋は豆電球1つの明かりのみで、かなり薄暗い。


その薄暗さが、男の悲壮感をより強めている様にも見える。


男がぼんやり、空のグラスを眺めていると、扉を軽くノックする音が聞こえた。



「あなた、今日はもうそれくらいにしたら?」


「あぁ、サラか。いや、もう少し、後少しなんだ」


「何日か寝かせたら突然変わったりするかもしれないわよ?」


「それも考えたんだが、恐らく、これ以上寝かせても、


一定のレベルを超えたりはしない。


やっぱり、俺が何か手を加えないといけないんだ」


「判ったわ。でも、もう少ししたら寝てね。身体壊す前に」


「判ってる。ありがとう、いつも迷惑掛けて」


「今に始まった事じゃないわよ。美味しいのが出来たら私にも飲ませてね」



サラはそう言い残すと、ワイン蔵を後にした。


ジャンにとって、サラからの暖かい言葉は、この上ない癒しであった。


しかし、それと同時に、ジャン自身も気付かないプレッシャーにもなっていた。


自分がなんとかしなければ、この先、いつまでまともな生活が出来るか分からない。



「もし、このワインもダメなら・・・。いや、考えるのはよそう」



来る日も来る日もワインと向き合い、試行錯誤を繰り返したが、


やはり思う様にはいかず、生活は苦しくなる一方であった。



ある日の晩、ジャンはワイン蔵の裏手にある倉庫の中にいた。


子供の時から、何か得体の知れない怖さがあり、あまり近付かないでいたのだが、


何か1つでも生活の足しになるものがあればと、この倉庫を訪れたのだ。


ランプを片手に、重い扉を押し開く。


年季の入った蝶番の軋む音が、辺りに響き渡った。


ランプをかざすと、思っていた以上に、中は整理されていた。


恐らく、生前、綺麗好きなジャンの父が片付けていたのだろう。


中に足を踏み入れると、長年放置されていた為、辺りには埃が舞った。


商売道具の鼻をやられるワケにはいかないと、


ジャンはハンカチを口と鼻に当てながら、倉庫の中を物色しはじめた。



しかし、これと言った収穫は皆無に等しかった。


お金に変えられそうなのは、祖母が着けていたと思しき、金のペンダントくらいだ。


それもかなり汚れている為、恐らくは磨かない限り、大した金にはならないだろう。


諦めて家に戻ろうかと思った矢先、ふと倉庫の奥に目がいった。


いや、目を無理やり向けさせられたと言った方が正しいだろう。


ジャンは何かに呼ばれた気がしたのだ。


子供の頃ならば、怖がって一目散に家へと駆けこんだ事だろうが、


今はそれどころではない。少しでも生活の足しになるものを見つけられれば。


その一心で、勇気を振り絞り、ジャンは倉庫の奥へと歩みを進めた。


倉庫の一番奥、ランプをかざしてもまだ暗さが残る場所に、その箱は置かれていた。


鎖で厳重に囲われており、物々しさが否が応でも伝わってくる。


ジャンは恐る恐るその箱を手に取った。


祖父や父から、この箱の事を聞かされた覚えはない。


これ程までに厳重に管理されていた物ならば、


もしかするとかなりのお宝が眠っているのかもしれない。


ジャンは興奮しながらその箱をしっかりと抱え、倉庫を後にした。



家で開ける事も考えたが、サラに要らぬ心配は掛けたくなかった為、


ワイン蔵にある部屋で開ける事にした。


鋸を手に、中身を傷つけない様、慎重に鎖を切断していく。


手こずるかと思っていたが、思いの外簡単に鎖は切れた。


まるで、鎖等無意味であるかの様に。


全ての鎖を外し、いよいよ箱を開ける時がきた。


ジャンは震える手とハイビートを刻む心臓を落ち着かせ、


ゆっくりと息を吐きながら箱を開けた。



箱が開き切った所で、ジャンは愕然とした。


金目の物どころか、埃の一片すら何一つ入っていなかったのだ。


箱の中は、吸い込まれそうな程黒一色で染め上げられ、


ジャンの期待を嘲笑うかの様に、不気味に鈍く輝いていた。


落胆したジャンは、箱をその場に置き、自分の寝室へと帰っていった。



これでいよいよ後がなくなったのだ。


今度作るワインが売れなければ、


ワイン造りどころか、


この家すら失うかもしれない。


嫌な考えばかりが頭を過り、その日は中々寝付く事が出来なかった。

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