第14話 突然のテスト

 文化祭が終わり明けて月曜日、その日俺は最悪の朝を迎えていた。とんでもない悪夢にうなされていたのだ。


 夢の中で俺は巧に縄で縛りあげられ、ドブ川に投げ入れられようとしていた。「助けてくれーっ」という叫びも虚しく、俺の体が宙に舞う。頭からドブ川に落ちる! そう思った瞬間、目が覚めた。


 目が覚めた俺は、どうもシーツの様なものにくるまれていて全く身動きが取れないという事がわかった。

 しばらくジタバタともがいたものの、事態は一向に改善しない。そんな俺の鼻先にツンとすっぱい臭気が漂う。夢のドブ川はこの匂いから連想されたのだろう。

 どうやら俺はゲロした後、シーツにくるまれて放りっぱなしにされていたようだ。しかも廊下の床に転がされたまま・・・。


 俺は床に転がったまま途方に暮れた。まだ何か気持ち悪いし、頭も痛い。声を上げ助けを呼んでみても誰もいないようだ。

 みんなは昨日、俺をこんな姿のままここに置いて、平然と家へ帰ってしまったのようだ。

 クソッ、なんて連中だ! 

 前の日、何をしでかしたのか、知る由もないこの時の俺は、シーツに簀巻きにされたまま一人憤慨していた。


 それにしても、一体今は何時なのだろう? 今日も片付けがあるので、きっと登校するはずなのだが・・・。

 けれど、もしこのまま明日まで放置されたらどうしよう? 

 あ、マ、マズイ、そんな事を考えていたら急に便意を催しいてきたぞ! 今、この状態で漏らしでもしたら、ゲリピーゲイ人の名を再び冠する事になってしまう!


 た、助けてくれーーっ! だ、誰かーーっ!


「・・・あら、忍ちゃん、お目覚め?」

「お、おはよう、セ、セツ姉、お願い、た、助けて、わ、私、その、トイレに・・・」

「トイレ? そのまましちゃえばいいんじゃないの?」


 えっ? セツ姉のいつになく冷たい素振りが不安を煽る。

 それでもセツ姉は俺の束縛を解いてくれ、俺は大慌てでトイレに駆けこんだ。


「ふぅーーっ、ありがとう、セツ姉、助かったわ」

「よかったわね、臭ーい思いをしなくて」

「え?」


 何、その意味深なセリフ? そして、みんなが順次登校してきた。


「お、おはよう・・・」

「・・・」「・・・」「・・・」


 みんな、俺の挨拶を無視し、冷ややかな視線を送る。そして、最後に登校して来た巧が、ヤンキー的に睨みつけながら俺に近づいてきた。

 な、何なんだ?


「おはようございます、忍さん。お目覚めのようですね? それでは、まずはこの最下位のドブスに、なんなりとご命令を」

「・・・?」


 巧のその言葉を皮切りに、俺はみんなに集中口撃を浴びせられる事となった。


「年増女のエロ話は、もうたくさんなのでしょう?」

「私をエロだけの女との発言、決して看過したわけではありません。場合によっては法的手段に訴える事も考慮しています」

「酔っていたとは言え、あの暴言、絶対忘れないからな」

「少しでも君を見直した自分自身が、全く情けなく思うよ」

「でも、作田殿が受けた屈辱を考えれば、まだ私たちのほうが許容できるかもしれませんね」


 みんなの怒りは、どうにもマジなようだ。俺は微かな記憶をたどりながら、ただただ冷や汗が流れる。

 けれど、巧に何をしたかまでは、どうしても思い出せない。


「わ、私、巧に何をしたの?」

「最下位のドブス女と罵り、土下座させた挙句ゲロを頭から浴びせたのよ」

「ひぃーーーっ!」


 その後、未理から、一連の俺の素行を教えられ、体中から血の気が引いた。いつもより口数の少ない、冷め切った様な巧の態度も恐ろしい。


 俺のミススカ女の栄光は、一晩の内に失墜してしまったのをヒシヒシと感じた。


 もうアルコールはごめんだ。


 そんな、意気消沈の俺に追い討ちをかけるような事件がおこった。それは、何の前触れも無い、文化祭が終わって2日目の火曜日の事だった。


「えーと、文化祭も終わって落ち着いている時に申し訳ないけど、今日テストやるよ。9月になったら早々にやるように言われていたんだけど、文化祭の件で忘れてたんだよねー」


 珍しく校長が朝顔を出したと思ったら、唐突にテストを行う事を発表した。ちょっと待って、テストって何?


「テ、テストって何ですか?」

「君、テスト知らないの? 国語、数学、英語・・・」

「そういう事ではなくて! この学校、授業やらないじゃないですか? なのに、なぜテストを?」

「ここの生徒は、やらないんじゃなくて、やる必要が無いって聞いているけど? 君たち、みな優秀なんでしょう?」

「テストって言ったって、実力テストみたいなものでしょうか?」

「違うよ、定期考査だよ。ここは二期制だから、9月と2月にやるんだよ、定期考査。あまり成績が悪いと、落第もあるよ」


 おいおい、聞いてないよっ! 冗談じゃない!


 まあ、確かに俺は中学では学年トップを張ったこともある。多少のブランクはあるけれど、まだそこそこの学力は維持できているはずだ。

 でも、巧を見てみろ? 未理は? こいつら、どう見ても、勉強、ってタイプじゃないだろう? それを、突然テストだなんて、しかも落第もあるなんて、可哀そうだろう?


「でも、先生! それじゃ、あんまり・・・」

「じゃあ、始めるよー」


 ジジイッ! 人の話し聞けよ! 巧も少し何とか言えばいいんだ、お前、落第してもいいのか?


 仕方なく俺は問題用紙に目をやった。最初は数学か・・・。えっ! こ、これ、難しくない? 数列、漸化式と数学的帰納法・・・? こ、こんな問題、全くわからないんですが?


「せ、先生・・・、これって数学Bですか? 高校数学ですよね? 私、習ってないんですが・・・」

「だって、ここ高校だよ? 数学Bは当然範囲に入るよ」

「いや、だって、授業もろくすっぽ・・・」


 他の科目もまったく同様だった。習ってないものはできない。どうしろって言うんだ? 他の連中ときたら、一心不乱に答案用紙に向かって、とりあえずやってる体ではあるが、実際はどうだか。

 俺もわかる所は懸命に考え、何とか白紙は避けたが、正直5割に届いたとは思えない。本当に落第なんてあるのか? そもそも落第したって、来年以降、生徒募集する気ないだろう、この学校?

 多くの不安や疑問を抱えながら、5科目をなんとか終えたが、その、突然のテストの結果に俺は戦慄する事となる。


 結果は3日後にわかった。俺は国語62点、数学25点、理科28点、社会55点、英語65点、数理は仕方がない。全く知識のない問題は解けない。他の教科に関しては、何の準備も無い割には上出来だろう。


 まいったね、どうだった? と、何気なく覗いた巧の数学の点数に、俺は目を見張った。


「えっーー! 98点!? う、嘘でしょう!?」

「うーん、計算ミスさえなければ満点だったのに。オマエ、どうだった? ・・・えっーーー! 25点!? こんな問題で25点って、オマエ、アホか!?」


 みんな、わらわらと集まってきた。


「うわー、これは酷い点だな、特に数理は酷い、これは落第だな。他もテストの内容考えれば、最低80%はできてないと」

「まあー、忍ちゃんてお馬鹿さんだったのねー、意外」

「む!」

「なーんだぁ、しーくんってぇ、頭、パーだったんだねぇ。なんかぁ、未理、ガッカリだよぉ」

「オマエさー、最初偉そうに、自分は頭イイ、とかほざいてなかったっけ? それが何と最下位とはね! ミススカ女さんは、脳みそは空っぽ見た目だけのパーってわけか? ケケッ」


 くっーーー! 何という屈辱! 三日月は確かにモノが違うのはわかっていた。直も仕方ない。あの対人能力の低さに哀れんだ神様が、勉強くらい出来るできる様にしてくれたのだろう。

 しかし、巧や未理や美留、あんな特別残念そうな連中にも負けるなんて、俺が孤独で辛い中学時代、必死でしがみつき懸命に取り組んでいた勉強で、負けるなんて・・・。


「下井さん。泣いたってダメだよ。数理は赤点。追試するからね。それも成績悪かったら、前期落第しになっちゃうよ? 追試は1週間後にしてあげるから、がんばってね」


 失意に打ちひしがれる俺の肩を、巧は、ポン、と叩き笑みを浮かべた。思えば久しぶりに見る、巧が得意の不敵な笑みだった。


「まあ、正直オマエに落第されると、アタシたちも何かと不便だ。それでだ、毎朝1時間早く登校し9時までの2時間、余りにも頭の悪いオマエのために仕方無く勉強の時間に充てたいと思う。三日月は毎朝勉強してるみたいだし、みんなも多少なりともそんな時間があっても全くの無駄にはならないと思うが、どうだろう?」


「いいんじゃない、それくらいの時間」

「僕は正直無駄な気はするな、そんな事は自宅でやるべきだと思う」

「む・・・」

「ま、まあ、美留がそう言うなら。うちのミススカ女さんは自力では落第しそうだから、まぁ付き合わないでも無いな」


「いいか? みんな、オマエの頭があまりにお粗末だから、仕方なく面倒見てやろうというんだ。ありがたく思えよ。数学はアタシが教えてやるよ、ったく世話のかかるパーだぜ」


 う、嬉しくて涙がでるよ・・・。俺が、まさか、俺が、こんなヤンキー女に勉強を教わる事になろうとは・・・。

 ここの所、何かとディスられる事が多かった巧は、まさに復活、といった様子で、鼻の穴を膨らませている。


 確かに勉強がしたい、とは思っていたが、まさかこんな形で実現しようとは。

 思えば入学当時、頭の悪いこの連中に勉強を教えてやりハーレムを形成する、そんな妄想を描いていたものだが、まさか逆の形で実現しようとは・・・。 

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