第9話 夏の思い出

 結局、巧の家の仕事だという100ヶ口の仕事が終わったのが、午後7時を過ぎた頃だった。腹は減るし手は痛くなるし、おまけに先に作業を終えた巧に、やれ遅いだ、下手糞だと罵られての作業は最悪だった。


「どう、終わってみると働いたって実感あって気持ちいいだろ?」

「いや、俺、学生だから、働いたって実感、いらねえし」

「まぁ、お前なんかでも、いないよりマシかな」


 人の話なんか全く聞こうともしない巧に腹をたてながらも、実は終わったという開放感は俺なりに感じていた。


「じゃあ、そのできた製品、アタシんちまで持ってきて」

「えー、これで終わりじゃ無いのかよ!?」

「明日、お客さんが朝一に取りに来てくれるって言うから。それに、重くて、それ」


 仕方無く俺は、巧のボロ自転車の荷台に重い製品のはいったコンテナを積んで、自転車を押しながら巧の家へと向かった。ちゃんと押さえてろ、という巧の叱責を受けながら20分ほど歩き、ここがウチだよ、と言われて、ようやくそこがユウコの家の隣だという事に気が付いた。


「おい、お前、ユウコとはどういう関係なんだよ・・・」

「ユウコは幼馴染なんだ、見ての通り家が隣同士だからな。生まれた時からだから、結構長い付き合いになるな」

「じゃあなんで、お前、東中じゃなかったんだ? ここらへんは、学区域だと東中だろ?」

「中学の頃は色々とあったからな。まあ、そんな事いいじゃん。製品は工場の中に入れて、今開けるから」


 入り口のシャッターを開けると、小さな工場の中に所狭しと機械が置いてあった。学校にあるようなフライス盤とかボール盤もある。古いようだがキレイに磨かれ、いつでも動かせる、といった感じだった。


「この機械も、最近学校の方が忙しくて動かしてやってないんだよな」

「家の人は? 今、この工場やってないのか?」

「ああ、父ちゃんが死んでからは、工場は事実上閉じちゃってるんだ。今回の仕事は、父ちゃんの元のお客さんに頼んでもらったものだったんだ。だからアタシ、お客にこの作田金型を忘れられちゃう前に、早くココ再開したいんだよね」

「えっ! この工場、お前、後を継ごうっていうの?」

「そうだけど」

「本気かよ?」

「なんだよ、悪い?」


 俺にはこんな仕事をしたいという女子の気持ちは、全く理解できなかった。でも、この変わり者の考えている事だし、俺には関係無いね、というのが正直な気持ちだけど。


「忍、お前、夕飯食ってくか?」

「え?」

「二人分くらいなら、すぐに用意できるぜ?」

「あ、あぁ、じゃあ食っていくかな」


 意外だ、本当に意外だ! 正直メシを作るようなタイプに見えないだけに、ちょっと見直した。女子の手作り料理は人生初で、例え巧が作ったもんだとしても、嬉しいもんだ。

 で、食べた感想はと言うと、それが中々のものだった。野菜の煮物に魚の煮付けという、若さの欠片もないメニューだったが、料理自慢の俺も特に文句のつけようが無い旨さだった。


「旨い。お前も結構やるな」

「まあ、ね。ウチ、アタシが小1の時に母ちゃん死んじゃったからな。お姉ちゃんが嫁に行っちゃってからは、いつもこんなモノかな」

「じゃあ、お前ここに一人で暮らしてるの?」

「今は、そう。オマエは?」

「俺はババアと二人。でも、ババアは今、家出中」

「母ちゃんの事、ババア呼ばわりはヒドイんじゃない?」

「ババアでいいんだよ、あんなやつ! あいつのせいで、俺が一体幾ら借金抱えたか知ってるのか! 300万だぞ、300万!」

「ケケッ、オマエ大変だな」


 コイツ、嬉しそうに笑いやがった・・・。


 しかし、よく考えてみると、借金をどうしても返さなければならないのなら、昼はもっと率のいいバイトでもしながら、夜間高校でも行ったほうが、全然いいんじゃ無いだろうか? こんな夜まで働かされていたんじゃ、勉強する時間すら取れない。それに、巧たちが稼いで収益を上げてくれない限り、俺の借金を返せないという事だろ?

 おいおい、そんなんじゃ、三年後、俺はどうなる?


「そうそう、そういえば、アタシ、面白い写真持ってるんだ」

「え、何?」

「これ」


 唐突に巧がそう切りだし、俺は何気なくその写真を目にした。


「ヒャアーーーッ!!」


 それは、全裸の男が二人、今正に抱き合おうと見詰め合う写真だった。手と手を合わせ、デカい男を見つめているのは俺、そんな俺に熱い視線を送るデカい男のほうはユウコ。


 嫌でも思い出される、あの悪夢の夏の日・・・。


 それは、中三の体育の時間、プールで水泳の授業があった日の事だった。

 ユウコと隣合わせで着替えている時、俺は突然誰かに背中を押され、アッっと思った時にはユウコの方へとよろめいてしまった。ユウコが俺を受け止めた際、フラッシュが光り、ヤッター! スクープ! と喜ぶ男の姿があった。

 それは菊池という新聞部のヤツで、あまり空気が読めないと評判の男だった。おそらく、面白おかしく記事にでもして、ウケでも狙うつもりだったんだろう。


 その故意に行われた卑劣な企みに、すぐさまユウコが反応した。


 ユウコは菊池の顎を掴んだが早いか、右手一本でつるし上げ、苦しみにもがく菊池を壁に打ち据えた。ユウコの怒りは凄まじく、その真っ赤に染まった形相は正に、鬼、そのものだった。

 全裸であるだけに一層野性味に溢れ、怒りで震える190cmを超える体躯に漲る筋肉は波打ち、あぁ、菊池、殺されちゃうぞ! と、その場にいる誰もが感じながら、そちらは恐怖で震えていた。


「菊池っ! お前何をしたかわかっているな? 影でコソコソ悪口言われるくらい、どうって事はないが、これはちょっとやり過ぎじゃあないのか、おお?

 いいか、一回しか聞かないからな? このまま顎を粉砕されて一生口からモノ食えなくなるか、それとも忍と俺に全力で謝るか、さぁ、どっちだいい?

 ぶっちゃけ、俺は人一人くらい殺したって、別に構いやしないんだ。少年法ってモノもあるし、その写真があれば、お前にも非がある事は明らかだろう。それに俺のこの体だ、ほとぼり冷めたら幾らでもやり直しができる。

 さあ、どうする、菊池? まだ俺たちを侮辱し、俺とマジで戦う勇気があるのか?」


 可哀相に床に叩き付けられた菊池は、ガタガタと震え、泣きながら土下座して謝った。


「す、すいませんでした! 本当にすいませんでした。どうか許して下さいっ! 許して下さいぃっ!」

「おい、菊池、本当にすまないと思うなら、このカメラ俺に売れよ」

「い、いえっ、お、お金なんて要りません! どうか、持っていって下さいっ」

「バカヤロー! それじゃ俺が恐喝しているみたいじゃないかっ! じゃあ、3万円でいいか?」

「い、いえ、そ、そのカメラ、そ、そんなに、た、高いモノじゃあないです」

「じゃあ、3万なら、文句無いな?」

「な、無いです」


 それからユウコはその場にいた、ガタガタ震える5、6人の同級生をグルッと見回すと、憤怒の形相のまま言い放った。


「いいか! 今見たことはすべて忘れろ。一生涯だぞ? もし、この事を何処からか漏れ聞く事なんかあったら、ここに居る全ての人間に俺は制裁を加える! わかったか? 了解したなら無言で答えろ。異議があるなら一歩前に出ろ」


 ユウコは静まりかえるその空気に軽く頷くと、フンッとばかりに壁を殴りつけた。ドスッと鈍い音がして拳の型の窪みが出来ると同時に、壁に無数の亀裂が入った。静まりかえる更衣室に、ゴクリと息を呑む音が聞こえる。

 ただでさえ凍りついたような空気は一層冷え込んだようで、夏だというのに、そこにいるユウコ以外の全員は、ガタガタと体を震わせた。


 中学2年、俺の夏の思い出である。


 後に、その時にとられた画像を見てみると、しっかり裸で手と手をあわせ見つめあう全裸のゲイのカップルの写真がしっかりと写っていた。見事な腕前だったよ、菊池。

 しかし、その後、菊池が教室に姿を見せること無く、かなり遠い中学へ転校したと聞いた。菊池君にはちょっと強く言い過ぎたかな? などとユウコは後で言っていたが・・・。

 いや、ちょっとどころじゃあ無いぞ・・・。


 しかし? なぜその時の写真を巧が持っているんだ? 巧は何が目的なんだ?


「これさあ、ユウコからもらったんだ。アタシになら見せても良いって。ユウコ、大事にしてるみたいだよ、たぶん、ちょっと嬉しかったんじゃないかな」

「う、嬉しい!?」

「そう。だから親友のアタシになら見せてもいいって思ったんじゃないかな。それにさ、ユウコも忍がスカ女に通うのって大賛成だから、辞めたりしたらガッカリすると思うよ。

 アタシもユウコに、忍に彼女なんてできないよう見張っておくって約束しちゃったし、学校、辞めようなんて考えたら、どうなっても知らないからな」

「お、お前、脅かす気か?」

「あ、あと夕食代、1200円」

「え? か、金取るのかよっ?」

「当たり前だろ。タダでメシ、食わせてくれる所があれば、アタシが知りたいぐらいだぜ」

「いくら手作りっていったって、あれで1200円って高すぎねえか?」

「えっ、あれセブンアイのだよ? アタシが作ったなんて言ったか?」

「だ、だましたな、お前!」

「オマエが勝手に勘違いしただけだろ! ケケッ」


 こ、こいつ、なんてヤツなんだ・・・。

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