災厄の終結、そして訪れる世界

第百五十六話

「ノルン……アラケアは……?」


 ネロがこと切れたと同時に、黒い檻に閉じ込められていた全員が解放されて、アラケア様の体を揺さぶり続ける私の背後から、ヴァイツ兄が声をかける。

 だが、私にとってはそれどころではなかった。なぜなら……。


「アラケア様っ! アラケア様が目を覚まさないのっ! 脈が、脈がもう……」


 最後の攻防の時、ネロの苦し紛れの反撃によって左胸を貫かれたアラケア様の傷は、心臓にまで達しており、もうピクリとも動くことはなかったのだ。

 それでも私は必死にアラケア様の名を呼び続けるが、私達が今、置かれた状況はそれさえも許してはくれなかった。


「ノルン、アラケアはもう駄目みたいだ。気持ちは分かるけど、もう脱出しよう。ネロが作り出したこの空間が、その死によって崩壊を始めているんだ!」


「い、嫌よ! もう少し待って、まだっ!!」


 だが、そんな私の体をハオランがひょいと担ぎ上げると、無理やりこの空間の切れ目が出来ている場所へと、私を運びながら向かっていく。


「放してっ! 放しなさいよ、ハオラン!」


「お嬢ちゃん、アラケア殿とカルギデはもう死んだんだぜ。二人の遺体をここから運び出す時間的余裕も今の俺達にはないし、ここに置いていくしかないんだ。分かってくれよ……な?」


 ギスタもアルフレドも、泣きじゃくるラグウェルもバーン、レイリアもすでに現実を受け入れたのか、脱出しようと動き始めている。

 一人だけ駄々をこねる私を背負い、ハオランは空間の切れ目に飛び込んだ。

 すると一瞬だけ視界が暗転し、閉じた瞼を開いた時には私達が黒い虫の集合体と戦ったあのパンデモニウムの内部に私達全員は立っていた。


「おい、崩壊はここでも始まってるみたいだぜ! さっさとずらかるぞ!」


 大きく振動し崩れゆくパンデモニウムをギスタが私達を先導して、走り始める。

 だが、そんな私達を邪魔するように多数の魔物ゴルグ達が現れ、立ち塞がった。


「貴方達など相手にしている時間はないのです! 邪魔しないで頂きたい!」


 アルフレドが愛剣であるフランベルジュを鞘に納めた状態から、居合いの要領で抜き放つと、迫りくる魔物ゴルグは胴体が千切れ飛び、血飛沫と肉片となって舞った。

 続けてバーンが燃え盛る朱色の槍を投げ放つが、魔物ゴルグを左右に蹴散らしていき、その跡に通り道が出来上がっていった。


「いよっし、逃げ道が出来たぜっ! 今の内に進むんだ!」


 バーンの声に従う様に、私達はそうして出来上がった道を駆け抜けていくが、基本一本道であるため迷うことはなく、私達はついに外へ出ることが出来た。

 だが、そこで私達に絶望を与える光景が飛び込んできたのだった。

 透明なパイプで覆われた移動する通路が、すでに崩れ落ちていたのだ。


「おい、おいっ……どうすりゃいいんだ、こいつはよ!?」


 ハオランが私を担ぎながら、動揺した様子で尋ねたその問いに、すぐに返事を返す者はいなかったが、少ししてラグウェルが泣き腫らした顔を上げて言った。


「一応、僕なら黒竜に変化すれば飛べるけど、翼を黒い虫達に少し喰われたから、全員を乗せて運べるかは自信がないよ。せいぜい三人くらいかも」


「……三人かよ。けど、バーンとレイリアちゃんは確か飛べたよな。てことはだ、一人だけ……ここに残らなきゃいけない奴がいるってことかよ……」


 ハオランが告げた事実に皆が一瞬、押し黙るが、すでに背後のパンデモニウムと足場となっている地面、そして向こうに広がる古い町並みも崩壊が始まっている。

 一旦、七人で渡った後、戻って来る時間的余裕はもうないかもしれないのだ。


「……安心して、私だって飛べるから何とかなるわ。だから……ねえ、そろそろ下ろしてくれない、ハオラン?」


「そ、そういやそうだったぜ! すっかり忘れてたけど、王都を襲ってきやがった魔神の魔物ゴルグの頭頂部に向かう時に、お嬢ちゃんの技で飛んで行ってたよな!」


 そう言いながら私を背から下ろしたハオランを尻目に、私は念を込めて自身の足元の影を両翼を備えた漆黒の怪鳥へと、姿を変えさせた。

 まだ気持ちの整理がついた訳ではないけれど、今、前を向かなければ生き残った私達の中の誰かがまた犠牲になる可能性もあるのだ。


「さあ、行きましょう。これ以上の犠牲者は絶対に出す訳にはいかないものね。生き残った全員で再び自国の土を踏むためにも、今は私も前だけを見るわ」


 私の言葉と共に黒竜と化したラグウェルにはハオランとアルフレドとギスタが、そして私が技で作り上げた怪鳥の背には私とヴァイツ兄が飛び乗って、バーンとレイリアは自身の両翼を用いて空へと飛び立った。


「……おい、俺達は本当に災厄の親玉を倒したんだよな? けどよ、それにしてはどうにもおかしくねぇかよ? 魔物ゴルグ達が消えることなく、存在したままだぜ」


 ギスタが言った通り、眼下では魔物ゴルグ達が獲物を求めて今も徘徊している。

 それを目にした私は、私達のこれまでに意味はあったのか、アラケア様達が命を捨ててまで災厄の王を倒した価値はあったのか、実感が何ら湧いてこない現実に脱力感と無力感さえ感じられた。


「い、いや……まだ分からないよっ! この石造りの町はまだネロが作り出した地下空間の一部なんだ。地上に出てみればはっきりするはずさ、きっと!」


 ヴァイツ兄の言葉に、全員が一先ずはそう納得するしかなかった。

 恐らくかつてヒタリトの民が暮らしていたのであろう、遺跡のような町並みを飛行しながら飛び越えていくと、ついに私達は出口となる階段に辿り着いて地上を目指して駆け上がっていった。

 そして逸る気持ちを抑えながら、古城の外を確認するため駆けていくと、入口の大門を開けて私達はその光景を目にした。


「……台風のように渦巻いてた赤黒い光の帯の動きが……止まっているわ!」


 それを見た私達は災厄の王を倒した成果があったことを確信して安堵するが、しかしそれも束の間のこと。古城前の広場で陣営を張っていた騎士団と魔物ゴルグ達が交戦中なのを見て、私達は再び絶望感に打ちひしがれることになったのだ。


「そ、そんな……嘘だろ。やっぱり魔物ゴルグ達は活動を止めちゃいなかったんだ」


「いえ、けど根源は絶ったのよ。事実、この廃都市に渦巻いてた力は弱まってる。私達の今までの戦いは、決して無意味なんかじゃない! そう、絶対に……っ」


 それを見て私達が下した結論は、災厄の根は確かに絶たれたのだと言うこと。

 しかし一旦、世界中に広がってしまった黒い霧は、すぐに四散することはなくその場に留まり続け、完全に消え去るには長い時間を要すると言うものだった。

 そしてこれは私達が王国に帰還後に知ることになった事実なのだが、空に輝く凶星キャタズノアールは消え失せ、黒い霧の広がりは緩やかに収束を見せ始めていたのだ。


 ――そして私達と災厄の王ネロとの戦いから、一年の月日が流れた。

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