第百十話
翌朝、俺達は食料を船に積み込むと、早々に港から出港した。
寄り道をしたこともあり、俺達の航海は予定よりも遅れていたが、町長からの約束を優先し、今も逃げた略奪者達を追跡していた。しかし……。
「うーむ。偶然か、それとも私達と向かう場所が同じなのか、奴らも北を目指しているようです。私達の本来の目的地と同じ方角に向かっているのは好都合ではありますがねぇ」
死者達の声を絶えず聞くことが出来るマクシムスが、船の進行方向の黒い霧の最奥を見つめながら、そう呟いた。
「略奪者達の目的地も、俺達が目指す場所と同じだと? だとしたら、魔女ベルセリアとやらは北の大陸にいると言うことか」
「そうかもしれません。昔、書かれた航海図によると北の大陸までこのペースであれば二十数日あれば、到着できます。途中、
「……そうか。陛下達とも、いずれ合流しなくてはならない。そういうことであれば、都合がいい。このまま俺達も北を目指そう」
こうして俺達はそれぞれの持ち場で、船を
――そして、要塞島を出港してから二十一日が経過した。
相変わらず、視覚的には黒い霧のみが広がる単調な光景ばかりが続いていたが、明らかな変化があったとすれば、それは肌寒くなってきたことだろう。
北の大陸と言うだけあって気温が低いのは予想していたが、今の時点ですでにちらちらと雪が舞い降り始めていた。
この調子だと目的地では、雪に覆われている可能性すらあるかもしれない。
「雪とは幸先が悪いものだ。
「しかし北の大陸の気候については、予め予想はしていました。どうやら、そろそろここからは厚着をした方がいいようですねぇ。アラケアさん、貴方も上に何かを羽織った方がいい。船内に防寒着を用意してありますから、お貸ししましょう。どれでもいいですから、着てくることをお勧めします」
「ああ、恩に着る。そうさせてもらおう」
そう言って船室の衣装棚に入っていた防寒具一式を身に着け、俺が再び甲板に戻った、その時のことだった。
突如、オロローンという唸り声とも、叫び声ともつかぬ、深い地の底から聞こえたような重く低い音が、辺りに充満した。
だが、それを発したのが何なのかはすぐに分かった。
俺はすぐさま甲板にて、それを見つめるマクシムスに駆け寄った。
「まさか……っ! マクシムス、奴らだ。あのガレオン船は間違いない! この距離まで接近を許すとは、お前の異能で気付けなかったのか?」
「……ええ、声が一切聞こえませんでした。今もまったく聞こえていません。ですから、ただ一つ言えるのは、あの船に乗っているのは不死者ではない。生きている生者だと言うことです」
「生者、だと。こんな外海の真っ只中でか」
ガレオン船は動きを止め、こちらの様子を窺っているのか、しばらくは何かを仕掛けてくる様子もなかった。
しかしやがて船首付近に、陽炎のようにゆらめく人影が動いたのが見えた。
「そう、貴方が現在のライゼルア家当主なのね、坊や。鍛えられた肉体、そして内に秘めた力強い膨大な闘気。なるほど……私が作り上げた、子供達を打ち倒しただけのことはありそうね」
まだかなり距離が離れているのは間違いない。
だが、にも関わらず、それは頭の中に直接、響くような女性の声だった。
「っ! 今の感覚は……それに俺のことを知っていると言うのか?」
目を凝らして見ると、現れたのは長く腰まで伸ばした、茶色い絹糸の髪の妙齢の美しい女性だった。
だが、俺が驚いたのは……次の瞬間だった。
何と女性はガレオン船の船首から飛び降りたかと思うと、海面を歩きながら、こちらへと向かってきていたからだ。
「なんだと! まさか……あの女が……」
その光景から俺があの女の正体を連想するのに、そう時間はかからなかった。
こんな危険な外海でただ一人で姿を現し、得体のしれない術を使う女。
そんな人物で思い当たるのは一人しかいない。恐らくは、あの女が……。
「魔女……ベルセリアか!」
俺とマクシムスは、すでに戦闘態勢に入っていた。
しかし依然とベルセリアは、こちらへと進む歩みを止めることはない。
いや、船から十数メートル付近まで来て、ようやくその動きを止めた。
「試してみようかしら。この環境の力を借りれば、きっと可能でしょう。さあ、効果を見せてごらん。ヒタリトの民の魔導の技術を研究し、この私が作り上げた、闇の呪物」
そう言ったかと思うと、ベルセリアは天高く手にした黒き宝珠を掲げた。
すると、周辺の黒い霧が宝珠へと吸い込まれていき、更に浮遊するように宝珠は空中に浮かび上がって、そして……砕け割れた。
俺は何事が起こるのかと、ただそれを凝視していたが、また頭の中に直接、あの女の声がこだました。
「同志グロウス・ライゼルアが言っていたわよ、坊や。ライゼルア家の現当主である貴方は、歴代のどの当主より見込みがあるとね。貴方が彼を倒そうとするなら、北の大陸の最奥まで追ってくるといいわ。彼はそこで待っている」
瞬間、ベルセリアから出た言葉に、俺は動悸が早くなるのを感じた。
俺を破り、死の淵を彷徨わせた、あの男とこの魔女に繋がりがあったことに思わず、俺は咄嗟に叫びを上げていた。
「お、おおおおおおおっ!!!!」
ルーンアックスを振り抜き、俺は光速分断波・輝皇閃を魔女目掛けて放った。
だが、うねりながら迫り来る、黄金色のオーラの波をベルセリアはただ静かに見据えていたが、激突直前に掌を向けたかと思うと、俺の最高奥義は翳された奴のそのただの底掌にて、裂けて四散していった。
「なっ!? ば、馬鹿な!」
最高奥義として自身が信頼を置く技が軽々と破られた驚きと、そしてそれを事実として認めざるをえない現実に……俺は自分の中にある自信というものが、圧し折れていくのを感じていた。
「やるものだけれど、まだ若いわね。その程度じゃまだ彼には敵わないわ。だから試練を用意してあげた。まずはこれを倒して追ってくるのね」
――その言葉の刹那、奈落の底から聞こえるかのような絶叫が響き渡った。
俺の肉眼でもはっきりと見えた。無数の人の姿をした亡霊のような者達が、先ほどの砕けた宝珠のあった場所へと、集合していっているのを。
そしてそれらを中心として、まるで鎧を纏うかのように海水が集まり、一体の巨大なる水の竜のごとき異形となった。
「ドラゴン、ですか。しかも水によって形作られた。あの魔女の言う通りに、まずはこれを撃破して進むしか……ん? アラケアさん、どうされました?」
俺は恐らく今、認めがたい現実に茫然自失としていたのだろう。
マクシムスの声も聞こえていたが、頭に入ってはいなかった。
そして全身から震えが止まらなかったのだ。
「アラケアさん、しっかりしなさい! あのドラゴンが攻撃を仕掛けてきますよ、早く武器を構えるのです!」
だが、マクシムスの言葉も俺を動かす原動力とならず、俺は水竜がこちらへと迫りつつあるのを、ただ……そう、ただ見つめているしか出来なかった。
そして船が水竜の強烈な体当たりにより衝撃を受け、激しく揺れ動いても尚、……それでも、まだ俺は動くことは出来なかったのである。
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