第八十九話

 走っても、走っても、足がもつれる。

 まるで水の中を走っているかのようだったが、それでも俺は必死に走った。

 自分以外の足音も、周囲の息遣いも、まったく聞こえてこない闇の中を。

 そうしてようやく辿り着いた自分の屋敷。俺はその扉を、勢いよく開け放った。


 ――しかし、そこで俺の目に飛び込んできたのは……。


 聖騎士の甲冑に身を包んだミコトの村正で無残に斬り裂かれ、血の海に沈んだヴァイツのノルンの死体だった。


「うっ……うぁ……うわあああっっ―――っ!!!」


 そこで俺の意識は覚醒した。

 今まで見ていた出来事が夢だったことに気付くが、しかし目を覚ましてからも、悪夢の生々しい内容をはっきりと思い出せる。

 全身から冷や汗を流し、未だ悪夢の余韻を引きずっている俺に、何時からそこにいたのか、ベッドの隣に置かれた椅子に座るノルンが声をかけた。


「アラケア様、どうされました? 酷くうなされていましたよ」


「あ、ああ……ちょっとな、夢を見ていた。どうやら昨日、治療を受けてからすぐに眠ってしまったようだな」


 俺はベッドから体を起こす。

 覇者の奥義を酷使したせいか、体に僅かながら鈍い痛みがあった。

 しかし戦いに支障が出るほどではないと、俺は支度を整えた。


「シンシア殿はおられるか? 現在、王都はどのような状況になっているか彼女から直接、お聞きしたいからな」


「シンシアさんなら今は多分、玉座の間におられると思います。呼んできましょうか?」


 ノルンはそう言ったが、負傷後の調子を確認するためにも、今はとにかく自分の体を動かしておきたかった。

 俺は「いや、それには及ばない」と、断りを入れると、壁に立てかけられた愛用のルーンアックスを背負い、ノルンを連れ立って部屋を出た。

 そして玉座の間の扉を開くと、ポワン陛下達が笑顔を以て出迎えてくれた。


「おはようございます、アラケア様。昨日、シンシアが怪我を負った貴方を運んできた時は心配したものですが、その様子ではもう大丈夫そうですね」


「はい、陛下とシンシア殿には感謝しかありません。彼女の助けがなければ、私はあの窮地から脱することは、出来なかったでしょうから。彼女とその指示を出したポワン陛下に、この場を借りてお礼を申し上げたい」


 俺は深く頭を下げたが、そこへシンシアが大理石の床をかつかつと、高らかな靴音を響かせて、俺の元へと歩いてきた。


「まず貴殿に知らせたいことがある。明晩、カルティケア王の居城で聖騎士ミコトの公開処刑が行われると公表された。世間を騒がせた大量殺人鬼の処刑だ。恐らく多くの民衆が集まるだろう。そして貴殿らや私も、その場に招待されている。カルティケア王の思惑は分からないが、どうされる、アラケア殿? 招待を受けてみるか?」


 シンシアから語られた言葉に特に驚きはなかったが、ただ予想していたよりもミコトの処刑を早めてきたな、とだけ思った。

 仮にこれが罠であったとしても俺は、王との交渉をまだ諦めた訳ではない。

 だとしたら俺の出す答えは1つだった。


「当然です。王から直々に招待を受けているというなら、行ってみるまでです」


「そうか、貴殿ならそう言うだろうと思っていたよ。しかし何が起きるか、私にも読めない。戦闘の準備は十分にしておくことだ」


 俺はポワン陛下とシンシアに礼をすると、ノルンと共に玉座の間を退室した。

 ヴァイツが訓練所で訓練を行っているとノルンから聞いた俺は、自身も本調子を取り戻すため、そこへと足を運んだ。


「どうやらまた腕を上げたようだな、ヴァイツ。皆既日食での戦いの時より、動きにキレが増しているのが、分かるぞ」


 俺は訓練所で陽輪の棍を振って、汗水を流していたヴァイツに声をかけた。

 その一撃一撃は気を纏っており、訓練を欠かしていなかったことを窺わせた。


「そりゃ少しでも訓練しないと、君との差は開くばかりだからね。僕にだって黒騎士隊の隊長を務める、意地ってものがあるのさ」


 そう言いつつ、ヴァイツは模擬戦の相手を務めている、動く鉄像達と向かい合っている。

 今、ヴァイツは対戦相手の動く鉄像五体に取り囲まれていたが、そんな中でもヴァイツは奴らの隙を探ろうと辺りを見渡している。


「いつでもいいよ、来なよ!」


 ヴァイツのその声が合図だった。一斉に動く鉄像達が、攻撃を開始した。

 右側にいた動く鉄像が剛腕を振りかぶり、攻撃を仕掛ける。

 リーチの長いそれは迫力十分であったが、ヴァイツは片手で受け止めた。

 しかしズシリと重い一撃に、ヴァイツの両足はそのまま地面に食い込んだ。


「『破撃』!!」


 だが、ヴァイツは受け止めた片手から気を対象に送り込むと、一気に凶暴な破壊力を生み、動く鉄像を軽々と破壊してしまった。


「やるな。ヴァイツの気の扱いが、ここまで熟達してきているとは」


 ヴァイツの戦いぶりを見ていた俺は思わず、感嘆の声を漏らした。

 ノルンも兄の予想以上の戦いぶりに、驚きを隠しきれていないようだ。

 その間にも、もう一体の鉄像が間合いを詰めて、殴りかかろうとする。


「荒れ狂う暴風よ、我が身に宿り、その力を炸裂させろッ!! 『風烈血破』!!」


 ヴァイツが陽輪の棍を振るうと、目の前に迫った鉄像と、その背後にいた鉄像を激しく鋭い荒風によって、同時に斬り刻む。


「うばががががあああああああ……!!」


 その様子を目の当たりにし、形勢不利と見たのか、残った二体の鉄像は左右から襲いかかった。

 数の利を生かしての同時攻撃、そうすれば逃れられない。

 しかしヴァイツは動じることなく相手を見やると、前方へと駆け出した。

 そして連射式ボウガンの弦を張り、気を込めると、矢が夥しい光を帯び始める。


「『超弾道破砕弾』!!」


 蓄えた力を解放するかのように、一気に矢を放つ。するとあっという間に鉄像達が吹っ飛んでいき、バラバラの残骸となって落ちてきた。

 それを感慨もなく見つめていた、ヴァイツだったが……。


「それで用事はなんだっけ、アラケア? 僕に用があって来たんだよね?」


 たった今、戦闘を勝利で飾ったヴァイツが、事もなげにこちらへとやって来た。

 その堂々とした様子に俺とノルンは、思わず顔を見合わせていた。


「……あ、ああ。しかし驚いたな。あの巨体の鉄像達を、こうもあっさり倒してのけるとは」


「ええ、相当、腕を上げたじゃない、ヴァイツ兄。武器の扱いと気の合わせ技を、ここまで強力に練り上げているなんて……これは私も安穏としていられないわ」


 ヴァイツは微かに笑みを浮かべると、答えた。


「いやいや、大したものじゃないよ。最近はミコトとの戦いでもあまり役に立ってると思えなかったからね。少しでも挽回しようとシンシアさんに勧められて模擬戦をやってみただけさ」


 ヴァイツは謙遜しているが、地力が大きく増しているのは確かだった。

 俺は改めてヴァイツの成長ぶりを頼もしく思うと共に、ミコトの名前がヴァイツの言葉から出たことで、ここへ来た目的を思い出して、言った。


「ミコトの公開処刑が明晩、行われるそうでな。その場に俺達も、カルティケア王から招待されている。王の狙いは分からないが、ミコトはあくまでも俺達の国の聖騎士だ。だから俺達には、最後を見届ける義務があるだろう。俺は出席しようと思っているが、どうだ?」


「うん、君が言うんだったら勿論、行くよ。けどミコトにはこの国に来る前から、散々振り回されたよね……。しかし公開処刑か、何も起こらずに終えれればいいんだけど」


 ヴァイツが漏らした言葉に、俺は今朝見た夢の内容が、ふと脳裏を過ぎった。

 あれはあくまで夢だと分かっていても、言い様のない不安が拭い切れない。

 俺の中の何かが警鐘を鳴らしている、そんな気がしてならなかったのだ。


 ――だが、それでも俺達は、その日を迎えざるを得なかった。


 公開処刑の時間が迫る、日が暮れ始めた頃……俺達は頃合いを見計らい、断頭台がある王の居城へと、足を運んでいった。

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