第八十七話

「さて……そろそろ頃合いか。どうやらこのまま成り行きに、身を任せている訳にはいかないようだからな」


 王達三人が地下牢獄から立ち去ってから、何時間かが経過しただろう。

 俺は意を決して、脱獄を試みることを決意した。

 時間の感覚が分からない、この地下からでは今が夜か昼かも分からないが、時間を置けば置くほど、外の状況は変化していく。動くなら早い方がいい。


「ふむ……扉の厚みは破壊出来ないほどではなさそうだな」


 手で牢の扉を触って確認しながら、俺は漏らした。

 武器は取り上げられたが、俺にとってはこの五体そのものが武器となる。

 大きく息を吸い込んで、全身に黄金のオーラを纏わせると、俺は……力ずくで牢の扉をこじ開けた。


 ガラァァン!

 扉はゆっくりと前のめりに倒れていった。出来るだけ音がしないよう試みたが、この静寂な空間ではやたら音が響いてしまった。

 気付かれてはいないか周囲の様子に耳を立てたが、しかし誰もやってこない。

 それを確認した俺は、まずはヴァイツとノルンを助け出すため、他の牢獄内の部屋を扉越しに二人の名前を呼んで回った。


「ヴァイツ、ノルン! いるなら返事をしてくれ。ここから脱出するぞ!」


 俺は一部屋一部屋を確認していったが、しかし中々、返事は返ってこない。

 それでも繰り返すこと六回目、部屋の一つからようやく反応が返ってきた。


「……ケア殿、ですかぁ? ……に、いるんですねぇ。ふふふふふ……脱獄する……て、貴方の……体を拘束もされず、ずい……自由なんですねぇ」


 中から聞こえてきたその声は、ずいぶん掠れてはいたが、聞き覚えのある……いや、忘れようがない相手であった。


「……ミコト、か。どうやらお前も地下牢獄で監禁されていたようだな。お前のお陰で当初の予定より、更に面倒な状況になっている。己がやったことの報いだ。そのままそこで悔いながら、処刑の日を待つんだな」


 俺は扉から離れたが、それでもミコトの微かな笑い声が絶えず聞こえてきた。

 しかし俺はそれを無視して、すべての部屋を回ってみたが、どの部屋にも俺とミコト以外が収容されている様子はなかった。


「ヴァイツ達はここにはいない、と言うことか。では仕方がないな、一先ずは俺一人でここから出るとするか」


 俺は一人ででも脱獄するべく、地下から地上へと続く階段を上がり始めた。

 だが、その途中……上階から人の気配を感じ取って俺を足を止めた。

 しかもそれは並みの兵士とは一線を隔す、並々ならない気配の持ち主だった。

 そして俺が気づいたと言うことは、それは相手も同じだったということだろう。


「おい、誰だ!? いるのは分かってるんだぜ? いや、お前が誰かなんてのは、聞くまでもねぇ話だったな。ったく、陛下の言いつけ通りに、俺が見張りに立ってて正解だったぜ。さっさと上がってくるんだな、アラケア・ライゼルアさんよ!」


 今更、息を潜めても意味がないと感じた俺は、覚悟を決めて階段を上がりきり、見張り番をしていた竜人族の上級騎士バーンの前に姿を見せた。

 だが、そこにいたのはバーン一人のみであり、他の者は見当たらなかった。


「不幸中の幸いか、それともお前達にとっては過信故か? お前が一人で番をしているとは、俺にとっては幸運だったようだ。だが、もたもたしていれば、騒ぎを聞きつけて他の兵士達が集まってくる。俺にとっては時間がない。悪いが、速攻でいかせてもらうぞ、バーン」


「そいつは聞き捨てならねぇな。しかも丸腰でどうにかなると思ってるのかよ? 舐めるんじゃねぇ! すぐに正してやるぜ、その思い上がりをよ!」


 バーンは手にした深紅に燃える長柄の槍を投げ放とうとしたが、その刹那の間に俺は槍の柄の部分を手刀で弾いて、出鼻をくじいた。


「ちぃっ!」


 バーンは舌打ちしながら次々と槍を振るってくるが、長柄の槍故に至近距離に潜り込んでしまえば、それに対応することは容易い。

 俺は僅かに力を込めた手刀だけで、バーンの攻撃を左右に打ち払っていた。

 そして一瞬、出来上がった隙をついて、俺はその腹部をオーラを纏った拳で、正確に急所を目掛けて幾度も叩き込んだ。


「ぐっ、ぐぉおおお……っ!」


 さすがに槍は手放さなかったが、堪らずバーンが床に膝をついて蹲った。


「いかに業物である武器を持っていたとしても、戦う場所は選ぶべきだったな。その長槍だが、屋内で使用するには、ちと相性が悪いようだ。屋外であれば、勝負はこうも簡単にはつかなかっただろうにな」


 それだけ言うと、俺はギロリと憎しみに満ちた目で睨み付けているバーンを無視して立ち去ろうとする。

 そんな俺にバーンは背後から言い放った。


「殺さ、ないのかよ? これは、千載一遇のチャンスだぜ?」


「誤解があるようだが、俺達がこの国へ来た目的は、戦争のためじゃない。ガイラン陛下の命により、カルティケア王と交渉をするためだ。だからここでお前の命まで取る必要はないと言うことだ」


 俺の背後でバーンが舌打ちをしたのが聞こえた。今なら俺を攻撃しようと思えば出来たはずだが、バーンはそれを思い留まったのか、しようとはしなかった。

 激情家だが、騎士として敵を後ろから襲うのを、良しとしなかったのだろう。


「陛下は……話の通じないお方じゃない。お前ら異国の人間に厳しい態度で接するのも、国を想えばこそ、なんだ。敗けちまっておいて言うのも何だが、ここは見逃してやるよ……。さっさと行っちまいな、アラケア」


「すまない。礼を言う、バーン」


 俺は立ち去ろうとしたが、出口の扉付近に投獄された際に押収された、愛用のルーンアックスとミコトの村正が、立てかけられているのを見つけた。

 俺はそれを手に取ると、扉の前に立ち、この先に待ち受けている運命を想像し、覚悟を決めてから地下牢獄から脱獄した。


「さて、まずはヴァイツ達を探さねばならんな。ここにいないと言うことは別の牢に入れられたか、あるいは何か目的があって釈放されたか。現状を確認するためにも、一度、ポワン陛下の元に向かう必要があるか」


 窓を見ると外はすでに日が沈みかけており、夜が訪れようとしている。

 俺は窓を突き破って外に飛び出すと、城下街に向かって駆け出していた。

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