第28話:恋なんてするんじゃなかった


 数分後。


「……淡雪さん。ごめんなさい」


 頭を下げてものすごく申し訳なさそうに謝る猛。

 朝食を食べながら、彼は先ほどの事件に対しての謝罪を続ける。


「危うく胸を揉まれそうになったわ」

「犯罪未遂ですね。以後気を付けます」

「もう手遅れ。押し倒されてどうにかされそうだった。身の危険を感じたわ」

「未遂じゃなくて、犯罪ですよね。本当にすみませんでした」


 謝罪の言葉を受け取る気はない。

 実際は嫌ではなかったけども、彼には罪悪感を抱いて反省してもらいたい。

 猛をチクチクと言葉で責めながら、唇を尖らせる。


「私は貴方を許さない。絶対に」

「うぐっ……え、えっと、本当に寝ぼけていたので」

「私が一番怒ってるのはね、そういう所じゃないのよ」

「へ?」


 そう、抱き締められたことも、押し倒されたことも。

 淡雪にとっては怒りの原因ではない。

 何に怒って不愉快なのか、彼は分かっていないので腹が立つ。

 

「私の怒りはね、あろうことか、私を撫子さんと間違えた事に関してよ」

「――!?」


 これだけは本当に許せそうにない。

 彼の表情が明らかに青ざめていくのを感じつつ、


「私を抱きしめて“撫子”と呼んだ事実に対しての回答は?」

「……寝ぼけていたので覚えていません」

「なんていう言い訳が通用するとでも?」


 顔を背けて、冷や汗をかきながら猛は苦し紛れの言い訳をする。


「覚えてませんか? 私を撫子さん扱いしたことを、これっぽっちも?」

「は、はひ……」

「まさか抱きしめて、押し倒して、どうにかしようとしていたのが私ではなく撫子さんと思っていた、と? 間違えられた私は非常に不愉快だわ」


 うなだれる彼にとどめをさす。

 彼への好感度が激減しつつある。

 気落ちする猛はただひたすらに謝ることしかできない。

 

「はぁ。もう既に、撫子さんと禁断の関係になってると認識してもいい?」

「ちょっ!? ホントに誤解なのでやめてください。違います」

「はぁ、妹さんに抱き付かれる事なんて日常茶飯事なんでしょう?。これが現実、ふたりがラブラブなのは事実なわけだ。禁断の兄妹愛なのねぇ」

「本当に誤解っす。俺と妹は変な関係ではなくて」

「近親相姦、禁じられたラブな関係」

「違うっす。信じてください。お願いします」


 頭を下げ続ける、情けない姿に淡雪は、


――私としても、面白くはないわよね。


 不愉快な気持ちが消えることもなく。


「ふんっ。許してあげないんだから」


 淡雪は拗ねて朝食を黙々と食べ続けた。


「はぁ。誤解なのに」


 肩を落として食事を続ける猛である。

 今にも泣きそうなほどに、悲壮感が半端ない。


――泣きたいのは無駄にドキドキさせられた私だわ。


 ドキドキの果てがこのオチで。

 彼に恋心を抱くものとしては複雑な心境でしかない。

 気まずい雰囲気のまま、旅行は最後まで続くのだった。





「という出来事があって、旅行の思い出はひどいものになったわ」


 数日後、淡雪は友人の美織に電話で愚痴っていた。

 話をするなり、彼女は大笑いをしながら、


『妹に間違えられた上に、押し倒されたぁ? 面白いじゃん』

「笑い話ではないわ。私のメンタルが壊れそうだもの」

『心がなるほど、シスコン相手だと大変ね』

「……猛クンの唯一の欠点よ」

『唯一ねぇ? それ以外は完璧。それくらいなら妥協すればいいじゃない』

「一番、妥協できないところが大事なところなんだけど?」


 淡雪の悩みを美織は「しょーがない」と受け流す。

 結局、それでも彼女は許すのを知っているからだ。


『恋する乙女は大変だわぁ』


 このままの関係をずるずると続けるわけにもいかない。

 だけど、ここまで彼の事を心を許している時点で自分ではやめられない。


「私はね……彼の事が好きなの」

『そこで認めるなら恋人になればいいじゃん』

「だから、最初から言ってるじゃない。それだけはできないの」


 家の問題、相手の事情、淡雪達は恋人にはなれない。

 

『淡雪ってそういう所が頭が固いというか、頑固と言うか』

「そうね。自分でも心の赴くままに自由になれたらと思うわ」


 淡雪は所詮、自分で決断することが苦手なのだ。

 電話を片手に淡雪は小さくため息をつく。


「恋なんてするんじゃなかった」

『おや、まだ終わってないのに後悔してる?』

「……終わることが怖いから。恋をしなければと思ったことはない?」

『後ろ向きな考えは私はしない主義だもの。終わってから考える。そしたら、きっとその恋は自分には無意味じゃなかったと胸を張って言えると思うから。勝手に諦めてどうするのよ』

 

 恋は人を成長させる。

 淡雪にとって、この恋をしたことは無駄ではなかった。

 そう思えたら、淡雪はきっと……。


「諦めて、達観しているのとはまた違うのに」

『どう違うのか、私には分からない。好きな相手に好きって言えばいいじゃない。ああだ、こうだって言いながら、淡雪の本音は単純よ』


 彼女は呆れ気味の口調で『大切だから失いたくないだけでしょ』と呟いた。


「私が臆病で、本当に甘えたい相手に甘えるのが苦手なのは分かってるわ」


 幼い頃、母が淡雪のもとから離れてしまった喪失感を今でも鮮明に覚えている。

 

――もう二度と、ああいう経験をしたくないから。


 淡雪は大切な人を作りたくないのかもしれない。


『後悔だけはしちゃダメよ。淡雪、これだけは考えて行動しなさい』


 親友の言葉に淡雪は小さく頷くことしかできなかった。


――後悔しないような恋。そんなこと、できるわけないのに。


 好きだという思いを諦められないからこそ、苦しくなる――。

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る