第106話:貴方は俺の希望だった

 

 猛に会いに来た結衣は不安そうな顔をして、制服の裾をつかむ。


「お兄ちゃん。助けて」


 その姿を下校中の生徒は興味津々とばかりに、


「あれ? 大和君の傍に見知らぬ新たな女の子」

「……ねぇ、お兄ちゃんって何だろ?」

「まさか、あれが噂の隠れ妹か?」

「しかもかなり可愛いぞ。マジかぁ」

「撫子ちゃんの代わりに新しい妹キャラを手にしおったのか」

「あのシスコン戦艦め。手が早い」

「今度は中学生かぁ。結局、彼がシスコンには代わりないのよね」


 誤解を招く光景、また言いわけしづらい展開中。


――まったくもってひどい世の中だぜ!


 現実ってとても悲しい。

 彼らに向けられる好奇の視線から逃げ出す。

 噂が流れるであろうが、放っておくしかない。

 とりあえず、駅までの道を歩きながら、


「今、淡雪さんは何をしてるんだ?」

「家の部屋でずっと引きこもったままだよ」

「……そうか。結衣ちゃんは淡雪さんと俺の関係を聞いてる?」


 その言葉に小さく頷いて、


「お祖母ちゃんから聞かされた。私達にはお兄ちゃんがいたんだけど、小さな頃に家から追い出したんだって。それがお兄ちゃんだったんだね?」

「そういう意味では俺と結衣ちゃんも異母兄妹なんだよな」


 隠れ妹疑惑は疑惑などではなく。

 

――リアルにこの子は俺の妹だったわけだ。


 母親違いの妹。

 結衣の可愛いらしい瞳が猛を見つめている。

 

「ちょっとだけ血が繋がってるんだね。お兄ちゃんに親しみを感じてたのも、そういう所なのかな? 無自覚に兄妹だって思ってたのかも?」

「そうかもね」

「えへへ、それは嬉しいことだよね?」

「あぁ、もちろん」

「だけど……お姉ちゃんは違うのかな」

「お祖母さんから聞かされたと言っていたけどさ。俺の事、何か言ってた?」


 恐らく、今回の事で須藤家にも何らかの変化が起きたはずだ。

 結衣は「大変な激震でした」と騒動を振り返る。


「私が聞かされたのは、お兄ちゃんはこの家に生まれてきてはいけない子だった。この家に生まれてさえこなければ、普通の人生を歩める子だったから、追放するしかなかったって。追い出しちゃったんでしょう」


 祖母は彼が憎くて嫌っていたわけではなさそうだ。

 家のしきたり、それがどうにもできないだけ。


――まるで呪いのようなものなのかもしれない。


 自分ではどうすることもできない、宿命。


「お祖母さんは今も家に?」

「ううん。今日は遠出しているから帰ってくるのは深夜らしいんだ。だから、お兄ちゃん。今がチャンス。今日はお姉ちゃんと話をしてあげて」

「……そのために俺の所に来てくれたんだな」

「だって、あんなに落ち込んだお姉ちゃんを見ていられないんだもん」


 不安そうな彼女の頭を撫でてると、くすぐったそうにする。

 この可愛さが猛はとても気に入っている。


「淡雪さんは何を悩んでいるんだ?」

「分かんない。ただ、お兄ちゃんには会いたくないって」

「俺、彼女に嫌われてるらしいんだよな。ショックなことだけどさ」

「恋人の話は聞いたよ? 恋人ごっこだったんだね。すっかり騙された」

「その件は騙してごめんな」

「いいけどさぁ。だけど、騙されるくらいにお似合いだったの。お姉ちゃん、お兄ちゃんのこと信頼してたもん」


 信頼されていたのかどうかも今は分からない。

 猛はなぜ、彼女に嫌われているのか。

 その理由さえも分からないのだから。


「お姉ちゃん。何かにずっと苦しんでるみたい」

「苦しんでいる?」

「多分、お兄ちゃん絡みだよ。じゃないとあんなに苦しむことはないもん」

「……俺も確認しないといけないことがある」

 

――どうして、あんなにも俺を憎んで嫌いだったのか。


 その理由がどうしても知りたい。


「須藤家に踏み入るのは勇気がいるけど、彼女を放ってもおけない」

「……お兄ちゃん。ありがと」

「可愛い妹の頼みですから」


 彼女は「えへへ」と屈託のない笑顔を見せてくれる。

 もう一人の妹である、淡雪とも向き合わなければいけない。

 これは猛にとっても彼女にとっても大事な事だ。


「……行こうか、結衣ちゃん」


 猛にとっての因縁の場所。

 須藤家の本宅へと再び彼は向かう事になった。





 須藤家の重苦しい雰囲気を感じ取りながら、屋敷の中へと踏み入る。

 人の気配もなく、猛達は彼女の部屋と足早に進む。


「……結衣ちゃん。あの離れに一度連れて行ってくれないか?」

「いいけど、大丈夫? お兄ちゃん?」

「自分の目で確かめてみたいんだ」


 その場所は大きな庭の端に位置する薄暗い小さな離れの屋敷。

 誰もいないため、中へと入ることができた。

 室内はとても狭く、普段は換気すらされていないのか埃っぽい。


「俺は小さな頃にここで育ったんだな」

「こんな狭い部屋に閉じ込められていたなんてひどいっ」

「外の世界を知らなかったのか」

「今なら幼児虐待だよ! 児童相談所に通報です」

「きっと、辛い思いも、怖い思いもした。だけど、俺の記憶にあるのは……」


 ふと、背後に誰かの気配を感じて振り返る。

 そこにいたのは須藤家のお手伝いをしている、志乃だった。


「結衣お嬢様と……大和さん?」

「志乃さん。こ、これはね……」


 今回も内緒でのお屋敷訪問だ。

 結衣は彼女に見つかったことに焦る。

 だが、猛は言い訳もせず、彼女と向き合う。

 

「……志乃さん。俺はこの家で生まれ育った人間だったんですね」

「大和さん……」

「貴方が俺に言った理由が分かりましたよ。確かにこの家には近づいてはいけない。俺の生まれた家でもあり、追放された場所でもあるから」


 事情はある程度、察していたのか。

 彼女は静かに「はい」と頷いて答える。

 

「……猛さん、と呼んでも?」

「もちろん」

「では、猛さん。貴方はこの家で生まれました。まだ小さな貴方に対して、須藤家は幽閉を命じたのです。そして、この部屋で貴方は2年半を暮しています」


 猛にはっきりとした記憶があるかと言われたら、さすがにない。

 この部屋にいても、嫌な感じがするだけだ。

 だけど、猛は志乃の事は覚えている気がする。


「志乃さんが俺のお世話係だったんでしょうか」

「え? どうして、それを?」

「以前、志乃さんに会ってから俺は不思議な夢を見続けたんです」


 猛は彼女達にあの不思議な夢の話を語り始める。

 光のない暗闇、そこから救ってくれたのは一人の女性だった。


「ずっと暗い場所に閉じ込められて光を求めていました。そんな中で俺に光を与えてくれた人がいたんです。その人は優しく、温もりを持って接してくれていた」

「……子供の記憶。小さな頃でも脳には残り続けるものなんですね」

「では、やはりあの人は?」

「私だと思います。あの時、猛さんのお世話をしていたのは私です」


 温かな笑みだった。

 

『大きくなられましたね』


 あの意味がようやく理解できる。

 彼女がずっと、幼い猛を母のように世話してくれていたのだ。


「ここでは何を?」

「本を読んであげたり、遊びに付き合ってあげたり。母と子が触れ合うような、普通のことです。実はこっそりと外へ連れ出すこともありました」

「うわぁ。志乃さん、チャレンジャーだね」

「自分の子供のフリをして、外の公園で遊ばせたりしたこともありましたよ」

「須藤家にバレたら怖いとは思わなかったの?」


 結衣の問いに彼女は苦笑い気味で、


「猛さんのお世話をしていたら、ホントの母のような気持ちになっていました。子供なのに自由がない事が可哀想で、つい行動しちゃって」

「情がうつるってやつ?」

「当時の先輩にもよく注意されましたよ、うふふ」

「それだけ愛情を注いでくれていたんですね」


 ありがたい話だった。


「記憶の話ですが、『どんなに辛い思いをしても、人に優しい子であり続けて』。これは貴方の言葉ですよね? 俺は志乃さんに愛されてた気がします」

「そんな言葉まで……。はい、確かにそんな言葉を使いました。運命に負けない、強い子供に育って欲しかったんです」


 当時を懐かしむように、志乃は語る。


「あの当時、私にはまだ子供がおらず、貴方を実の子のように可愛がっていました。とても素直で我がままも言わず、ぐずらない子供だったんですよ」

「へぇ……」

「普通の子供はもっと泣きわめいて、親を困らせるものだと実の子を育てた時に実感したものです。本当に素直で、可愛らしい赤ちゃんでした」


 彼女は猛の育ての親と呼んでもいい。

 実の母を知らずにいた彼を母のように育ててくれた。

 猛は今、志乃に対して感謝の気持ちしかない。


「……でも、それは幼心にこの家への恐怖を感じていたのかもしれません。猛さんは泣いてわめいても助けてくれないと諦めてしまっていたのかもしれない」

「悲観的な気持ちに夢ではなっていました。あれが記憶だと言うのなら、そんな感情があったのかもしれません。だからこそ、志乃さんは俺の光だったんですよ」

「猛さん……」

「俺の希望でいてくれて、ありがとうございました」


 母親と引き離されても、愛を与えてくれる存在がいた。


――貴方は俺の希望だった。


 まさに暗闇を照らす猛の光だったのだ。

 志乃は彼の手を握り締めて、もう一度改めて言う。


「猛さん。本当に大きくなられました」


 優しい志乃の笑顔につられて笑う。

 人は自分の知らない所で愛されて生きているのだ。

 自分は気づいていなくても、たくさんの人に愛されて生きている。

 ……そんなことをふと思った。

 

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