第14話:私のこの目をしっかりと見て下さい

 撫子は普段は大人しい性格の女の子である。

 だが、一度、怒りに火が付いた場合、なだめるのはかなり苦労する。

 普通の怒りとはまた違うのだ。

 叱る、怒鳴る、ヒステリックになる。

 大抵の人間は不愉快になると、それを発散するように、衝動的にわめいたりする。

 しかし、彼女はそんな事はしないがゆえに恐ろしいのだ。

 家に帰ってから、猛がソファーに座りテレビを見ていると、

 

「――兄さん」

「どうした、撫子?」

 

 突如、撫子がテレビを消すと、彼の真横に座る。


「あのー、テレビを見てるんですが」

「くだらないバラエティー番組よりも大事な話があります」

「何だ?」


 すぐに逃げられないように、そっと猛の手の上に自分の手を重ねてくる。

 その時点で彼は経験則で「まずい」と焦る。


――これは何か不穏な気配がするぜ。


 これまで何度か同じような真似をされて痛い目にあったのだ。


「私は嘘を平気でつく人間が大嫌いです」

「よく知ってるよ」

「それと同じくらいに、隠し事をする人も嫌いなんです。後ろめたいことがある人間のように、こそこそと、人を騙すような卑劣な真似をしてませんよね?」

 

 爽やかな笑みと共に言われると、怖すぎて効果は抜群だ。

 こちらを追い詰めるように、逃げ場を与えない。

 執拗な手口で相手を追い込み、誠心誠意、謝るまで許してくれない。

 どうやら、撫子は今、怒っている様子が見て取れる。

 普通に怒りを発散させてくれた方がずいぶんマシだと猛は思う。

 何をして怒らせたのかは分からないのが問題だけども。

 

「ぷ、プライバシーは兄妹関係にも必要だと思うんだ」

「なるほど。ですが、兄さんはいつだって私の知りたいと思う探究心に応えてくれます。私の知る優しい兄さんは妹を傷つける真似はしません。そうでしょう?」

「……ま、まぁね」

 

 ここから先の質問には猛はちゃんと対応した方がよさそうだ。

 答えひとつで人生が詰む恐れもある。

 

「兄さんは恋人がいた経験はありますか?」

「ないよ。いたことは、ない」

 

 どうやら、撫子に猛はある疑惑を抱かれているようだ。

 

「そういう経験をしたことはない。いたら、撫子だって気づくだろ」

「……そうですか。嘘はついていないようですね」

 

 意外にもあっさりと信じてくれた。

 

「信じてくれるのか?」

「兄さんのお傍に何年、一緒にいると思ってるんです?」

「よかった、信じてもらえて何よりさ」

「私は兄さんの言葉に嘘を見破ることくらい容易いです。特に嘘をついてる様子もありません。この件についてはシロということでしょう」

 

 怖いくらいに撫子は猛の嘘を見破る。

 だから、彼女の前では真実しか話せない。


――嘘をついたあと、それがバレたら本当に恐ろしいからな。


 妹に嘘をついたことを後悔させられるのだ。

 

「では、次の質問です。私以外に特別な女の子がいますか?」

「……いないよ?」

「嘘ですね。はい、嘘決定です。兄さんは嘘つきさんです」

「ま、待って!?」

「待ちません。有罪確定ですよ。残念ですが、執行猶予もない実刑判決です」

「単純に俺を嘘つき扱いにしたいだけだろ?」

 

 今の一言だけで見抜かれたら、本当に怖い。

 撫子はこれが本題とばかりに猛に迫ってくる。

 

「兄さん。私、いろんな人に聞いています。とても仲のいい女性がいるそうですね」

「えっ?」

「須藤淡雪さん、というそうです」

「――!?」

「クラスの皆さんが教えてくれました。ずいぶんと親しげで、一部報道によれば『付き合ってるのか?』という質問を否定しなかったほどだとか。去年の冬頃に破局したようですが、その辺を詳しく教えてもらえます?」

 

 天を仰ぎ見ながら、「マジかよ」と嘆きたい気持ちになった。


――淡雪さんとの関係だけは説明するのは少し難しい。


 別に怪しい関係でも何でもない。

 それでも言葉にすると恥ずかしく、難しい。

 

「破局報道とか、どこの情報ソース? 俺と淡雪さんは別に変な関係じゃない」

「私が何の確証もなく、この話をしたと思っているのなら残念ですが、私の事を見くびりすぎです。隠していても無駄ですよ」

 

 猛の父親は政治家をする前に弁護士をしていた。

 一度しゃべらせたが最後、相手を追いつめる雄弁さが特徴の豪腕弁護士だった。

 その娘である撫子も、一見大人しいように見えて、かなりやり手だ。

 将来、弁護士などしてみたらどうか。

 

「須藤先輩についても調べてみました。学校中の生徒から愛される優しい女神のような女の子という印象を受ける人らしいですね」

「あの子は素敵でいい子ですよ」

「性格にも非の打ちどころのなさが逆に私としては裏がありそうな気もしますけど」

「ないない、あの子は本当に良い人なだけ。裏なんてありません」

 

 そんな裏表のあるような子ではない。

 それは1年間、近くにいたからよく分かっている。

 

「……兄さん。須藤先輩との関係は恋人なんですか?」

「ストレートに切り込んできたなぁ」


 今度は猛に熱愛疑惑が……。

 

――撫子を誤魔化すにはどうすればいいのやら。


 大いに頭を悩す問題である。

 

「元クラスメイトのお友達で、仲良くさせてもらってます。ただの友達の一人です」

「などと否定してますけど、怪しさ十分です。熱愛疑惑ですよ」

「……しょ、証拠は何かあるわけ?」

「この情報には多くの目撃と証言があるんです。さぁ、真実を話してください。大丈夫です、兄さん。一度や二度の浮気心なら私は許してあげるつもりですよ」

 

 顔が笑ってたら信じられるのだけども。


――全く顔が笑ってなくて怖いよ、撫子? 

 

 ここで何か言い訳するとろくなことになりそうもない。


「本当に付き合ってません。仲のいい女友達です」

「男女間の友情なんて私は存在しないと思っています」

「そこに話が飛んだ!? いや、本当に何でもないのに」

「……何か誤魔化そうとしてますね。怪しいです。兄さん、質問を変えましょう」

 

 撫子は猛の頬を両手で触れてくる。

 

「私のこの目をしっかりと見て下さい」

「可愛い目だよ」

「では、目をそらさないでくださいね」

 

 お互いにまつ毛を確認できるほどの距離で、真っすぐに見つめられる。


――ここで目をそらすと、嘘だと疑われるわけだな。


 頑張って、目をそらさないようにしなくてはいけない。

 

「――兄さんは須藤先輩の事が好きでしたか? 」

「――!?」

 

 なのに。

 思わず、目をそらしてしまった。


――しまった、俺とした事が動揺しすぎた! やっちゃった!


 すぐさま視線を戻すも、撫子は瞳を瞬かせて素で驚く。

 

「……あれっ!? に、兄さん?」

「い、いや、今のはただ恥ずかしくてそらしただけで」

 

 素の彼の反応に彼女も動揺しているようで、

 

「な、なるほど。兄さんが照れやだということは分かりました。こんなに間近で見つめ合うと恥ずかしくなるのも当然です」

「うん。兄妹とはいえ、距離感は大事だぞ」

「そうですよ。決して、今の質問が正解だったから、そらしたわけではないです」

 

 撫子は念を押すようにもう一度、猛に低い声で言った。

 

「……ですよね、兄さん? 違いますよね?」

「お、おぅ。さすがに兄妹でもこの距離で見つめ合うのはな」

「ふふっ。そうでしょう。この質問はこれくらいにしておきましょう。兄さんの疑惑も晴れて、私も一安心です」

「あ、あはは。疑惑が晴れてよかったなぁ」

「よかったです。兄さんを信じていました。えへへっ」

 

 にこやかに微笑んで、撫子は強引に話を終える。

 どちらも何とも言えない雰囲気になってしまう。

 

「兄さん。私、貴方を信じていいんですよね?」

「撫子を傷つける真似はしないよ」

 

 疑惑が晴れてよかった、と言うことにしておこう。

 猛は大きなため息をつきながらそう思った。


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