大和撫子、恋花の如く。

南条仁

第1部:咲き誇れ、大和撫子!

プロローグ:例え、世界を敵に回しても

 

 人は好きになった人間のためならば何でもできる。

 恋は人を盲目にし、愛は人を狂わせる。

 好きな相手のためになら、人は例え、世界を敵に回すことだってしてしまうんだ。

 

「例え、世界を敵に回しても、貫き通せるものが愛なのだと私は思います」

 

 少女は猛にそう真剣な眼差しを向けながら呟いた。

 美しい瞳は彼だけを捉えている。

 

「世界を、敵に?」

「えぇ。私と貴方の恋路は多くの苦難が待ち受けているでしょう。悲しいことですが、他人に理解され、祝福される未来なんて私は想像していません」

 

 微苦笑気味に彼女は囁いてみせる。

 愛に障害はつきもので、彼らには乗り越えるべき壁がありすぎた。

 

「それでも、愛のためならば私は世界を敵に回すことができます。その覚悟をしています。だから……私と一緒に世界を敵に回しませんか?」

「キミと一緒に?」

「はい。そうすれば、前へ進めます。私を愛してくれませんか?」

 

 少女は猛にそっと手を差し出してくる。

 その小さな手、細い指が触れる。

 

「私は、貴方のためならばこの世界を敵に回しても悔いはありません」

 

 その差し出された手を強く握りしめたかった。

 ふたりで世界を敵に回すのだ、とはっきりと言葉にしたかった。

 

――ずっと好きだった。キミだけが俺の好きな子だった。


 誰よりも、誰よりも、その子の事が好きだったから。

 

――けれども、俺は……。

 

「あいにくと、俺には世界を敵に回す勇気はないよ」

 

 やんわりと彼女の言葉を否定する。

 

――言葉通り、勇気がなかったんだ。何もかもを失うのが怖かった。


 少女のように、強い意志もなければ、踏み出す勇気はなかった。

 だから、彼女の本気を冗談で流すひどい真似をする。 


「……そう、ですか」

 

 少女は残念そうにうつむきながら、

 

「まぁ、それが兄さんらしいと言えばらしいですね」

「ごめんな」

「いいえ。こんなことで、私は想いを諦めたりしませんよ。いつの日か、兄さんに振り向いてもらえるまで頑張るだけです」

 

 どんな時も前向きに。

 そんな彼女らしさを猛に見せつけるからこそ。


――俺はもっと彼女を好きになる。

 

 “愛に全てを捧げ、世界を敵に回す――”。

 

 いつの日か、そんな勇気が持てるのだろうか?

 

 

 

 

 大和猛(やまと たける)。

 初対面の人にほぼ間違いなく笑われるネタ系の名前で、毎回、自己紹介した時のきょとんとされる雰囲気はやめて欲しい。

 こんな名前を付けて許されるのは漫画や映画の世界だけだ。

 キラキラネーム世代は正直、大変だ。

 外国語を無理やり漢字で当て字にしたのがカッコいいとか可愛いとか思ってる親世代の考えは到底理解できない。

 実際にキラキラネームにされた子供は将来、その名前とずっと付き合っていかないといけないのを本気で考えてるのだろうか、と言いたい。

 そんな猛は普通の青春を謳歌する学校生活を送っている。

 仲のいい友人がいて、気になる女の子がいたりして。

 特に不満のない、ありきたりながらも、平穏な日々が猛の日常だった。

 それは春の始まり、新学期を迎えたばかりの頃だった。

 窓から外を見ると、綺麗な桜の花が舞い散る。


「桜を見ると春だと思える。日本は良い国だ」


 この季節の定番ともいえる光景。

 そんな穏やかな気候の季節、高校2年生としての春が来た。

 数学の授業が終わり、4時間目が無事に終了。

 猛は昼飯を食べに、席を立とうとしていた。

 基本的に昼食は学食を利用する事が多い。

 

「……あっ」

 

 下級生の女の子がひとり教室に入ってきた。

 黒い長髪が揺れる様に猛はその子が誰だか分かった。

 

「誰だ? ものすごく綺麗な子だな。新入生?」

「知らないの? あの子は、大和君の……」

「あー、彼女が前から噂になってた子かぁ。噂以上に綺麗な子ね」

 

 ひそひそと話す皆の視線がそちらに向かう中。

 猛は彼女に軽く手を挙げる。

 

「――猛兄さんっ」

 

 気づいた彼女は華やかな微笑みを浮かべた。

 漆黒の長い髪に美しい顔立ち。

 細身でありながらも、胸は中々の大きさでスタイルも良い。

 清楚な印象を受ける、その美少女に誰もが目を惹かれてしまう。

 大和撫子という言葉をご存じだろうか。

 辞書で引けば、日本人女性をナデシコの花に例えた美称。

 お淑やかな和風美人、今やこの日本には絶滅危惧種とさえ言われている。

 だが、猛にはその言葉は身近に感じる言葉だった。


 大和撫子(やまと なでしこ)、それは猛の妹である。

 

 大和撫子のように見えるから大和撫子なのではない。

 名前が撫子、これが大和の名字と組み合わされると、大和撫子となる。


――これもキラキラネーム。親の名付けセンスも世間並と大差がない。


 子供が自己紹介する時の微妙な雰囲気を味わい続ける気持ちを考えてほしい。

 撫子なんて名前を書くたびに「え?」と言われるのだ。

 名前欄に”大和撫子”なんて書かれたら誰でも最初は冗談に思うだろう。

 芸名でもなく本名である。

 彼女本人はその名前を気に入ってるようだが。


「撫子。わざわざ、教室に来なくても食堂で待ち合わせしてるのに」

「いいじゃないですか。兄さんに会いたい気持ちを抑えきれませんでした」

「……嬉しい事を言ってくれるじゃないか」

「えへへ」


 この春、入学してきた撫子はすっかり名前以上に美しい容姿で有名となっていた。 

 昼食は普段から妹と一緒に取るようにしている。

 世間の兄妹は何かと仲が悪いらしいが、彼らは昔から何をするのも一緒だ。

 自然と傍にいる事が多いため、兄を慕う妹の構図も見事にできあがっている。

 生意気な妹と衝突する、などという世間一般の体験を猛はしたことがない。

 その上、美少女な妹なので、他人からはよく羨ましがられる。

 

「大和撫子。大和の妹はその名前の通りに可憐な子だよなぁ」

 

 近くにいた友人、月城修斗(つきしろ しゅうと)が撫子をそう褒める。

 猛とは高校に入ってからの付き合いだが、彼らは気が合うので仲がいい。

 撫子と修斗が実際に会うのは数度目だが、相変わらず美しい子だと評する。

 彼女は「ありがとうございます」と受け答えながら、

 

「でも、この名前が苦手な時期はありました」

「へぇ、そうなのか? 可愛い名前なのに」

「特徴すぎる名前です。この名をからかわれることもありますけれど、兄さんのおかげで私は自分の名前を好きになれたんです」

「俺が何か言ったっけ?」

「えぇ、兄さんが言ってくれたんですよ」

 

 それは猛が撫子にかつて言った言葉。

 

『知ってるかい? 撫子の花言葉は純粋な愛、可憐。どれも撫子にぴったりだ』

『ちゃんと私に合っていますか?』

『もちろん。人の名前は体を表す、撫子は大和撫子そのものだから自信をもっていい。キミ以外にこの名前は似合わない。それくらいにぴったりだよ』

 

 撫子はうっとりとしながら、


「兄さんが8歳の頃に言ってくれた言葉です」

「……おい、大和。ホントなのか? そんなキザなセリフを吐くのか?」


 唖然とする修斗に、彼は「どうだったかな」と冷や汗をかく。


――妹にそこまで言った過去の俺はある意味すごい。


 何となく記憶には残ってるような、曖昧な記憶だけども。

 確か、小学校の図書室で花の図鑑を見て、撫子の花言葉の意味を知ったから、つい妹にそんな事を言ったのだ。

 思いだして、恥ずかしくなる。

 

「兄さんの言葉のおかげで私は自分の名前が好きになりました」

「そ、そうか。それはよかった」

「はい。名前に似合うような女子になりたいと努力していますよ。ふふっ」

 

 にこやかに笑う撫子は可憐だ。

 大和撫子の名に恥じない可憐な美少女に育ったのだから、名前負けもしていない。

 

「おいおい、大和。自分の妹にそこまで言うか」

「からかうな、自覚はある。……まぁ、そういう事を言う事もあると言う事で」

 

 猛は照れくさくなり、苦笑いしかできない。

 

「本当に兄さんは昔から素敵な方でした。私にとっては兄さんとの出来事はどんな些細なことも大切な思い出なんですよ」

 

 修斗が「お前ら、実はデキてるだろ?」なんてからかい口調で言う。

 すると、撫子は皆の反応を楽しむように微笑みながら、

 

「――いいえ。私達、まだ子供はできてませんよ? すぐにでも欲しいですけども」

 

 クラスメイトたちをあ然とさせる爆弾発言をさらっと呟く。

 

「な、なぁ!?」

 

 あいた口がふさがらない。


「いや、デキてるってのはそう言う意味じゃないからっ」

「違うんですか? 赤ちゃん、作りたいとは思ってくれてません?」

「な、撫子さん。爆弾発言はやめてください」

「くすっ。兄さんは照れ屋さんですね」


 撫子は猛の言いたい事を理解しているのか、いないのか。

 

「この話はまた今度に」

「そうしてください」

「ほら、兄さん。早く行きましょう。食堂がいっぱいになってしまいますよ」

「あぁ。行こうか、撫子。修斗達も急げよ?」

「おぅ……お前ら、やっぱりデキてたんだな」

 

 修斗の微妙な視線から猛は逃げるように立ち去る。

 いまだに微妙すぎる空気が流れる教室。

 

「ねぇねぇ。あのふたり、ホントにデキてるんじゃ……? 」

「……あそこまで仲がいい兄妹も珍しいよね。すごく怪しい」

「隠れて付き合ってたりして」

「普通にありえそうで怖いわ」

 

 クラスメイト達の囁きは聞かなかった事にしておきたい。

 疑惑の兄妹として注目されるのもいつもの日常だった。

 教室を出た猛は撫子に忠告する。

 

「あのさ、撫子。あんまり、教室内でそういう事は……」

「ふふっ。変な勘違いをされてしまいます?」

「そう、それ。俺達は兄妹なんだからさ。変な噂とかされるのも嫌だろ?」

「いいじゃないですか。私が兄さんを大好きという事にかわりはないんです」

 

 告白しながら猛の腕に抱きついてくる。

 こうして甘えるのも彼女のいつもの行動だ。

 

「他人に見せつけるくらいじゃないとダメなんです」

「……騒動を起こすのはやめてくれ」

「兄さんは私と噂の関係になるのが嫌なんですか?」

 

 猛が絶対に勝てない、穏やかな笑顔を見せた。


「い、嫌とかじゃなくてね」

「だったら、いいじゃないですか」

「でも、何か変な目で見られたりしたら困るだろ」

「全然困りませんよ。私と兄さんが特別な関係なのは事実ですから」

「……それは、まぁ、否定できないけどさ」

「愛していますよ、兄さん。早く私だけのものにしてしまいたいです」

 

 艶やかな長い髪、兄を誘惑する唇。


「世界を敵に回しても、私は貴方の心が欲しいんです――」


 大和撫子。

 それは美しい花のような最愛の妹である。

 今、撫子乱舞の幕が開く――。

 

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